ここは霊界の入口、お花畑。
今ここに十万人を超す人々が、老若男女問わず集まっていた。
通常時、日本人が一日にお花畑にやってくる人数は約四千人。三日で一万二千人ぐらいだ。
しかし、たったの三日間であっという間に人々が集まってきて、三日で十万人を超した。
史上最悪な災害が発生した。
首都直下型大地震と史上最強の台風がほぼ同時に東京圏を襲った。
まず、首都直下型大地震が東京圏を襲い、大地の揺れは建物を倒壊させ、建物の倒壊が火事招き、都市を焼いた。その建物の倒壊と火事だけで大勢が死んだ。
そこに台風が襲った。強風は都市を焼く炎を勢いづかせ、さらに激しく都市を焼いた。しかし、後から来た大雨で火事は一気に消火され、火事は治まった。だが次は、大地震でインフラや治水設備が破壊され、想定していた能力を発揮すことはなく、あっけなく大洪水を彼方此方に引き起こした。
それだけではなかった。洪水が起きた時に避難できるように準備されていた設備が、大地震で破壊された箇所も多数あった。つまり、避難先が無かった人々が大勢発生した。
首都直下型大地震だけなら、およそ二万三千人程度の死者で済んだであろう。また、史上最強の台風だけなら、およそ五千人程度で済んだであろう。だが、二つ同時に起こると、単純に足し合わせただけでは済まず、相乗効果により、十万人以上に死者は膨らんだ。
突然の出来事、悪夢のような出来事、これらは多くの人々を短時間で死に至らしめた。
その為、大勢の霊たちが、死んだ自覚もなく、なぜ今ここにいるのかさえ分からずにいた。
死んだ自覚のない大勢の霊たちは、ジッとしていられず、ザワザワ騒ぎ出す。一人一人、離れた位置にいたが、ジッとしていられず動きだし、近くに居る人に話しかける者まで現れる。そして、あっという間に霊界の入口のお花畑には似つかわしくない程、騒がしくなる。
一見お巡りさんのような服装の警備員たちが、お花畑の中、彼方此方に現れる。警備員の正体は、あの世を管理する鬼たちであった。
警備員姿の鬼たちは、今いる場所から動かないように、そして、案内人が声を掛けるまで待つように呼びかける。
自分が地震や火事や台風、洪水などの災害が原因で死んで、霊界の入口お花畑に来たという自覚、つまり自分が死者であるという自覚のある霊は、鬼の言葉に従った。
しかし、死んだ自覚のない多くの霊たちは、従う様子はなかった。勝手にあちこち歩きまわり、誰彼構わず話し掛けたりしていた。
余りにも、多くの霊がそんな感じなので、鬼たちは、霊を黙らせ、移動を禁止するのは、無理だと悟る。
鬼たちは、全体を統制するのではなく、特別羽目を外している者たちを重点的に対処することにした。
また一人の霊がお花畑に現れた。
ビジネスカジュアルの服装で、ノーネクタイのワイシャツの上に黒のジャケットに黒のパンツをはいている熟年の男、天野輝だ。
天野は、自分の体の彼方此方を触る。
「うーん。おかしい」
天野は、余震により崩れた建物の下敷きになりそうになり、逃げようとしたが地面が洪水で足元をとられ、逃げることもできなかった。まさに絶体絶命だった。
そこまで天野は覚えていた。しかし、そこから先の記憶がない。
天野は今度、周りを見回す。広いお花畑にところどころに点在する人々。脈絡もなく、突然お花畑に現れた。
「そうか。僕は死んでここに飛ばされたんだ」
天野は現状を理解し、独り言がこぼれた。
その天野の言葉を聞いた近くの霊が、敏感に反応する。
「死んでここに飛ばされたってどういうことだ?」
天野の近くにいた若者の霊が言った。
天野には、その若者の霊になぜか黒い靄が絡みついているように見えた。しかし他の霊には見えていない。
そして、天野がその黒い靄を目を凝らしてみると、地面から生えている黒い手に見え、若者の体を掴んでいるように見えた。
「やれやれ。死んだ自覚もないのか」
天野の死んだという言葉は、他の霊たちに影響を及ぼす。もちろん影響を受けない者もいたが。
自分も死んだことに気付き受け入れた者、死んだことを受け入れられない者と別れる。
「適当なこと言ってんじゃないぞ」
若者の霊が、天野の方へ詰め寄る。
すると、その間に割って入るように鬼が間に入る。
「じゃまだ。警備員どけ」
若者の霊は、鬼へ言った。
「その
天野は何の根拠もなかったが、思わず言ったが遅かった。若者の霊は鬼を殴ってしまう。
若者の霊の足元から黒い靄が激しく発生し、地面に飲み込んだ。その場にいた霊たちには、そのように見えた。
しかし、天野には、ちょっと違って見えた。
若者の足元から無数の手が伸び、若者を掴み、地面の中へと引き摺り込んだ。
「あんたたち鬼に逆らうと、皆今のようになるの?」
天野は殴られた鬼に聞いた。
「いいえ。私を殴ったのはきっかけに過ぎません。あなたには黒い靄の正体。穢れが何か見えていたでしょ」
「あの地面から伸びた手は、穢れと言うんだ」
天野が飄々と言うと、鬼は短く溜息を吐く。
「他の亡者にそのことを言わないでくださいよ。特に穢れ塗れの人には」
天野が周りにいる亡者たちを見ると、穢れがこびりついている人間が多くいた。
「人間ってこんなに穢れているもんなの?」
「穢れは、短時間に大勢死ぬと蔓延するんですよ。例えば、今回のように災害で大勢死んだりすると」
天野は渋い顔をする。
