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第7話

 惣一郎が身を離し、その重みから解放されたと同時に疑問が湧き上がった。


(奥さんが居ないって、どういう事)


 玄関先に複数人の気配を感じた。素裸の私はシーツに包まり息を殺し、その会話に耳を澄ませた。


「井浦惣一郎さん、夜分恐れ入ります」


 それは太く厳しい声だった。


「あぁ、またあなた方ですか」


 惣一郎はその人物と面識が有るようだ。


「あぁ井浦さんこそ、ですか」

「なんの事でしょう」

「そのサンダル、女性、若い女性のものですね」

「それがなにか僕ののモデルのものです」

「若い女の子、とうとう生徒にまで手ぇ出したんですか」


 それはきっと私の黒いギンガムチェックのサンダルの事だ。


「あーーーー!井浦先生の絵具には無味無臭の毒があるんですよーー!」


 男性は私に聞こえる様に声を張り上げた。


(ーーー毒?)


 それにしても無味無臭の毒なんてあるのだろうか。以前、大垣光一が「これ銀朱ぎんしゅ、舐めるなよすぐ洗って来いよ」「水銀中毒を起こすぞ」と言っていた朱色は酷い臭いがした。


「刑事さん、人聞きの悪い」

「あぁ、井浦先生のご使用になっている<カドミウム系>の絵具は無味無臭の毒が入っているらしいじゃないですか。カドミウム中毒、貧血、骨粗鬆症、全身の痛み、肝機能の低下、物騒ですな」

「毎日食べる訳じゃありません」


 毎日、このコテージに来てから毎日の食事の支度は惣一郎がしている。


(まさか、そんな、なんの為に)


 玄関先で惣一郎と遣り取りをしている人物は警察官だった。


そこでようやく警察官が奥さんの話題に触れた。


「井浦さん、失踪届が出されていた奥さん、あーーと」

「 碧 です」

「そうそう、井浦 碧 さん。来年、ようやく7年目ですなぁ」


 惣一郎の奥さんは7年前に亡くなっていた。いや違う、失踪、行方不明。


「それがなにか」

「なにかって、そりゃあ井浦さんがよくご存知じゃあないですか」

「仰っている事が分かりませんが」


「あー、ほら家庭裁判所ですか、失踪届提出後7年で。奥さん、ようやく死亡って事になるんでしたよね」

「そうですね」

「保険金、4000万円」

「それがどうかしましたか」

「それがですね、ご近所の方が奥さんの姿を見たと仰るんですよ」


 確かに、私もあの胡桃の樹の下に立っている 碧 さんを見た。


「まさか」

「まさか、ですか。奥さんが生きていらっしゃれば喜ばしい事じゃないですか」

「そうですね」

「ちょっとご足労頂けませんかね」

「今からですか?」

「手遅れになる前に、念の為です」


 寝室の扉の隙間から覗いて居ると惣一郎が困り顔でこちらに向かって来た。私は慌てて掛け布団の中に飛び込み素知らぬ振りをした。姿に着替えた惣一郎はベッドの端に座ると私の頭を撫でた。


「七瀬」

「なに、どうしたの」

「用事が出来ました。出掛けますから留守番をよろしくお願いします」

「留守番、分かった」

「白ワインは私が戻ってから飲みましょう」

「いつ帰るの?」

「遅くとも明日の朝には帰ります」

「そんなに遅いの」

「帰りはバスですから」


 惣一郎は捜査車両、パトカーの後部座席に乗り込んだ。

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