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第19話

 真昼さんは短期大学卒業後、叔父、竹村 政宗たけむらまさむね氏が社長を務める竹村事務機器たけむらじむききの事務員として働いている。


「いやーーー、まっさか龍彦が一騒動を起こすたぁなぁ」

「ブスーーッと背後から刺したいのは私よ!」

「だよなぁ」

「そうよ!」


 昨夜の田村龍彦による事件は地方局のニュース番組に取り上げられた。沈丁花の垣根がテレビ画面に映し出され、隣家の高田さんがインタビューに応えていた。


「ブスーーーっよ!」


 そんな事を話しながら真昼さんが手作り弁当の蓋を開けるといつもと違う臭いがしたらしい。卵焼きを箸で摘んで口に入れてみたところ、胃液が喉を駆け上った。


「ーーーーーう、え」

「真昼さん、どうしたんですか?」


 真昼さんは事務の美香さんに弁当箱を手渡した。


「ちょ、ちょっと臭いを嗅いでみて」

「はい」


 美香さんはふんふんと鼻先で臭いを嗅ぐと、卵焼きを指で摘んで口に放り込んだ。


「ああっ、駄目!腐っているから!」

「ふぇぇんふぇぇん、はいひょうふへす」

「嘘、出して出してーーー!」

「大丈夫です!いつもの美味しい卵焼きです!」


 真昼さんの卵料理は旨いと評判だ。ところが真昼さんはそのままトイレに駆け込んだ。ウェロロロロ、昼休憩には宜しくない音が廊下に響いた。


「え、ちょっと。真昼さん、大丈夫ですか!?」

「み、みがぢゃん、けいだいどっで」

「は、はい!」


 私の私用携帯電話に着信があったのは正午すぎ、丁度その弁当箱の蓋を開けたところだった。緊迫した声で「弁当を食べないで」とだけ告げ電話は不通となった。


(な、なにがあったんだーーーー!)


 昨日の今日で心因的な不具合が生じたのかと竹村事務機器に電話を掛けると、真昼さんは嘔吐が止まらずトイレに篭ったままだと言った。


「たっ、竹村さん!」


 私は慌てて竹村さんのデスクに向かった。例の弁当は空になり、竹村さんは平然とした顔で爪楊枝を咥えていた。


「真昼さんの様子がおかしいんです!」

「あいつがおかしいのはいつもの事だろう」


 さすが27年、年季が違う、落ち着いたものだ。それに比べて私は情けないほどに取り乱している。


ルルルル ルルルル


「ほい、なんだ、仕事中には掛けるなと言っとるだろうが」


 発信者は政宗氏だった。


「な、なんだ!す、すぐ行く!病院はどこだ!」

「竹村さん、どうしたんですか!」


 竹村さんは椅子を後ろに倒して立ち上がると背広を手に102号車のタグナンバーがぶら下がった捜査車両の鍵を私に向かって放り投げた。


「行くぞ!」

「事件ですか、事故ですか!」

「救急車だ!」

「はぁ!?」


 なんという事だろう、真昼さんは救急車で病院に搬送されていると言う。


(いや、それにしても個人的な事で捜査車両は)


 竹村さんにとってこの車覆面パトカーは自家用車なのかもしれない。


(市民の税金が)


 そう思いつつも、私は強くハンドルを握った。


「おめでとうございます」

「ーーーーはい?」


 満面の笑みを湛えた女医は私に向き直ると一枚の薄いプリント用紙を手渡した。


「これ、は」


 黒い扇形の真ん中に、小さなそら豆に似た白点が確認出来た。


「奥さま、妊娠17週ですよ、出産予定日は9月11日ですね」

「にん、し、ん」

「はい」


 次の瞬間、私は間抜けな質問をし失笑されてしまった。


「お、男ですか!女ですか!」

「お父さん、それはもう少し先にならないと分かりません」

(お、おとう、さん)


