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第15話 刺し傷

 源次郎が思いついた芽来の はなかなか鋭かったが、確かな面差しが分からない事にはお手上げ状態だった。芽来の後ろ姿が写り込んだ集合写真を撮影したガールズバー常連客の証言に基づいてモンタージュを作成し、刑事たちはそれを手に片町の飲食、風俗店で片っ端から聞き込みを行ったが該当者は見つからなかった。


イタチごっこどころかその輪郭すら掴めない、そんな時、井浦はに呼び出された。


 検死台の上には見覚えのある、蓮根畑からニョッキリと脚を生やした男が大の字で横たわり、その傍らに置かれたホワイトボードには数枚の写真、断面図、ホワイトボードマーカーで大きく赤い丸と黒い矢印が描き込まれていた。

 白いヘアキャップと忌々しい色合いのエプロンと手袋、マスクをしていてもその臭気が鼻腔に吸い込まれそうで井浦は額を壁に擦り付けた。


「井浦警部補、ご覧にならなくて宜しいのですか」

「宜しいんだよ」

「はぁ」

「お前がジーーーーーーーーっくり見れば問題ない」

「はぁ」


 井浦の顔は真っ青で、眉間には深い皺が刻まれている。耳の中が水の中にいるようにボワボワと居心地が悪い。蓮根畑男や大野和恵もこんな状態だったのだろうかと考えていると、「今からこの写真の説明がありますから」と、気分が悪そうな井浦に気を遣った巡査長がその手に数枚の写真を手渡した。井浦は霞む目でその写真を見た。



「このご遺体の陰茎から下腹部に付けられた殺傷痕は、下から斜め上に向かって付けられた傷と断定されました」

「斜め上とは?」

「肉の抉れ方や刃先の形状から見て、傷は床面から斜め45度の角度で上に向かって付けられています。真上や真横からの刺し傷、切り傷とは角度がやや異なります」

「真上」

「床などに寝かせた状態で、真上から刺す、切り付ける」

「真横」

「立ち上がった状態で、刺す、切り付ける」


 井浦が壁に頭を付けながら右手を挙げた。


「先生や」

「はい」

「新興宗教の儀式かなんかで、意図的に斜め下から刺したとかそんな感じじゃねぇのか」

「その可能性も考えられますが、そうとも言い切れません」

「そりゃそうだ」


「どの刺し傷もその殆どが同じ角度で付けられています」

「傷は結構深いのか」

「それ程深くはありません」

「そうか」


「ちょっと、俺、用事思い出したから行くわ」

「け、警部補」

「後は先生に聞いとけ」

「良いんですか」

「良い・・・・・・んっぷ!」


 屍蝋化死体と目が合った(ような気がした)井浦は激しい吐き気に襲われて思わずしゃがみ込んでしまった。マスクとエプロンを剥ぎ取りゴミ箱に勢いよく捨て革靴の音を鳴らして逃げるように立ち去ろうとする井浦に巡査長が声を掛けた。


「警部補!頭!頭!」


 指摘されて気が付き、白いヘアキャップを掴むと蛍光灯の明かりが映るビニールの廊下に叩きつけた。グレージュの髪はボサボサに逆立っていた。


 源次郎の部屋に向かう階段に革靴の音が響く。井浦の手には文房具店で買ってきた分度器が握られていた。それはよくドラマや映画で小学校の壁にぶら下がっているか、担任が算数の時間に脇に抱えて持って来るオレンジ色の大きな分度器だった。


「そのサイズの分度器なんて、何処で買って来たんですか」

「北安江の潰れた文房具屋のジジイを叩き起こして来た」

「迷惑な男ね」


 リビングの壁にははりにされたような源次郎、分度器を握るのは井浦、佐々木咲は刃物に見立てた人参を両手に握っていた。


「よし、チワワ、殺れ!」

「ほい!」


 部屋の端から人参を手にした佐々木咲が源次郎の下腹部目掛けて突進した。


「ぐ、ぐほっ!」


 臍の辺りに人参の先がめり込んだ源次郎はその場にしゃがみ込んだ。佐々木咲と大野和恵の背格好は似ており何度かそれを試してみたが、刺せる範囲は胸、腹、臍下までで、陰茎や下腹部を床から上方に向い斜め45度で刺すことは不可能だった。

 次に源次郎は床に横になり、同様に人参は下腹部にめり込んだが同じ角度で続け様に傷を付ける事は難しく、リビングテーブルの上に横になった源次郎はぶらりと脚を垂れ下げた。


「どれも無理だな」


 井浦は人参と源次郎の股間に分度器を当てて角度を計測したがその度に口元がニヤケ、チワワにギャンギャンと噛み付かれた。


「さ、咲さん、こんな事続けたら勃たなくなりますよ」

「そりゃ大変だ!」「大変!」

「・・・・・・」

「なんであんたが大変なのよ」

「ウルセェ、チワワ」


 源次郎はリビングテーブルから起き上がると下腹を押さえた。


「それに、山下五雄さんの傷には生活反応があったんですよね」

「そうだ」

「手首や足首、身体にロープなどで固定した痕はあったんですか」

「ない」

「あんな大きな男の人を大野和恵さんがその身体を固定もせずに、その角度で刺したり切り付けたり出来るでしょうか」

「難しいな」


 フローリングの床に座り込んだ佐々木咲が人参を片手に、目の前に立ち上がった源次郎の両脚の付け根を見上げた。


「私がこれくらい小さかったら出来るのに」


 何かを思い付いた井浦が床にしゃがみ込み、源次郎の股間から斜め45度辺りの床面からの高さを計測した。


「おい」

「はい、そうですね」

「背の低い人間なら斜め45度で上向きブスリ、出来るな」

「そうですね」

「背の低いって、子どもって事?」

「その可能性があるってこった、断定は出来ねぇ」


 井浦は分度器を床に置き、トレンチコートを羽織った。


「ただ、チッせぇ子どもなら、この角度で山下五雄のチンポを滅多刺しに出来る」


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