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第13話

10月4日



 シャワーを終えた果林がバスタオルで髪を拭きながらリビングルームに向かうとなにやら妖しげな雰囲気が満ち満ちていた。明かりは落とされチェストの上にはキャンドルの灯りがゆらめきラベンダーの香りが漂っていた。


「宗介さんにアロマキャンドルの趣味があったとは知りませんでした」


「今日、秘書に買って来てもらいました」


(・・・・・・・秘書の意味)


「気持ちを鎮める効果があるらしい」


「それにしては」


 落ち着かなくてはならないのは宗介の方だ。右手にはボールペン、左手には朱肉を持って正座している。当然のことリビングテーブルには例の婚姻届が広げられていた。


「果林、今夜が年貢の納め時だ」


「時代劇ですか」


「果林さん今日が何の日か気が付いていますか?」


「あ〜、宇野さんが抜けた分色々と忙しくて、2日?」


 宗介は首を左右にぶんぶんと振ると眉間にシワを寄せた。


「果林さんはダーリンのお誕生日を忘れたのですか?」


「3日かな?」


「違いま〜す、ブッブーー4日で〜す」


「子どもですか」


「今日は10月4日ですおめでとうございます」


「おめでとうございます」


 ボールペンと朱肉をテーブルに置いた宗介は胡座あぐらを掻くと手招きをして果林を窪みに座らせた。これは心地良いが何度やっても気恥ずかしい。宗介は婚姻届を両手で持つと果林の目の前に近付けた。


「ちょっ、そんなに近いと見えませんって!」


「あ、ごめんなさい」


「婚姻届が如何したんですか」


「おめでとう今日は10月4日!あと3時間で時効成立、あと3時間でApaiserアペゼオープンです!」


「警察ドラマですか」


「そして今日はダーリンの誕生日です」


「おめでとうございます」


「なに白けた顔をしているんですか」


「だって39歳のお祝いはしたくないって言っていましたよね?」


「39歳は嬉しくありませんが誕生日祝いはしたいです」


「あ、そうなんですか?」


 宗介は果林を抱きしめ「左手を出して下さい」と手首を掴んだ。


(あ〜これは)


 さすがの果林もこの状況で手相を見るとは思えず思いっきり手を開いてみた。案のそれは薬指にするするとはまった。


「指輪のサイズはいつ測ったんですか」


「企画室にあったホワイトボードマーカーが似たようなサイズだったから店に持って行きました」


 如何してこういう事が思い付くのだろうかと思わず失笑してしまった。


「8号くらいだというので選びましたが丁度良いですね」


「浮腫んだら分かりませんけれど、ピッタリです」


「感動して下さい、ティファニーですよ」


「わあー」


1.5ctカラットですよ」


「わあー」


 それは繊細な4本爪セッティング、中央のダイヤモンドに向けて細くなるテーパード型のリングが美しく輝いていた。背中を向けうつむき加減の果林の目尻には熱いものが浮かび、それは目頭を伝って宗介の膝に落ちた。


「なんですか、泣いているんですか?」


「・・・・・・」


「まだ言っていませんでしたね」


 宗介は果林の首筋に顔を埋めるとくぐもった声で熱く囁いた。


「羽柴果林さん、私と結婚して下さい」


「・・・・っ」


「果林さん、大切にします」


 果林は振り向くと涙を溢した。


「私で良いんですか」


「はい、果林さんが良いんです」


「短大卒業ですよただのパティシエですよ」


「学歴なんて関係ありません」


「顔だってチンチラって言われますよ、ネズミですよ」


「小さい動物は可愛いです」


「胸だってこんなに小さいし!」


「私が大きくしてあげます」


「大きくなるの?」


「なるんじゃないですか?」


 そこで2人は小さく笑った。


「もう一度言って下さい」


「結婚しましょう」


「はい」


「結婚して下さい」


「はい」


 宗介は力一杯、華奢な果林の身体を抱き締めた。




 どれくらい時間が経っただろう。


「さて、と」


「はい?」


「さぁ、ボールペンはどれを選びますか?」


「あぁ、婚姻届ですね」


 色は黒、異なるメーカーの5本のボールペンを握っていた。


(やる事がいちいち細かいというか、こまめだな)


