カウンターの奥、火にかけられた
「へい、いらっしゃい!」
ぬっと突き出た、ねじり鉢巻きの禿げ頭。元気よく挨拶する、笑顔の大将。
驚いた僕は、とっさに、店から出てしまう。
一呼吸おいて振り返り、
…内科診療、すこやかクリニック。ふむ。
「内科診療…」
僕はつぶやき、再び暖簾をくぐる。
「へい、いらっしゃい!」
目の前の人物は、まるでラーメン屋の大将である。
「ご注文は券売機で、どうぞ!」
「…ここは、病院ですか?」
「へい、すこやかクリニックです!」
券売機を見ると、ズラリと並んだ押しボタンに、咳、頭痛、腹痛、などと症状が記載してあり、三千円などと値段も一緒に記載してある。
「…高いな」
「ああ、保険証提示で割引、トッピングのサービスありますんで!」
大将が笑顔で告げる。
明らかに病院ではない雰囲気。しかし、僕はその人好きのする笑顔につられ、ここで
「僕、実は今さっき、トラックにはねられたんです…」
「えっ…」
大将の顔が青ざめる。
手にした湯切りに使うザルが床に落ちて、乾いた音を立てた。
「お、おばけ…!?」
早合点した大将の全身が、スマホのように震えはじめる。僕は慌てて話をつなぐ。
「ちょっと待って?確かに、トラックにはねられたのね、でも、死んでないから。トラックにはねられて、異世界転生したわけ。わかります?」
大将はハッと僕を見つめた。
「ア~異世界転生!ナルホド…」
急に声が裏返る大将。異世界転生…それは現実世界で命の危機に瀕するなどした主人公が、突然、異世界に転生し、新たな人生を歩むという、ライトノベルの一大ジャンル、である…だった。
「体中が痛いんです。だから病院で診てもらおうと思って。そしたら、目の前に病院さんがあったわけですよ」
大将はポンと両手を鳴らす。
「では、全身打撲はいかがでしょう」
大将がボタンを指さす。五千円とマジックで書いてある。
「高いな~。しかたない…」
僕は尻ポケットから財布を取り出すと、チケットを買った。
「じゃ、これで」
「へい、点滴の濃さと、ベッドの硬さ、トッピングはどうしましょうか」
「えーっと…」
まるでラーメン屋である。しかし、異世界の文化にツッコミを入れても仕方がない。
「じゃあ、点滴濃いめ、ベッドは普通、トッピングってのは…」
「整腸剤、鎮痛剤、
「じゃあ、全部入れてください」
「とりあえず、
大将の軽い言い草に、僕はむっとした。
「とりあえずって、あのね…ビールじゃないんだから!とりあえず抗生剤って、細菌感染が疑われているわけでもないのに。そういう態度が、
このラーメン屋の大将みたいな人は、本当に医者なのか?不安に感じた僕は、つい、まくし立ててしまう。大将は明らかにショックを受けていた。僕は慌ててとりなす。
「あ、すいません、言いすぎました…」
言葉を失い、肩を落として、カウンター奥に引き下がる大将。気まずい。空気を変えなければ。
「すごい湯気ですね~。まるでラーメン屋だ!」
誉め言葉かどうかは怪しい。しかし、顔を上げた大将、その表情がパッと明るくなる。
「へい、こだわりの
大将が大きなオタマで寸胴をかき混ぜると、カチャカチャと医療器具の音がした。
「コイツを極めるまでに、三年かかりましたよ…」
素早くオタマをすくい上げ、中身を湯切りざるに開ける。湯切りざるを右手に持ち替えると、天高く掲げ、スナップを利かせて、一気に振り下ろす!
軽妙な腕の動き。湯は周囲に飛び散ることなく、綺麗にグレーチングに落下する。確かに熟練の技だ!…しかし、これは断じて医療技術ではない。
「秘技、天空落としッ!」
大将がどや顔で僕を見つめている。
「…」
大人として、ここは誉めるべきであろう。しかし、僕は…
「…あまり、衛生的とは言えないなあ」
ああ~言ってしまった。大将は案の定、うなだれてしまう。いい人っぽいけど、めんどくさいな…この人。
その時!数人の男が店に入ってくるではないか。僕は安堵した。
「大将、ニラ定3つ!」
「へい!ニラ定3つね!」
ニラ定!?券売機にはそんな記載はなかった。僕は作業着の3人の男たちに聞く。
「ニラ定って、何ですか?」
「ニラレバ定食だよ」
日焼けしたオジサンが教えてくれた。ニラレバ定食…?ここは病院ではなかったのか!?
