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ひとり焼肉 ロース7枚目

早朝の寝起きにラインに1通のメッセージが届いた。


『今日は長男の誕生日だから家族サービスに徹底するわ。ごめん』


部長の山下透から文字だけの重いメッセージ。ただ単に用事があるとか、完全なるスルーの方がどんなに楽か。スタンプさえも推してない。仕事以外で瑞季と月に会う回数なんて、たかがしれている。


なぜかモヤモヤした。ベッドからおりて、ネクリジェワンピースをバサっと脱いで、いつもの仕事着のスーツに着替えた。セミロングまで伸びたウェーブがかかった髪をバレッタでとめた。ハーフアップで結ぶことが多かった。


ビューラでまつ毛をあげて、マスカラをつける。ブラウンのアイシャドウと黒のアイライナーを目元ギリギリに入れた。今日は、帰りにひとり焼肉に絶対行こう。給料日前だって、これは行かないとストレスがたまって明日に響く。


そう決意をして、近所のパン屋で買っていたロールパン1つとインスタントのホットコーヒー1杯を飲んで、家を出た。


「おはようございます」


 会社のフロアに着いてすぐに挨拶すると、早々に部長の山下がデスクに座っていた。いつもよりかなり早い出勤だ。女子社員の佐藤はまだ来ていない。お茶出しは私かとため息をつきながら、給湯室に向かう。後ろから歩く音がした。他の社員はまだ出勤していなかった。給湯室まで追いかけてきた山下が、後ろにいた。


「……今朝はごめん。沢村くんと予定してた訳じゃないんだけど、念押しで」


 顔の目の前で手を合わせて言ってくる。そこまで言われるとこれを許さなかったら、かなり心が狭い人になりそうだ。


「別に、いいですよ。 二番煎じですから、私。慣れてますし。 部長のお茶も二番煎じで入れてあげますよ。私が先ね!!」


 急須に緑茶の葉とお湯を注ぎ入れて、湯呑みに先に瑞季の分、後からまたお湯を入れてもう一度2杯目のお茶を入れた。少し緑色が薄くなっていた。


「……俺は、どっちのお茶も喜んで飲むよ。沢村くんの入れたお茶はどれもうまいからな」


 給湯室の一室で山下部長は、瑞季の入れたお茶をぐびっと飲み干して、腰を右手で自分の方へ体を引き寄せた。


「今日、会わないことでヤキモチ妬いてるんだろ?」


 瑞季の首筋に唇を添える。


「ちょ、会社ではやめてって。本当に!!」


 鳥肌が止まらなかった。いつものフィールドじゃないことに 現実に戻される。これがバレたらとんでもないことになることくらい瑞季もばかではない。山下部長の体を両手で飛ばした。

小声で


「セクハラで訴えますよ!!」


 遠くで続々と社員たちが出勤してきた。ギリギリセーフで気づいていない。ズレたメガネを掛け直した山下は、スーツを整えた。


「……ふぅ。お茶、入れ直しておいて。さ、仕事仕事!」


 ごまかすようにデスクに戻る。いらだちが止まらない。瑞季の額に筋が入る。


「あ、沢村先輩!おはようございます。お茶出しですよね。私もやりまーす。ん? どうかしました?」


 20代ただ1人の女子社員の佐藤遥香がやっとこそ出勤してきた。先輩後輩関係なく、ギリギリに出勤してくることに少し不満はあったが、言ってもきかないので諦めていた。お茶出しを文句を言わずにやってくれることを褒めようと考えた。


「あ、なんでもないの。みんなのお茶出ししようか」

「髪ほどけてますよ? 大丈夫ですか?」

「今流行りでしょう。無造作ヘアというか、あえてのふわって

 垂らす感じ」


 本当はさっき山下部長と接触した時に壁におされて髪が乱れた。後で直そうとバレッタを外した。佐藤はトレイにそれぞれの社員の湯呑みを置き始めた。


「ごめん、頼んでいい? 結び直してくる」

「はい。わかりました。配っておきますね」

「よろしく」


 トイレに行って、化粧の確認と髪の結び直しをした。ハーフアップからポニーテールに変更した。よく見たら、蚊に刺されたような跡が首についていた。ハッと気づいて、手でパチンと叩いた。蚊に刺された訳じゃないのに。きっと山下部長がつけた跡。


 目立たないところではあるが、ファンデーションでごまかして着ていたワイシャツのボタンをギリギリまでつけて隠した。


 いつもはこんなボロが出そうなことしないのに部長の考えがわからない。他にも男がいるとか、彼氏がいるとか考え始めたのか。部長自身も心配になったようだ。瑞季は山下部長の行動に不満を持ちながら、1日を過ごした。


 幸いにも朝の出来事以外は困ったことは起きなかった。安心して帰れると、両腕を天高く伸ばした。


「あー、今日も終わった」

「お疲れ様です。お先に失礼します」


 同僚たちが次々と瑞季の後ろを流れるように帰っていく。

佐藤遥香は、いつの間にか自分よりも早く湯呑みや急須を片付け始めた。言われる前にやっていることに珍しいなと思った。


「佐藤さん。ごめんなさい。朝からずっと、任せっぱなしで…

 ありがとう」

「いいんです。いつも、沢村先輩にやってもらってるんですから、たまには私もがんばらないとって思ってましたから」

「そう? ありがとうね。助かるわ」


 佐藤の隣に立って、洗ってもらった食器をふきんで拭く作業をした。


「部長と何かあったんですか?」

「え、別に何もないよ?」

「そうですか。私の勘違いか。部長と揉めたのかなと思いまして……」

「揉めるも何も……。なんでそんなこと聞くの?」



「今朝、給湯室でお2人が喧嘩みたいに揉めてるの見ちゃいまして…。見間違いかもしれないんですけど」

「あー、あれ。ただ、お茶の二番煎じの味確かめてみるって話しただけよ。喧嘩はしてないわ」


 ごまかすように話した。


「そうなんですね。よかった。揉めてたらどうしようと

 思って……」

「大丈夫、大丈夫」


 瑞季の心の中で大きなため息をついた。


(危ない、危ない。見つかるところだった)


「さ、定時過ぎちゃうよ。帰りましょう」


瑞季は湯呑みや急須をまとめて、食器棚に戻した。佐藤は自分のデスクに戻り、バックにスマホなどの片付け方をしている。瑞季もバックを取りにデスクに戻り、バックを肩にかけた。


「お疲れ様でした」


お互いに挨拶を済ませて、会社を後にした。

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