「もしかして……魔物でしょうか……?」
私の質問に対して、ブレットは頷く。
「ええ、恐らくは……」
「あの鉄柵は、一体何なんですか?」
「あれは、作業員たちを魔物から守るために設置されたものなんですよ。俺たちは、あの鉄柵から先には行かないようにと言われているんです」
ブレット曰く、現在は鉄柵より先での採掘は禁止されているらしい。
理由は、奥に行けば行くほど危険な魔物が出現するからだ。よく見てみれば、「これより先 立ち入り禁止」と書かれた看板が鉄柵のそばに設置されている。
坑道を進んでさらに奥に行けば他にも良質な鉱石が眠っているかもしれないが、立ち入りが禁止されているのであれば仕方がない。
「あの鉄柵には、強力な結界魔法が施されています。なので、恐らくこちら側には来れないとは思いますが……」
ブレットはそう言いつつも、油断はできないといった様子だった。
次の瞬間、私たちの耳に飛び込んできたのはこちらを威嚇するような咆哮だった。
「ウオオオオオオォォン!!!!」
耳をつんざくような大音響に、私は慌てて耳を塞ぐ。
(な、何……!?)
「……あれ、何でしょうか?」
サラが指さした方向を見ると、鉄柵の一部が破壊されており、何かが佇んでいるのが分かった。
その何かは、ゆっくりとした足取りでこちらに近づいてくる。──間違いない、あれは魔物だ。
「ひぃっ……!」
突如現れた魔物を目の当たりにしたサラが、悲鳴を漏らす。
体長は、およそ二メートル強。全身が銀色の体毛に覆われ、鋭い牙と爪を持っている。
「で、出た……」
その姿を見たブレットが青ざめた顔で後ずさりする。
「実は先日、作業員の一人が魔物に襲われて負傷したんです。幸い、命からがら逃げて事なきを得ましたが……その作業員が言っていた魔物の特徴と一致しているんです」
「ということは……」
呟きながら、私は再び魔物のほうを見やる。
その目は赤く血走っており、明らかに理性など持ち合わせていないように見えた。
(あんなのに襲われたら、ひとたまりもないわ……)
そう思いつつ、私はゴクリと固唾を呑んだ。
「その時は、てっきり彼の魔除けの香水の効果が切れたものだとばかり思っていたのですが……」
そこまで言うと、ブレットは言葉を失った。よほどの恐怖を感じたのか、体が小刻みに震えている。
「あの鉄柵を難なく破壊しているところを見る限り、香水の効果は切れていなかった可能性が高いと──つまり、そういうことですね?」
私の問いかけに対し、ブレットは震えながらも頷く。
「……あれは、一体何なんですか?」
「お、恐らくですが……シルバーウルフという人狼の一種かと思われます。随分昔に絶滅したと聞いていたので、まさかこんなところで遭遇するとは思ってもみませんでした」
ブレットがそう言った直後。ついに痺れを切らせたのか、シルバーウルフが動いた。
猛然と走り出したかと思うと、一直線に私たちの元へと迫ってくる。
「……!」
あまりに突然の出来事だったため、私は動くことができず固まってしまう。
すると、私の背後から小動物と思しき生き物──恐らく、猫か何かだろう──が現れ飛び出してきた。
灰色の毛並みを持つその猫は、そのまま私を守るように立ち塞がると鋭い爪を振るう。次の瞬間、シルバーウルフの顔面に赤い鮮血が降り注いだ。
恐らく、目を狙ったのだろう。思わぬ攻撃を受けたことで怯んだらしく、シルバーウルフの動きが止まり、やがてその場にうずくまった。
「え……?」
困惑していると、不意にその猫が振り返って人語を喋り始めた。
「コーデリア様! 今のうちに、どこか安全なところへ避難してください!」
どこかで聞き覚えのある声だと思えば──それは、紛れもなくサラの声だった。
「も、もしかして……サラさん!? どうして、そんな姿に……」
私は困惑しつつもそう返す。
一体、どういうことなのだろう? 思考を巡らせていると、サラが叫んだ。
「説明は後です! 今は、とにかく逃げてください!」
彼女の必死な訴えを聞き入れ、私はその場から駆け出す。
だが──
「コーデリア様!!」
不意に、後方からサラの悲痛な叫びが聞こえた。
振り向くと、追いかけてきたであろうシルバーウルフが既に至近距離まで迫っており──その腕を大きく振りかぶった。
(ああ……もう駄目だ)
覚悟を決めて目を閉じた瞬間、誰かが私を横から押した。
そのままバランスを崩して地面に倒れ込んでしまうが、そのお陰で私はシルバーウルフの攻撃をまとも食らわずに済んだ。
私は恐る恐る顔を上げる。すると、一匹の茶色い犬がまさにシルバーウルフに飛びかかっている最中だった。
その犬の攻撃を受けたシルバーウルフは、再びその場にうずくまる。
「大丈夫ですよ、ご安心ください。貴女には指一本触れさせませんから」
またもや、聞き覚えがある声だった。
今度は一体誰なのかと思いあぐねていると、その犬はこちらを振り返ることなくこう続けた。
「だから、どうか私のことは気にせずお逃げになってください」
その凛とした後ろ姿に、思わず見惚れてしまいそうになる。
(いや、まさか……そんなはずないわよね?)
