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第29話 気まずい


 あれから、数日が経った。

 毎日のように、俺ん家のチャイムを鳴らす航太が、消えてしまった。


 母親の綾さんは変わらず、毎晩家に男を呼んではどんちゃん騒ぎ……。

 それでも、航太は家から出て来ない。


 やはり、この前のスク水……お風呂での出来事が良くなかったのか。

 男同士とは言え、後ろから思いきり抱きしめてしまった。

 ショックだったのかな。

 俺みたいなアラサーの男から、抱きしめられたから。


 何回か、コンビニで肉まんを買っては、彼の姿を探してみたが。

 アパートで見かけることは無かった。

 中学校には通っているだろうと、コンビニの駐車場でタバコを吸って、待機してみる。


「ダメか……」


 今日も空振り。というか、嫌われたのかな?

 さすがに水着は刺激が強すぎて、トラウマになったとか。

 これでもう会えない……なんてちょっと後味が悪い。

 俺が謝って関係を修復できるのなら、そうしたいけど。


 今日はもう航太が現れないと思った俺は、吸っていたタバコを灰皿の中へ捨てる。

 いくら半纏はんてんを着ているとは言え、12月の夕方は冷える……。そう思った瞬間だった。

 目の前にある駐車場へ一台の車が停まった。


「あ、お釣りは良いので……」


 タクシーから出てきたのは、20代の若い女性。

 初老の男性運転手へ、一万円札を渡したのに。まさかの「釣りはいらない」と断言する。

 見ているだけでイライラする。

 こんな若い姉ちゃんが、親ぐらいのおじさんにチップを渡すとは。

 一体、どんな職業に就いていたら、そんな余裕ができるのだろう?

 どうせ、お水だろう……と背中を向けた時、その声の持ち主が俺を呼び止める。


「あ、あの……ひょっとして、翔ちゃん!?」


 聞き覚えのある声だった。

 まさかと思い、振り返ると……。


「お前……未来か?」

「うん、そうだよ」


 と、はにかむ女性。

 俺の元カノ、今泉いまいずみ 未来みくる。プロの漫画家だ。


  ※


「こんなところで会うなんて、驚きだね」

「おい……ここは、俺の地元みたいな場所だぞ?」

「そうだったね」


 と口元を手で隠して笑う。

 なぜそんな風に手で隠すのか? と昔、聞いたら「八重歯が気になる」らしい。

 コンプレックスからそんな笑い方をするのだが、俺はむしろ可愛いと思った。


 しかし、変わらないのはそんな仕草だけで……。

 以前の地味なマンガ好きな彼女は、どこかへ消えていた。


 学生時代は、眼鏡のショートボブで冴えない女子学生だったのに。

 今は髪を肩まで伸ばしているし、毛先に緩くパーマをかけている。


 着ている服も大幅にイメチェンしていた。

 ブラウンのチェスターコートを優雅に羽織り、中は白いニットセーターに、黒のパンツ。

 流行り物を取り入れながら、大人の女性へと成長していた。

 その証拠に、寒がりのくせして、足もとはくるぶしを出している。

 パンプスもピカピカに磨いてある。


 一体、この三年間に何があったんだ?


「……」

「翔ちゃん? どうしたの?」


 未来に声をかけられるまで、我を忘れていた。

 あまりの変貌ぶりに。


「悪い、あまりの化けっぷりにな……」

「酷くない? 私だってこの数年間、仕事とかで打ち合わせするから、ファッションとかメイクに気を使っているだけだよ」


 そうは言うが、ひょっとして……。

 新しい彼氏でも出来たのか?


「そんなことより、お前……なんで”藤の丸ふじのまる”に来たんだよ?」

「ああ、そうだった。実は大学に呼ばれてね。講師をやってきたの」

「講師ぃ?」


 思わずアホな声が出てしまう。


「うん、ほら。こう見えて私、”少年チャンプ”の漫画家だからさ」

「……それで母校に?」

「そうなの。もうタクシーで帰ろうとしたら、久しぶりに”あそこ”のドリアを思い出してさ」


 と鼻の下をかいてみる。

 なるほど、俺たちが学生時代によく通った喫茶店。

 “ライム”のカレードリアか。


 しばらく考えた後、気がつけば俺から彼女を誘っていた。


「なら……一緒に食うか?」

「え? いいの!?」


 俺たちはもう終わった関係だ。

 別にお互いを嫌っているわけじゃない。

 恋人から友人へ戻ったようなもの。

 なら食事ぐらい、良いだろう。


「うれしいなぁ~ 翔ちゃんとまた一緒に食べられるなんて!」


 胸の前で拍手して、喜んでみせる未来。


「別に、ただのドリアだろ……」

「それでも、私の中では大切な思い出なんだもん」


 そう言う彼女の横顔は、どこか寂しそうに見えた。

 しかし、次の瞬間。一気に現実に戻される。


「ていうかさ、翔ちゃん。まだその半纏を着ているの? ダサいよ?」

「俺はこれでいいんだ!」

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