 果林は水性ゲルインクボールペンを選んでそれを手に握った。その姿を見た宗介は最上級の笑顔で喜んだ。果林はシャープペンシルで書き込んだ下書きをボールペンで丁寧になぞり2人はインクが乾くのを待った。


「まだかな」


「まだじゃないですか?」


 宗介はティッシュペーパーを手に持つと余分なインクを吸い取りフゥフゥと息を吹き掛けた。それでも滲んでは大変だと消しゴムを掛け印鑑を捺すのは明日に持ち越すことになった。


(さすが副社長、慎重だな)


 そこで宗介は果林を凝視した。


「どうしましたか?」


 ゆっくりと顔が近付き唇が重なった。


「あと1時間半で私の誕生日が終わってしまいます」


「はい?」


「誕生日を祝って下さい」


「歌でも唄えば良いんでしょうか?」


 宗介はもう一度唇を重ねた。


「私の身体の下で」


「身体の下で?」


「啼いてみませんか?」


「えっ?」


 宗介は自室の扉を指差した。


 思わず果林は慄いた。


「なっ、啼く」


「私、毎晩ベッドの中で我慢したんですよ」


「そ、そうですよね」


「褒めてもらいたいですね」


 宗介はカーペットに膝をつきじりじりと手を伸ばし果林をソファーの窪みへと追い込んだ。その目は熱を帯び臨戦態勢である事は明らかだった。それにしても心の準備が出来ていない、下着も宗介好みのシルクのパンティでは無かった。


(初めての夜が綿100%は失礼に当たる、よね)


「果林さん、さぁ、啼きましょう!」


「あ、あの!」


「あのもそのも、もう無しですよ。誕生日のお祝いですから派手にやりましょう」


「はっ・・・・・派手に!」


 尚の事、綿100%の下着は不相応だ。


「そ、宗介さん!」


「なんでしょうか」


「とっ、トイレと!もう一度洗って来て良いですか!」


 宗介の眉間にはシワが寄ったが腕組みをして暫し考えた。


(なにか準備をする事があるのか)


「分かりました、それでは私も洗い直しましょう」


「あ〜らいなお、す」


「はい、あんな事やこんな事があっては困りますので」


(あんな事ってどんな事!?)


 そこで10分後に宗介のベッドで集合ということになった。


(集合って遠足に出掛ける訳じゃないんですけど)


 情事の雰囲気半減どころか皆無の初夜を迎える果林はベッドの上にありったけのパンティを並べ仁王立ちして見下ろした。


(これはもう見せたし、これも見せた・・・・・あっ、これ!)


 いつぞやのランジェリーショップでレースが美しいと宗介が大絶賛していた濃紺に薄紅とだいだいの雛菊がフロントにあしらわれた大人の女性のキャミソールとパンティーのセットアップ。


「よし、これだ!ドーンと来い!」


 方向性が違う様な気もするが、隅々まで磨き上げた果林はそれを身に付けて宗介の部屋へと向かった。鼻息も荒く意気込んで部屋の扉を開けたがそこに宗介の姿は無かった。あれやこれやと言っていた割に宗介も色々と準備することがあったらしい。


(どうしたら良いのだ)


 ぼんやり立っているのも間抜けに思い果林はいつもの様にベッドに潜り込んだ。仰向けになると天窓に三日月が見えた。


(確かに)


 婚姻届の下書きをしたその夜から2人は宗介のベッドで眠るようになった。しかしながら宗介は抱き締めるだけでそれ以上のことはしなかった。


(確かに抱き締めるだけでなにもしなかったな)