心の中で呟きながらも、私はその人物が何者なのか確信した。
「アランさん……?」
そう尋ねると、目の前にいた犬は少しだけ振り向いて頷いた。
「ちょ、ちょっと待ってください。理解が追いつかないんですけど……」
目の前にいる犬と猫の正体はアランとサラで、二人は私を守るために戦ってくれていて──
(駄目だわ……やっぱり、意味が分からない。もしかしたら、実は二人も獣化の病に罹っているのかしら? でも、もしそうなら急に変身するのはおかしいし……)
私は混乱する頭を抱えながら、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
「グゥルル……ッ」
シルバーウルフは低い声で喉を鳴らすと、再び飛びかかってきた。
すかさず、アランはその攻撃をかわす。
「コーデリア様を傷つけようとしたこと、万死に値します!!」
不意にそんな声が聞こえたかと思えば、サラがシルバーウルフに飛びかかっていた。
その目は怒りに満ちていて、およそ可愛らしい外見には似つかわしくない。
「サ、サラさん……なんか、怖い……」
主人に対する忠誠心が高いからなのか、それとも何か別の理由があっての感情かは分からないが、いずれにせよ彼女が激怒していることだけは確かである。
(色んな意味で、イザベルとは大違いね……)
ふと、実家にいた頃の侍女であるイザベルを思い出した。
彼女は忠誠どころか、仮にも主人である私を目の敵にしていて散々嫌がらせを仕掛けてきた。しかも、それを楽しんでいるような節さえあったのだ。
そんなことを思い出しながらも、私は成り行きを見守る。
サラの攻撃は効いているようで、シルバーウルフは徐々に追い詰められていく。
だが、次の瞬間。隙を突いて、シルバーウルフが反撃を繰り出そうとした。
「サラさん!」
私が叫ぶや否や、アランがシルバーウルフに体当たりを食らわせる。
だが、なかなか怯まないシルバーウルフはアランに向かって何度か爪を振り下ろした。間一髪、彼が身を翻したことで致命傷は逃れたが──アランの前脚からは血が滴り落ちていた。
(このままだと、アランさんが……!)
「っ……!」
咄嵯に駆け出した私は、気がつくと彼の前に飛び出していた。
「危ないっ!!」
サラは悲鳴に近い声で叫ぶ。
だが、私は構わずシルバーウルフに近づいていく。
そして、周囲に眠っている鉱石から力を借りるようなイメージで意識を集中させると──次の瞬間、突然四方から光線のような光が発せられ、シルバーウルフの体を貫いた。
シルバーウルフはうめき声を上げると、程なくしてその場に倒れ込む。どうやら、息絶えたようだ。
「コーデリア様……?」
「今のは一体……」
背後から、アランとサラの困惑したような声が聞こえてくる。
私はほっと胸をなで下ろしながら、二人のほうに向き直った。
「あの……もしかして、コーデリア様が魔力をほとんど持っていないというのは何かの間違いなのでは……?」
そう尋ねてきたサラの瞳は、どこか輝いて見えた。