 ウェロロロロ


 真昼さんは嘔吐が止まらず、私の背後で洗面器を抱えていた。


「大丈夫ですか」

「ゔぁいじょうぶ」


 さすがに真昼さんを自宅までする訳にはゆかずタクシーの配車を依頼した。そして私たちは警邏に出向いていた素振りで署へと戻った。


「おい」

「なんでしょうか」

「こりゃあ、真昼の腹がデカくなる前に式を挙げんとな」

「そんないきなり」


 竹村さんは階段の踊り場で私の襟元を捻り上げると詰め寄った。


「なんだ、おまえ約束が違うじゃねーか」

「い、いえ。そんな意味では」

「真昼を傷物にしやがって、口から手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタさせるぞ」

「それは勘弁して下さい」


 竹村さんはデスクに座るなりパソコンを起動させた。嫌な予感がした。


「あぁ・・・・」


 案の定、ブライダル情報サイトを閲覧しメモ帳に何やら書き込んでいる。これは上司としては注意しなければならない。


「竹村さん」

「なんだ」

「勤務中です」

「おう、人生はいつでも勤務中だ」

「なにを言っているんですか」

「奥歯ガタガタ言わすぞテメェ」


 私はポリポリと頭を掻きながらデスクに戻った。


(署のパソコンは好ましくない)


 私はスーツのポケットを弄り、私用携帯電話をタップした。


キーンコーンカーンコーン キーンコーンカーンコーン


 私と竹村さんは、高等学校帰宅部部員の如く階段を駆け下りた。


「たっ、竹村さん、腰は大丈夫なんですか!」

「娘の一大事に腰どころじゃねーだろ!」


 真昼さんの突然の受胎告知に慌てふためいた私たちだったが、祝いの赤飯は忘れなかった。


「おう!帰ったぞ!」

「真昼さん、具合は如何ですか!」


 玄関の扉を開けると真昼さんはリビングのソファーに身を投げ出し、隣には洗面器が置いてあった。


「おかえりーーーー今、吐き気止めが効いてる」

「そんな!薬なんて大丈夫なんですか!」

「ヤブ医者じゃねぇだろうな!」

「やっ、やめて下さい!これからお世話になるお医者さまですよ!」


 私は携帯電話を握った竹村さんの手を止めた。


「お、そうだ。赤飯買って来たぞ」

「赤飯」

「祝いだ、祝い!」


 真昼さんは赤飯がぎっしり詰まった木箱の蓋を開けた途端、顔をしかめた。


「ごめん」


 とにかく二人が賑々しくて疲れるから部屋に行くと言い、廊下を壁伝いに歩き部屋の扉を閉めた。


ウェロロロロ


「だ、大丈夫なのかありゃぁ」

「落ち着きましょう」

「お、おお」

「一旦、落ち着きましょう」

「うろうろ歩いてないでテメェが落ち着けや!」

「あ、はい」


 どうやら私は動物園の檻の動物状態だった。


「まぁ、座れや」

「はい」


 私と竹村さんはソファーに並んで座り、ブライダル情報のサイトを検索し始めた。


「結婚式ってのはそんなに時間が掛かるもんなのか」

「あぁ、結婚式場は予約制ですからすぐには難しいですね」

「畜生、一年先までびっしり埋まってやがる」

「その件なのですが」


 私は身内だけの、小ぢんまりとした結婚式を提案した。


大仰おおぎょうな結婚式、披露宴となりますと警察関係者を招待する事になると思います」

「あぁ、おまえは一応、警視正だしな」

「竹村さんも警部ですから」


「・・・・・・・」

「・・・面倒だな」

「それに実家うちには市議会議員に弁護士と賑やかです」

「・・・・・だな」

「真昼さんの体調の事もありますし、挙式後に両家の会食程度で如何でしょうか」

「・・・・・だな」

「まぁ、真昼さんのご希望も伺ってからですが」

「・・・・・だな」


 そこで私たちは「もう一度ウェディングドレスが着たい」という真昼さんの希望もあり、1月中旬以降に挙式が可能な教会を探した。


「カトリック金沢教会、ここはどうでしょう」

「あぁ、駐車場もあるな」

「広坂大通りに面していますから、除雪融雪装置も万全です」


 私の希望通りの小ぢんまりした教会にちょうど空きがあった。裏手には21世紀美術館もあり交通の便も良く駐車場も確保出来た。


「ここなら卯辰山の料亭にも近いな」

「真昼さん、ここで良いですか」

「も、もう何処でも良い、ウェロロロロ」


 真昼さんの悪阻つわりはやや重く、宴席は竹村家で済ませようという案も出た。


「なーーーに!そんなしょぼい結婚式なの!」


 想像通り、派手好きの義姉は玄関で仁王立ちになり腕を組んだ。


「はい!これ、賄賂じゃないわよ!」


 そして豪奢な水引で飾られたご祝儀袋を置いていった。


「おまえの義姉ちゃんは派手だが、金額も派手だな」

「まぁ、頂いておきましょう」

「・・・・・・・・・・だな」

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