 心から大切にされていると思った。そこで一瞬気が緩んだ果林はあごが外れそうな程の大欠伸おおあくびをした。


「おや、大欠伸おおあくびとは余裕ですね」


「仕事で疲れていて」


「そうですか」


「ごめんなさい、失礼しました」


「もっと疲れさせてしまったらごめんなさい」


「あっあの!」


 ぎしっ


 宗介がマットレスに膝を突き、ベッドが軋む音に果林の身体は強張った。


(き、緊張しない!リラックス、リラーーーックス)


 果林は心の中でそう唱えながら胸の前で握り拳を作り神に祈った。なにせセックスなど未知の領域、余裕など1mmも無かった。


「果林さん、力を抜いて、緊張しなくても大丈夫です」


「むっ、無理です、初めてなんです!」


「知っていますよ」


 そこで宗介がタオルケットに潜り込んだ。


「・・・・・・えっ」


 もぞもぞと動き回る宗介は足首を掴むと足の指を一本、また一本と口に含み始めた。爪先から駆け上がる微妙な感覚に果林は飛び上がった。右足の指を堪能し尽くした唇は左の小指をんだ。


「やっ」


 果林は思わず仰け反り嬌声きょうせいを漏らした。


「これは邪魔ですね」


 宗介はタオルケットを勢いよく剥ぐと両足首を掴んで持ち上げ果林の目を凝視しつつ足指を堪能し始めた。軽く噛み、口に含み舐めて吸い上げる。その呼吸する様な愛撫に果林は顔を背けた。


「果林さんこっちを見て」


「嫌です、恥ずかしい、無理です」


「見て」


 深く静かでいて唸るような声に果林は従うしかなかった。


(こんなの初めて)


 果林は両足を抱え上げられしゃぶり尽くされる自身の姿を恥じらいつつ身悶えた。


 両足首を抱えていた指先は果林の脹脛ふくらはぎを撫で膝で円を描くと太腿を撫で上げた。


「・・・・・・・・!」


「気持ち良いでしょう」


 果林が首を左右に振ると宗介は口元を歪め、今度は太腿の脇から撫で下ろし膝裏を突いて脹脛を軽いタッチで触れた。それを何度繰り返しただろう、果林の乳房の下には汗が滲み女性特有の香りが匂い立った。


「・・・・・・・ん」


 両膝裏を抱え上げた宗介は内腿うちももを舐め太腿の付け根で細かく震わせた。果林は背中を逸らしてその快感に耐えたが舌先が下着の縁から中へと差し込まれた瞬間、声が漏れた。


「あっ!」


「失礼」


 腰を引いて逃げようとしたが宗介の手はそれを許さなかった。指先は脇を撫で上げ小ぶりな胸に辿り着くとゆっくりと揉みしだき始めた。


「ん」


 上半身と下半身で交互に寄せては返す快感の波に果林の脳髄が白く霞んだ。


「・・・・・・ん」


「さぁ、脱ぎましょうか」


 身がとろけ始めた果林は力無く素肌を晒した。華奢な身体に丁度良い具合の乳房。


「そ、そうすけさ」


「はい」


「そうすけ、さん、アッ!」


 果林の両腕がその背中にしがみ付き宗介の名前を呼ぶ。


(・・・もう良い頃ですね)


