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第12話 お誕生日おめでとう

 かなり機嫌の良さそうな井浦がリビングで正座をしている。その尻の下に組んだ親指はもそもそと落ち着きがない。視線を落とす丸テーブルには赤いギンガムチェックのテーブルクロスが掛けられ、ピンク色の丸皿にはふかふかで程よい焼き加減のホットケーキが三段重なっている。


「おおお」


 四角く切ったバター、スプーンで垂らした琥珀色のメープルシロップは朝日に透けて美しいラインを描いた。


「はい、これで出来上がり」


 源次郎がホットケーキの傍に泡立てた白い生クリームと薄切りのイチゴ、ミントの葉っぱを添えてエプロンを首から外した。


「源次郎、最高だな!」

「そうですか」

「画像、撮っても良いか?」

「どうぞ」


 井浦はポケットから携帯電話を取り出すと、右左、斜め下、正面、真上とアングルを変えてシャッターを切った。


「それどうするのよ」

「Instagramに載せる」

「あんた、その顔でInstagramとかやってんの!?」

「ウルセェ、チワワ」


 佐々木咲は井浦に悪態をつき乍ら、黒くて薄い細長の箱を手渡した。紺色のサテンリボンが掛けられシックで落ち着いた印象だ。


「なんだ、これ」

「開けてみなさいよ」

「僕と咲さんからのプレゼントです」


 井浦はリボンを引きちぎると包装紙をビリビリと破いてゴミ箱に丸めて捨てた。的が外れてコロコロと床を転がるゴミと化したラッピングを眉間に皺を寄せた佐々木咲が拾って捨てた。


「お、お、お、これは」


 それは鈍色を混ぜた渋い紺色に、深緑の刺繍糸で細かな四葉のクローバーを施したネクタイだった。井浦はそれを凝視し、目の前にぶら下げ、クンクンと匂いを嗅いで頬擦りをした。そして立ち上がると洗面台の鏡の前で「お、お!」と奇声を上げた。


「どうやら気に入ってくれたようですね」

「なに、あの反応。動物か」

「まぁまぁ」


 首からネクタイを垂らした井浦は源次郎のすぐ隣に座り、凹凸のある血管の浮いた指先でその両手を握った。


「源次郎、俺を縛ってくれ」

「縛ってやるよ!」


 佐々木咲は井浦の首にぶら下がるネクタイを両手で握り、ありったけの力を込めてその襟元で交差させた。今日は井浦結の53歳の誕生日。三人は源次郎の部屋でささやかな誕生会を催していた。


「それであの男性が誰か分かったんですか?」

「ふが」

「ふがじゃないわよ、ゴックンしてから返事しなさいよ。汚いわね!」


 誕生日のホットケーキを平らげると赤いギンガムチェックのテーブルクロスは外された。その代わりに丸テーブルには井浦がコンビニエンスストアでプリントアウトした写真、屍蝋死体と復顔写真もその隣に並べられた。


 井浦は、大野牧場の三人家族の写真を指差した。男性の名前は山下 五雄やましたいつお当時(37歳)河北潟干拓地の隣、津幡町の借家に住んでいた。撮影された十九年前の2005/10/10は山下五雄の誕生日だという。


