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第4話 大野和恵

 第二の死体の身元は程なくして判明した。河北潟干拓地に点在する酪農家の一軒、大野牧場の経営者だった。酪農家といってもこぢんまりと親族で営む程で、河北潟の直線道路脇に建つソフトクリーム販売所に牛乳を卸して細々と生計を立てていた。


 大野 和恵おおのかずえ(48歳)


 自宅は構えず牛舎の二階にある屋根裏部屋で寝泊まりをしていた。

二十年ほど前までは近所付き合いもあったが、ここ数年は地域の集まりにも顔を出していない。その大野和恵が大野牧場に近い蓮根栽培の泥水の中から溺死体で発見された。


「大野さんねぇ、大野さんのお宅にはお子さんが居たような」

「あら、そんな子どもいた?」

「居たわよぉ」


『そうですか。ええと、何歳くらいのお子さんですか?男の子、女の子、何かご存知ありませんか?』


「そうねぇ、どうだったかしら」

「覚えてる?」

「あぁ、男の子。何年前だったか、男の子と歩いていたのを見たわ」

「あぁ、そうそう」

「男の子、小学校には来て居なかったと思います。」


『ご主人は、いらっしゃいましたか?』


「見掛けた事はないわね」

「身体が弱くて入院したって聞いたわ」


『どこの病院に入院されたか、ご存知ないですか?』


「さぁ、そこまでは」

「ねぇ」


 現在の大野牧場の家族構成は依然不明瞭。内灘町役場の住民基本台帳には大野和恵の名前だけが記載され、二十五年前に夫とされる男性が死亡していたが、近隣住民が証言する男児についての記録は無かった。


「どうだ」

「何がですか」


 井浦は鼻息も荒く、内灘町役場で配布されている ”かほく潟マップ” なるものを源次郎と佐々木咲の目の前で広げて見せた。テーブルには例のお揃いの三客のコーヒーカップから湯気が上がっている。その可愛らしい色合いの地図には、牛やひまわり畑のイラストが描かれ、その中には数日前の夜に源次郎が運転するタクシーで横付けしたソフトクリーム販売所があった。


「ここに、屍蝋化死体、溺死体っと」


 井浦が黒い中太油性の黒いマジックペンで実に個性的な人の形を書き込んだ。


「何これ、ミミズ?」

「死体だよ、し・た・い!」

「ミミズじゃん」

「テメェ、視力検査行って来い!」

「まぁまぁ」


 次に大野牧場、ソフトクリーム販売所に丸印を付けた。


「犯人は土地勘のある奴しかいねぇ、てか近所に住んでる奴だな」

「何でよ」

「普通、死体を棄てるなら海か、河北潟だろうよ」

「まぁ、海にも近いですし、河北潟なら見つかりにくいですし」

「それがわざわざ蓮根畑、よそ者が来てザバザバやってたら目立つだろ」

「まぁ、確かに」


 佐々木咲は腕を組んで難しい顔をしている。


「でも、自分の住んでる場所の近くに捨てる?気持ち悪くない?」

「うるせぇ、チワワ」


 大野和恵の隣に沈んでいた屍蝋化した死体。詳しい検死の結果、この二体に一つの共通点が見つかった。







 爽やかな朝日が差し込むベッドに横たわる豊満な胸の恋人、源次郎はその背中に口付けをした。


「あ。やだ」

「もう一回、良いですか?」

「困った仔猫ちゃんね」


ガチャガチャ

ガチャ!


「おい、出たぞ!」



 革靴を玄関先で脱ぎ散らかし扉を閉めた井浦は何事もなかったかのようにズカズカと廊下からリビングに入ってきた。そしてベージュのトレンチコートを二人の背中目掛けて投げつけた。



「ちょ!また来たの!」

「おう!朝からお盛んだな!源次郎!出たか!」

「出るものも出ませんよ・・・・」

「この変態ジジィ!」

「早くそのデケェ尻を片付けろ!」


 佐々木咲はソファの陰に隠れて源次郎のビッグTシャツを頭から被り、下着を手にバスルームへと小走りに向かった。源次郎は脱ぎ散らかした衣類をかき集めると黒のボクサーパンツを履き、チェストから黒いハーフパンツを取り出すと仕方ないなぁという顔で脚を通した。