 果林の背中が弓の様に反り返ると身体が小刻みに震えた。


「も、もう無理です、やめて下さい」


 その言葉に弾かれた宗介は枕の下からコンドームを取り出すと慣れた手付きでそれを根本まで被せた。


 ぎしっ


 たかぶった果林がうっすらと目を開くと宗介の唇が額をついばんだ。


「宗介さん」


「初めて見る果林さんです」


「見ないで下さい」


 果林は両手で顔を隠した。


「今、私は嬉しくて」


「嬉しくて?」


「堪りません」


 そう囁く宗介の面持ちは真剣だった。


「・・・・あっ」


「緊張しないで」


 宗介はそれに手を添えるとゆっくりと下半身を突き出した。


「・・・・んっ」


「力を抜いて下さい」


 果林の中に埋もれそれは喜びに震えた。宗介は果林の身体を突き上げたい衝動に駆られながらも耐え忍んだ。


「少し動かしますよ」


 果林は顔を隠したまま無言で頷いた。宗介は膝裏を抱え上げると角度を付けながら中へと押し入った。


「大丈夫ですから」


 浅く前後する腰は果林の身体を小刻みに揺さぶった。


「そんなに締め付けないで」


「む、無理です」


 一度絶頂に達した果林の中はそれをゆっくりと力強く咥え始めた。


「ん!」


 これまで平静を保っていた宗介だったが遂に我慢の限界を超え内壁の奥深くまでそれを挿し込んだ。


「・・・・・!」


「もう無理です、我慢出来ません、ごめんなさい」


 そう断りを入れた宗介は果林の脚を大きく開かせると前後に大きく動き始めた。交わった部分から滑った体液が滲み出し淫靡いんびな音が2人の興奮を煽った。


「・・・・・あ」


 小ぶりな胸が上下に揺さぶられ果林の指先がシーツに皺を作った。


(・・・宗介さん苦しそう)


 垣間見た宗介の額には汗が滲み眉は歪み口元はきつく結ばれていた。


(感じてくれているんだ)


 果林の中で宗介への愛おしさが込み上げその手は自然と背中にしがみ付き爪を立てていた。


「か、りんさ」


 2人が深く繋がった瞬間だった。


「あ、あ」


「んっ、んんっ」


 宗介は苦悶の表情を浮かべた。下腹が打ち付けられる音が絶え間なく響き果林の足の指がグッと握られそして開かれた。激しく前後する腰、果林は腹の奥底から爪先へとアルコールが紙に染み渡る様な感覚を覚えた。


「・・・・・!」


 2度目の絶頂を迎えた内壁は急激にすぼんでうごめき、容赦無く宗介を根本から先端に向かって吸い上げた。


「か、果林さん」


 深い呻き声を上げ果林の名前を呟くと宗介は腰を何度か震わせてコンドームの中に白濁した体液を放った。






 熱を帯びた吐息がこもるベッドには、果林の隣で仰向けになった宗介の姿があった。果林はその横顔を眺め頬を指で突いた。


「なんですか」


「すごかった」


「痛くなかったですか?」


「ちょっと、痛かったかな」


「ごめんなさい」


 宗介は果林の髪を撫でながら大きな溜め息を吐いた。


「私は出来るかどうか心配でした」


「38歳、あ、39歳だから?」


「5年ほどしていなかったので」


 果林は目を丸くした。


「こんなにカッコいいのに!」


「ありがとうございます」


「なんで!」


「仕事の方が楽しくて」


「そうなんだ」


「それに2年前からは果林さんのことしか見えていませんでしたから」


「・・・・・・ぶっ!」


 宗介は果林に向き直ると力強く抱き締めた。


「もう放しません」


「はい」


「私の果林さんです」


「はい」


 ふと気が付くと内股に硬いものを感じた。


「・・・・まさか」


「今日は私の誕生日ですから!」


「ちょ、ちょっと待って下さい!もう昨日になっています!」


「誕生日です!」


 宗介は果林に覆い被さった。







(んんん)


 翌朝、果林がベッドから起き上がるとそこには乱れに乱れたシーツ、首筋以外に花咲くキスマーク、髪の毛はボサボサだった。


(いない)


 そこに宗介の姿は無かった。果林は脱ぎ捨てたキャミソールとパンティーを探した。それはリビングのソファの上に綺麗に畳んで置かれていた。


(やはりマメだ)


 それをむんずと掴み上げると素裸のままシャワールームへと向かう。日頃から口うるさく言われていたのでシルク素材は手洗い、面倒だと思いつつもお洒落着用洗濯洗剤で押し洗いし浴槽内物干しにピンチで止めた。


(腰が、痛い)


 腰というより全身筋肉痛だ。あの後もう1回、合計3回愛の営みとやらを堪能させられた。


(痛かったけれど優しかったから許す)


 宗介のセックスは丁寧で痛みは幾分か和らいだ《あっち》の相性も良いのだろう寝不足の筈だが顔色は悪く無い、なんなら調子が良い。洗面所で歯を磨いていると扉がノックされた。


