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第10話

 両手首と両足首にガムテープを巻かれ、両肘と両膝をビニールロープで拘束された私は助手席のシートベルトに押し込まれた。


「ーーーそ、そう」

「なんですか」

「痛い、痛いよ」

「もう暫くしたら痛く無くなりますよ」


 嗚咽し助けを乞う私とは対照的に、気怠げな薄笑いでサイドウインドに肘を突いてハンドルを握る惣一郎は機嫌が良かった。


「何処が良いですかね」


 七瀬の目が大きく見開いた。


「ど、どこ、何処ってなに」

「ドライブの行き先ですよ」


 七瀬は大きく首を横に振った。


「惣一郎、誰にも、誰にも言わないから!」

「なんの事でしょうか」

「アトリエの、胡桃の胡桃の 碧 」

「あぁ、やはり掘り返したのは七瀬だったんですね」

「惣一郎!」

「狐かなにかが掘り返したのかと思いましたよ」


 惣一郎は困り顔で恐怖に怯える七瀬を見下ろした。


「誰にも言わないから」

「そうですねぇ」

「碧 さんがあそこに居るって誰にも言わないから!」

「碧、 碧 ですか」

「言わないから!」

「 碧 は何処かで生きているかもしれませんよ」

「でも!あそこに!」


 その気怠い笑顔が好きだった。


「失踪中ですからね」


 惣一郎は、胡桃の樹の下に埋め既に白骨化した 碧 さんを「失踪中」だと言い切った。いずれ私もそうなるのだろう、恐怖でしかなかった。


「惣一郎、私は恋人だよね!」

「それがどうしましたか」

「恋人だよね!」


 すると惣一郎はフロントガラスを見つめながら首を傾げた。


「不倫ですね」

「ーーーーえ」

「 お話ししましたが私には細君が居ます、だからこれは不倫ですね」


 不倫。


「惣一郎!不倫でも恋人だよね!」

「不倫とは儚いものです」

「惣一郎!」

「ありがとうございました。楽しい夏休みでした」


 気怠い笑顔、物憂げな仕草が好きだった。


「誰にも言わないから、助けて」

を言いました。女の人は口が軽いから信用できません」


 絶望しか無かった。警察官が話していた「もう一人の女性」も失踪人としてあの雑木林の何処かに埋まって居るのだ。


「山で見つかってしまったのなら海にしましょう」

「ーーーー嫌!海は嫌!」

「あぁ、七瀬は千里浜海岸で溺れたんですよね」

「海は嫌い!助けて!」

「好き嫌いは駄目ですよ」


 惣一郎はアクセルペダルを強く踏み込み、エンジン全開で海岸沿いの道を走った。


 嗚咽が叫び声に変わっても誰にも聞こえない。年代物のブルーバードのエンジン音は低く重くとどろいて全てを掻き消した。


「助けて、お願い、誰にも言わないから」


 すると惣一郎は「あっ!」と声を漏らし、表情は晴れやかなものになった。


「そうだ、キャンパスが見える海にしましょう」

「ーーーーーえっ」

「徳光の海岸は人の出入りが少ないですからね」


 その場所は金城大学短期大学部の建物から、田畠の中を蛇行した農道の先にある。北陸高速道路を潜る旧道のトンネルを抜けると粒の細かい砂地の浜辺が現れる。


「人が出入りする事も少ないので作業も捗るでしょう」

「い、いや、いや、嫌だ!」


 私は手足を動かし反抗したが、蝶のさなぎには無駄な努力だった。


「七瀬は波打ち際ではしゃぎ過ぎたんです」

「な、に」

「私と徳光の海岸で遊んでいて波に足を取られて」

「なんの事」

「離岸流に飲み込まれてしまったんです」

「そんな訳ないよ、おかしいよ!」

「あっという間の出来事でした」


 その時感じた。これは惣一郎の悪ふざけでもなんでも無い、私は 碧 さんやもう一人の女性の様に埋められるのだ。


「こんな!」

「こんな、なんですか」

「ガムテープを巻いていたらおかしいよ!」

「なにを言っているんですか、おかしな子ですね」


 顎の付け根が震えた。


「穴に入って頂く時はガムテープは外しますから安心して下さい」


 前歯の噛み合わせが醜く音を立てた。


 「あぁ、ガムテープを剥がす時は痛いかもしれませんがそれは我慢して下さいね」


 汗は乾き恐怖で全身が冷たくなった。


「時々会いに行ってあげますよ」


 手首と足首には力ずくで巻かれたガムテープが血流をき止めていた。指先が白く色褪せてゆく。意識が朦朧となった。


(こんな事なら大垣と千里浜海岸、ドライブに行けば良かったな)


 この状態を受け入れ、観念した私は同級生の顔を思い浮かべた。

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