「首都直下型地震では二万三千人ぐらい死ぬと試算されていたから、やっぱりそのぐらい死んだの? 台風も来ていたから試算より多かったのかな?」
天野は聞いた。
すると鬼は、複雑な表情をした。
「あなたに死者数を見通す千里眼がないとわかって安心しました」
「普通の人間に千里眼なんてあるわけないだろ」
「でも、穢れは見破れる」
「生前にはなかった能力だけどね」
天野は、肩を竦める。
「ところで、死者数はどのぐらい多かったの?」
天野は、もう一度聞いた。
鬼は、答えるまで聞かれると悟り、溜息を吐く。
「政府がインフラ整備を怠けたせいで、地震と台風のダブルパンチにインフラが耐えきれず崩壊。そのせいで死者数は爆上がりさ」
鬼は、愚痴をぶちまけるように言った。
「つまり僕の予想と言うか、専門家の試算、首都直下型大地震の二万三千人と台風の数千人を合わせた人数より大分上回ったという事かな」
鬼は、憮然とする。
「生前に知り得なかったことを今更知ってどうするのですか? そう言う詮索は止めて欲しい」
「気分を害したのなら申し訳ない。でも、生前、インフラ整備をちゃんとやらないといけないと主張していたのでね」
天野たちの傍に上下ジャージを着た中年の男がやって来る。
「おい。さっき耳にしたんだが、政府がインフラ整備を怠けたせいで死者が爆上がりしたって言うのは本当のことか?」
ジャージ男が聞いた。
天野は、ジャージ男を見るとゾッとする。
ジャージ男の下半身には、大量の穢れがこびり付いていたからだ。
「僕は因果関係まで証明する情報は持ち合わせていない。だが、歴代政権がインフラ整備するのに十分な予算を確保していなかったのは確かだ」
天野は生前の知識から言った。
「なんでそんな事お前は知っている。お前は政府の犬か!」
ジャージ男の剣幕に危険を感じた鬼が天野のとの間に割って入いる。
「あのね。さっき言った情報は、政府のホームページに普通に公開されている情報。普通の人が知っていても不思議じゃないよ。それに僕はただの普通の企業に勤めていたサラリーマンだ。政府の犬じゃない」
天野は淡々と語った。
「疑って悪かったよ。でも、俺が死んだのは、政府がインフラ整備を怠けたせいなんだろ」
ジャージ男は、騒ぎ出す。
「そんなの僕が知るわけないだろ」
天野の声は、すでにジャージ男に届いていなかった。ジャージ男は騒ぎ続け、政府がインフラ整備を怠けたから大勢死んだという情報がお花畑中に拡散された。
また、別の霊が、「御用学者が災害が起きた時の為に国債発行できるように財政余力を残した方が良いと言ったから政府がインフラ整備を怠けたんだ~」と、噂をさらに大きくする。
確かに、分かり難い言い方をしているが、「災害が起きるまで何も対策するな」を意味することを言っていたのだから、その災害で死んだ者たちに十分恨まれるだけの発言ではあるだろう。
霊たちの怒りのボルテージは上がり、「御用学者がここに居たら殴ってやる」と息巻いている霊も少数ながら現れた。
「あなたのせいで、政府への憎しみが広まってしまったじゃないですか」
鬼が天野に言った。
「事実を伝えた結果そうなったのなら、憎まれた政府に問題があるんじゃない? それに政府に問題があると言ったのは君だろ」
鬼は憮然とする。
確かに、政府がちゃんとやっていたとしても、被害者が出ることが想定されていた。だから、個別個別で見た場合、必ずしも政府のせいだけとは言えない訳だが、天野はそこまでは言わなかった。
自分自身も、想定外に死んだことには変わりないからだ。
天野との会話が途切れると、鬼は行ってしまう。
暇になった天野は、フッと穢れまみれの霊が目についた。天野はその人物が非常に気になってしょうがなかった。
天野は、その人物の穢れ具合に気を付けながら、ゆっくり近づいていく。
そして、穢れているその人物の顔をマジマジ見る。
天野は見覚えがあったが、友人とか知人ではないのはすぐわかる。有名人だったと思った。
「そうだ。土井竹郎さんじゃないですか?」
天野は、尋ねる。
天野の記憶は、正しかった。天野が確認の為、尋ねた相手は日本政府の御用学者の土井竹郎であった。
土井竹郎は、「災害が起きた時の為に国債発行できるように財政余力を残した方が良い」と言った御用学者であり、政府にインフラ整備を怠ける口実を作った学者である。つまり、今、お花畑の霊たちの怒りの矛先になっている御用学者の一人だ。
土井竹郎は、言葉に出さず、手であっちに行けと合図する。
天野は、土井の纏わりつく穢れを警戒しつつ、土井の顔を覗き込もうと移動する。
土井は顔を隠そうとする。
天野の元に、高価な腕時計に金のネックレスを付け、派手なジャケットを着ている男がやって来た。その男も穢れ塗れであった。
「お前、今、土井竹郎と言わなかったか?」
天野は、突然話しかけられて驚き、穢れに気付き思わず後退りする。
「いきなり話しかけないでくれ。ビックリするだろ」
天野は言った。
「土井竹郎の仲間か?」
派手なジャケット男は、穢れをばら撒きながら言った。天野は穢れを嫌がり距離を取る。その行動が怯えていると派手なジャケット男は、勘違いする。
天野の主観的には、バッチィモノを突然突き付けられたので避けただけである。
「そんなわけないだろ。土井先生はあっちの顔を隠している人だよ」
土井は、舌打ちして逃げ出す。