「おはようございます」


「おふぁよーごらいまひょ」


「朝食の準備が出来ましたから」


「ふぁ、ふぁいっ!」


 部屋着に着替えてリビングに行くと珈琲の芳しい香が漂っていた。「サンドイッチを作って来たからどうぞ」とドヤ顔で腕組みをしている。確かに初めて作ったにも関わらずバターの量も丁度良い、具材もバラエティに富み切り口も綺麗だ。


「すごい!綺麗に切れましたね!」

「あぁ、それは板さんが出勤して来たからお願いしました」

「・・・・・正直で宜しいですね」


 それは果林と宗介が結ばれた晴れやかな朝、天窓には青い空が広がっていた。


10月5日 


 Apaiserアペゼは無事オープンを迎えたがオーナー果林の動きはどこかぎこちなく、副社長宗介は腰をさすっていた。




「え・・・・そうなんですか」


「そうなんだよ、来賓らいひんのみなさんが果林さんが疲れているようなので大丈夫なのかと心配していたよ」


「申し訳ありません。緊張していたのでそう見えたのかもしれません」


「そうなら良いんだが無理は禁物だよ」


「あらあらあら、あまり張り切らないでね」


 そう笑いながらナフキンで口元を拭う佳子の目は三日月のように細くなにかを察知したようで果林は内心冷や汗をかいた。



「え・・・・そうなんですか」


「そうなんだよ、来賓らいひんのみなさんが宗介の様子がおかしいと心配していたよ」


「様子がおかしい、ですか?」


「ああ、腰を痛めたんじゃないかと気に掛けていたよ。大丈夫なのか宗介」


「問題ありません」


ぐふっ


 宗介は我関せずと澄まし顔でビーフステーキにナイフを入れたが果林は明らかに動揺した。案の定、佳子の目は猫の目のようになって果林と宗介を交互に見た。


「あらあらあら、あまりおいたはしないでね」


 やはり佳子は昨夜2人が結ばれたことに気がついている。


(あわあわあわ)


 果林は顔が火照り脇に汗をかいた。


(そ、宗介さんは動じないんだな)


 微妙な家族団欒かぞくだんらんは果林にとって気恥ずかしく居心地の悪いものだった。


(はぁ〜緊張した!)


「果林さん、どうしたんですか?」


「どうしたもこうしたも、お義母さんは私たちのことに気付いていますよ」


「私たちの事?ああ、セッ・・・・」


「それ以上は言わなくて結構です!」


「そうですか」


 鼻歌まじりの宗介はチェストの引き出しから1枚の紙を取り出した。果林がApaiserアペゼオープンの日まで保留にしていた書類だ。


「はい、お約束ですよ」


 宗介は片手に消しゴム、朱肉と印鑑を持ち、リビングテーブルには婚姻届が広げられた。


「さぁ、果林さん!シャープなペンソーは消して下さい!」


「あぁ、シャープペンシルですね」


「はい!」


 果林は消しゴムを受け取ると、婚姻届が破れない様にゆっくりと丁寧にこれまでの人生を消した。


「私、宗介さんの奥さんになるんですね」


「はい!」


「宗介さんが私の旦那さんになるんですね」


「そうなりますね!」


「幸せです」


「私はその倍幸せです」


「私はその倍の倍の倍幸せです!」


 宗介は果林の口をついばむと両手を広げて「これくらい幸せです!」と顔をほころばせた。すると果林はリビングの端から端まで指先で線を引くと「私はこれくらい幸せですよ!」と答えた。


「私はこれくらい幸せですよ!」


 とうとう宗介は2年の片思いが成就した喜びでリビングの中をぐるぐる回り始めた。


「宗介さん、喜びすぎですよ」


「まだまだ足りません!」


 果林は婚姻届に印鑑を力強く捺した。これで2人はこの婚姻届を市役所に提出すれば晴れて夫婦になる。夫婦になる筈だった。

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