ジャーっと、熱した中華鍋の上で油が跳ねる音が響いてくる。ああ、いい音だ。僕は空腹を覚えた。
「裏メニューだよ、にいちゃん」
日焼けしたオジサンは、白い歯を見せてニッと笑う。
僕は油で黄色くなった天井を仰いで、深呼吸をする。落ち着け。一度、状況を整理するんだ…。
僕はトラックにはねられた。全身に衝撃を感じ、気が付くと見慣れぬ場所に倒れていた。衝突のショックで異世界転生してしまったのだ。
目覚めた僕は体中に痛みを感じ、目の前にある建物に近づくと、そこは内科診療のクリニックであった。
そうだ、ここは病院であって、中華料理屋などではない、はずだ。決して!
軽いめまいを覚える。冷汗が噴き出る。僕はぐったりと、となりのおじさんに寄りかかってしまった。
「おい、にいちゃん!大丈夫か!?顔色わりいぞ!?」
「スミマセン、病院に連れて行ってください…」
「安心しな!ここが病院だよ!」
日焼けしたオジサンが、サムズアップしている。満面の笑顔に、僕は凍り付いた。せっかく異世界転生したというのに、ここにいたら死んでしまう!
「大将!スミマセンが、救急車呼んでください!今すぐに!」
僕は最後の力を振り絞って叫ぶ。
「へえ、すみません、うち、出前はやってなくて…」
申し訳なさそうに大将が言う。僕にツッコミを入れる力はもう残っていなかった。
貧血か?天井が回る。目の前が真っ暗になる…。
異世界転生って、もっといいものじゃなかったのか!?スーパーパワーで無双して、女の子にモテて、皆から
何が転生だ!この物語の作者は、歪んでいる…サディストだ!バカで、頭が悪いっ…!
青年の思考が途絶えた。ここは音も届かぬ、漆黒の空間。
突如、スポットライトが点灯。先ほどの哀れな青年が倒れている。
さあ、目覚めよ。立ち上がれ!主人公!
彼は再び意識を取り戻し、むっくりと起き上がった。
やれやれ、創造主たる作者に向かって。ひどい言いようではないかね。
確かに我は、歪んでいる。サディストかもしれない。しかし、バカで頭が悪いという言葉については…認めたくないッ!
…よろしい。そろそろ既定の文字数であるが故、明かそう…よいか、君は異世界転生などしていない!
「な、なんだって…!?」
ふふふ…異世界転生したなどと、我が一言でも君に言ったかね!?
「タイトルに、異世界転生ってあるじゃないですか!?これでは詐欺だ…!応募規定違反!釣りタイトルもいいところだ!」
ふっ、まだ気づかんのか?異世界転生したのは、君ではない。トラックの運転手だ!
「なっ、なにぃぃぃぃ!!!」
今頃、トラックの運ちゃんはスーパーパワーで無双して、女の子にモテて、皆から称えられている事だろう…。
「くっ、馬鹿な!ひき逃げ野郎が、そんなうまうまな異世界ライフを送っているなんて…!断じて ゆ る せ ん !」
君の怒りも、もっともだ。しかし待ってほしい。これは喜劇だ。コメディーなんだよ。つまり、君こそが!この物語の、称えられるべき、無双の役者という訳だ!
「でも僕は、まるきり、はねられ損じゃないですか!?」
左様。だがその方が、おいしいと思わんかね?
「なんてことだ…悪魔の発想だ…皆さん、こんなことが許されていいのですか!?人の心があるならば、どうか僕を憐れんでください!そしてよかったら、笑ってやってください♪」
はい、はい、これ以上のやりとりはお見苦しき故、これで幕とさせていただきます。それでは、ごきげんよう!