「で、何が出たんですか?」

「これだよ、これ」


 井浦は濃灰のスーツの内ポケットから何枚かの写真を取り出した。そこには屍蝋化死体の首、そして大野和恵の首が写っていた。


「井浦!あんたここを捜査本部と勘違いしてんじゃないの!?」

「何、寝言言ってるんだ」

「ここは私と源次郎の愛の巣なの!」

「のけ者かよ!」

「のけ者も何もあんたは部外者!こう毎日、毎日来るんじゃないわよ!」


 そんな二人の遣り取りなどお構いなしの源次郎は、その一枚の写真をまじまじと見つめた。


「同じ、なんですね」

「そうだ」

「この死体には共通点があったんですね」

「犯行の凶器はコードだ」

「それも同じ製品ですか?」

「あぁ、二十年前に製造中止になった”こたつ”のコードだ」

「二十年前」

「もう売られてねぇ」


「それは何処から見つかったんですか」

「大野牧場の牛舎の物置からだ」


「それでは、屍蝋化死体と大野和恵を殺した犯人は同一人物」

「・・・の可能性は高いな」


 佐々木咲はコーヒーを淹れる湯を沸かし始めた。


「井浦、あんた、何で警察の捜査本部に行かないのよ!」

「賑やかしいのは嫌いなんだよ」

「あんたが嫌われてるだけじゃないの!?」

「うるせぇ、チワワ!」

「まぁまぁ落ち着いて」


 井浦は例のパステルカラーの ”かほく潟マップ” を机の上に広げた。そこにはミミズのような人型のイラスト、その上に屍蝋化死体と大野和恵の写真を置いた。


「うわ、キモっ」

「チワワ、おまえ、きゃーーとかいやーーーとかないのか?」

「何がよ」

「普通の女は死体の写真なんて見たら卒倒するぞ」

「はあ?」

「テメェ、女じゃねぇな」


 佐々木咲は豊満な乳房をブルンブルンと揺らして見せた。


「ケッ、きめぇモン見せんな!」

「普通の男は、これを見たら喜ぶんですぅ」

「はぁ?」

「あんた、女より源次郎の方が、好きなんでしょ」

「当たりめぇだ!」

「うわ、ドン引き」


 カーペットの上で胡座をかいていた源次郎が井浦を見た。井浦も源次郎を見た。佐々木咲がその間に割って入り、「見つめ合うな!」と般若のような顔をした。


「井浦さん」

「なんだ」

「一度、整理しませんか?」

「おう、いいぞ」


 源次郎の指は大野牧場を指差した。


「大野和恵は一人暮らしなんですか?」

「あぁ、夫は二十五年前に死んでる、らしい」

「らしい?」

「住民基本台帳にはそう記載されていた」

「はい」

「が、近所の住人から男性の姿を見たという証言が上がってきた」

「屍蝋化死体は、大野和恵の旦那さん」

「まだ分からん」


「二人とも大野牧場にあった”こたつ”のコードで首を絞められて」

「同じ蓮根畑の泥水にドボンだ」

「誰が殺したの?」

「それを今、井浦さんは調べているんですよ」

「あ、そうか」

「くそチワワ、黙ってろ」


 源次郎は屍蝋化死体の全身の画像を指差した。


「なぜ違うんでしょう?」

「これか」

「何が」

「なぜ同じコードで首を絞められているのに、男性は陰茎や下腹部を執拗に刃物で傷つけられているんでしょう?」

「大野和恵はコードで絞められて意識を失った所でドボン、刃物での外傷は無い」

「同じ犯人なら同じような方法を選びそうなのに」

「だな」

「あと、大野和恵の腕や太ももにあるこれはなんですか?」

「これか?煙草を押し付けた火傷の痕だ」

「いつ頃のものですか?」

「古いものから新しいものまで酷ぇモンだぜ」


「ドメスティックバイオレンス、DV でしょうか?」

「誰がやったんだ」

「旦那さんが」

「蝋人形になった旦那が泥水から這い上がって、嫁の腕に煙草押し付けんのか?」

「なかなかホラーですね」


 源次郎はポン!と手を叩いて井浦を見た。井浦はその手を握って源次郎を見た。佐々木咲がその手を「アチャーーーーーーー!」と叫んで切り離した。


「痛ぇな!くそチワワ!」

「人の彼氏にベタベタ触るんじゃ無いわよ!」


「井浦さん、お子さんは」

「ん」

「夫婦で農場を経営していらっしゃったのならばお子さんは居なかったんでしょうか?」

「住民基本台帳には無かった」

「そうですか」

「だが数年前、大野和恵が男児と歩いていたと言う目撃証言もある」

「・・・・・無戸籍」

「無戸籍?」

「出産しても届け出ていなかったとしたら?」

「無戸籍か!」

「はい」

「ちょ、県警行ってくる!」

「もう戻ってくんな!」


 井浦はベージュのトレンチコートを羽織ると革靴を履いてバタバタと階段を駆け降りて行った。


「ねぇ、源次郎」

「何」

「鍵、替えてよ」

「管理会社に聞いておきます」

「絶対よ!」


 佐々木咲が源次郎の肩に頭をコツンと乗せ、その隣で体育座りをした。源次郎の手はその髪を愛おしそうに撫で、ビッグTシャツの袖に滑り込ませるとゆさゆさと揺れる乳房をもてあそんだ。突起に指先が触れる、それは大きく膨らみ、源次郎の唇を待った。


「あ、ん」

「井浦さん、今日はもう来ませんよ、さっきの続きをしませんか?」

「賛成」


 二人はそのままベージュのカーペットの上に崩れた。


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