「当時?」

「当時だ」


 屍蝋死体、復顔画像、家族写真の山下五雄を指さした。なるほど、どれも面影がある。骨太の筋肉質、大柄な体型も似通っている。歯の治療痕からも本人だと断定された。


「そいつは金に困っていた」

「お金に」

「借家の家賃も滞納して、飲み屋で知り合った女の家を転々としていた」

「サイテーじゃん」


「山下五雄は地元のスナックでを見付けた、その女の所に住む事になったと話していた。35歳か36歳の頃の話だ。証言の裏付けは取れた」

「その女性が、大野和恵」

「多分な」


 次に山下五雄が抱いている一歳から二歳、男児と思われる子どもは時期的にも山下五雄の子どもである可能性が高い。


「山下五雄は内縁の夫って事だ、セックスしてすぐに孕んだんだろうよ」

「その子どもが」

「近隣住民のおばさま方が見掛けたガキだ」


「山下五雄はいつ、誰に殺されたんでしょう」

「誰に?」

「はい」


 井浦は三人家族写真、大野和恵の衣服を指差した。その隣には長袖ブラウスの袖口拡大画像もある。


「山下五雄はタンクトップを着ている。このガキも半袖だ。暑い日だったんだろうよ。それが大野和恵は長袖の服を着ている」

「はい」

「よく見て見ろ」


 覗き込んでいた佐々木咲がポツリと呟いた。


「DV」

「これ、煙草の火を押し付けた痕ですよね」

「ドメスティックバイオレンスってやつだ」


 長袖のブラウスの袖口からは多数の火傷痕が見て取れた。


「旦那が突然居なくなったらどうする」

「警察に届け出る」

「そんな記録は何処にもねぇ」


「五雄さんのご家族から行方不明届は出されていなかったんですか」

「山下五雄の住民票は九州の福岡県、戸籍謄本には五雄の名前しかねぇ、二十代に傷害事件を三回起こした記録が出て来た」

「はぁ」

「親戚としちゃ関わりたくないだろうよ」


「それじゃ」

「蓮根畑の屍蝋化死体を作ったのは大野和恵の可能性が高いな」

「DVを受けてたから」

「つい」


「ついにしちゃ、股間の刃物傷が多すぎる」


「じゃ、子どもは?」

「ん」

「男の子は何処に消えたの?」

「まさか、大野和恵が」


「じゃあ、大野和恵は誰に殺されたんだよ」


 佐々木咲が大野和恵を指差した。


「大野和恵の太ももに付いた新しい火傷痕は誰が付けたの?」

「それだよ」

「井浦さん、もしかしたらもう一人、大野和恵さんにドメスティックバイオレンスを行う山下五雄を殺害した犯人が居るんじゃないですか?」

「新しい男か」

「はい」


 大野牧場牛舎前で十九年前に撮影された、大野和恵、山下五雄とその胸に抱かれた一歳から二歳と推定される子どもの家族写真を基に、警察による河北潟干拓地区での聞き込みが再開された。


 近隣酪農家や農家の証言によると、大野和恵と手を繋いで歩いていた五歳から六歳の男児は風貌からしてこの子どもであると皆、口を揃えた。この男児は十年から十三年前まで大野牧場にと考えられる。


「そうそう、この子」

「色白で可愛らしいから覚えてるわ」

「うちの子と一緒に遊んだ事があって同い年ねって話したの」


『大野和恵さんとお話をされたんですか?』


「そう、ソフトクリームを食べに行った時、確か、六歳、七歳頃かな」

「小学校の入学式に来ないわねって話してたわよね」

「そうそう。引っ越したのかと思ってたわ」

「遠縁に預けたって言ってなかった?」


 山下五雄に関しては住み込みで手伝いに来ている遠縁の男性で、大野和恵は「大野牧場が経営赤字で給与が払えないから能登に帰ってもらった」と隣の酪農家の主人に話していた。


「そうやなぁ、その頃は親類縁者も出入りしとったし」


『この山下五雄さんが大野牧場をお辞めになられたのはいつ頃ですか?』


「十年、そんくらいかもしれん、よう覚えとらん」


『この男の子の事はご存知ですか?』


「ん、あぁ、この坊主な。おった、おった、牛にちょっかい出して和江さんに叱られとったわ。」


『名前は覚えていらっしゃいますか?』


「確か、。そうや、けいくんや」


『漢字は』


「さぁ、そこまでは分からん。なんや、あんたら警察でも分からんがんか。どくしょな。ほんなんやから犯人捕まらんのやろ」

※どくしょな(情けない、困った)


 この聞き込みで共通する点は、大野和恵は山下五雄の事も、息子の事も十年から十三年前を前後して「能登に帰ってもらった」「遠縁に預けた」と周囲に話している。山下五雄は九州の福岡県出身で、能登とは縁もゆかりも無い。




トルルルル トルルルルル トルルルル トルルル


「はい、北陸交通 佐々木です」

「遅い!」

「は?」

「着信二回で出ろや!」

「あっ、井浦!なに、なんの用!?」

「アホか、タクシー会社に電話して(うどん)の出前でも注文すんのか」

「うるさい!」

「タクシー一台、県警まで頼むわ」

「はぁ?」


カチ、カチカチ

 佐々木咲は北陸交通配車室のパソコンモニター上でマウスをクリックし、金沢市内中心部から郊外へと画面を移動させた。石川県警、石川県庁タクシー待機場には124号車が(空車、緑色)表示で順番待ちしている。


「そこに一台、停まってるからそれに乗りな!」

「やだ」

「子どもか!」

「101号車だよ、ご指名だよ!しまじろーを早く寄越せ!」


 もう一度佐々木咲がパソコンの画面を確認すると、源次郎が運転する101号車は(空車、緑色)表示で金沢駅を目指して直進していた。


「ぐぬぬぬ」

「いるんだろ、近くに」

「ぐぬぬぬ」


 井浦はまるで恋人に囁くかのように柔らかな声色で行き先を告げた。


「能登」

「何」

「しまじろーと能登にドライブに行っちゃおうかな」

「能登!」

「そう、能登、往復で80,000円越しちゃうかもね、越すね、確実」

「能登!」

「しまじろーの稼ぎアーーーーーーップ」

「能登!」

「おう」


「101号車どうぞ!」


 佐々木咲は嫉妬心よりも目の前の報酬に目が眩み、源次郎を井浦に売った。

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