数日後。
(うーん……どうしようかな)
私は椅子に腰掛けると、頭を抱えた。というのも、タリスマンを購入したはいいが、それをどう役立てようか悩んでいたからだ。
とりあえず、サラにお守り代わりに持っていてもらおうと思ったのだが、提案したところ「私は大丈夫ですので」と断られてしまった。
当初の予定通り、自分で身につけて魔蛍石を採取しに鉱山へ出向くという選択肢もあるけれど──
(……よく考えたら、止められるわよね)
魔除けの香水まで買っておいて何だけれど、あれはあくまで予防にしか過ぎない。
今、鉱山内では未曾有の異変が起きている。全ての魔物に対して魔除けの香水が有効かどうかはわからないし、もし中で何かアクシデントがあって魔除けの効果まで切れてしまったら……と最悪の事態に陥った場合のことを考えると、やはりリスクが高すぎる。
そうなると、結局は誰かに守ってもらわなければならないわけで。
(いずれにせよ、護衛は必要よね……)
私は、何としても魔蛍石を使ったランプを沢山作りたかった。なぜなら、領民たちに少しでも快適に暮らしてほしいからだ。
自分が役に立てる機会があるのに、それを放っておくことなんてできない。
そんな風に頭を悩ませていたら、突然ジェイドから「二人で出かけないか?」と誘いを受けた。
なんでも、今日は珍しく午後に予定が入っていないらしい。そこで急遽、私を連れ立って街に繰り出したいとのことだった。
もしかしたら、気を遣ってくれたのかもしれない。そう思い、私は快く了承した。
そして、現在に至るのだが──。
(つまり、これってデートってことなのかしら……)
今更ながらそれに気づき、狼狽する。本来ならば、高位貴族が外出する際は必ず従者が付き添わなければならない。
けれど、なぜかジェイドはアランを一緒に連れてこなかった。
ジェイドは、先ほどから私に歩調を合わせて歩いてくれている。
それは、つまり私が疲れないように気遣ってくれているということだ。
これだけ紳士的なのに、なぜ社交界では彼がさも人の心を忘れてしまったかのように言われているのだろうか。
彼の良いところを知るたびに、ますます疑問が深まっていく。
「あの……ジェイド様。どこに行くんですか?」
遠慮がちに尋ねると、ジェイドは悪戯っぽく笑いながら言った。
「それは行ってのお楽しみだよ。ああ、それと……はぐれないように、手を繋いだほうがいいと思うんだがどうだろう?」
ジェイドは少し戸惑いながらも、自分の手を差し出してきた。
確かに、今日はいつもより瘴気が薄いせいか人が多く、活気がある気がする。
恐れ多く感じながらもその手を取った瞬間、柔らかいものがぷにっと手に触れた。
(こ、この感触は……もしかして、肉球……!?)
ジェイドの手を握ったことで改めて彼が今、白熊の姿をしているのだと再認識する。
同時に、そのぷにぷにとした柔らかい肉球の感触に悶絶しそうになる。
「コーデリア……? どうかしたか?」
ジェイドは私の顔を覗き込みながら、不思議そうに尋ねてくる。
「い、いえ……」
必死に理性を保ちつつ、何とか平静を装う。
(どうしよう……『心ゆくまで肉球を触らせてほしい』なんて言ったら、やっぱり怒るわよね……)
「本当に大丈夫か……? もしかすると、調子が悪いんじゃ……」
「だ、大丈夫ですよ!」
必死に誤魔化しつつもそう答えると、ジェイドは腑に落ちないといった様子で首を傾げた。
やがて、街の中央にある広場に着くと、彼は足を止めた。
「え……?」
私は目の前に広がっている光景に思わず目を瞬かせた。というのも、広場に大勢の人が集まっていたからだ。
一体、何が始まるのだろうと思っていると。突然、夜空に光の玉が打ち上がったかと思えば、ぱあっと大きな音を立てて弾けた。同時に、人々の歓声が上がる。
「あの、ジェイド様。これは一体、何なのですか……?」
思わず尋ねると、ジェイドが得意げに口を開いた。
「花火だ」
「花火……ですか?」
そう言えば、と私は以前本で読んだ花火についての説明を思い出す。
確か、その本には『火属性の魔法を応用した芸術である』と書かれていた。
花火を見たのは初めてだったので、感動のあまり胸がいっぱいになる。
(まさか、こんな素敵なものを見られる日が来るとは思わなかったわ……)
夜空に打ち上がった光が花の形や文字などに変化して消えていく中、私はジェイドの横顔を見つめた。
(ジェイド様がこんなに楽しそうにしているところ、初めて見たかも……)
そんなことを思っていると、視線に気づいたのかジェイドがおもむろに私のほうへと向き直った。
「君が邸に来て、早いものでもう二週間だな」
「そういえば……いつの間にか、二週間経っていたんですね」
しみじみと言われて、私も感慨深い気持ちになった。
「どうだ? 新しい生活には慣れたか?」
「まだ戸惑うことはありますけど、皆さん良くしてくれますし……とても楽しいです」
そう返事をすると、ジェイドは安堵したように微笑んだ。
「それなら、良かった」
ジェイドはどこか嬉しそうだ。
そんな彼を見て、何だかくすぐったいような温かい気分になってくる。
もしかして、ずっと心配してくれていたのだろうか。
「あの、つかぬことをお聞きしますが……どうして、私を誘ってくださったんですか?」
そう、私たちはまだ形だけの夫婦なのだ。
一緒に花火観賞だなんて……これでは、まるで本当の夫婦みたいだ。それもあって、余計に気になっていた。
「それは……君と友達になりたかったからだよ」
「え……?」
思わず聞き返すと、ジェイドは照れくさそうに言葉を続ける。
「その……最初はただの同居人だと思ってくれていいと君に伝えたんだが、それもなんだか寂しい気がしてな。だから、友人として君のことをゆっくり知っていこうと思ったんだ。こうして二人で出かければ、自然と親しくなれるだろう?」
私は、しばらく何も言えなかった。
まさか、そんなことを考えてくれているなんて思いもしなかったからだ。
「どうだろう? 俺と友達になってくれないか?」
そう言って、ジェイドはこちらの様子を窺うようにじっと見つめてきた。
「はい! 私で良ければ、友人としてこれからもよろしくお願いします!」
そう返すと、ジェイドは安心したように頬を緩めた。
「ありがとう。コーデリア……いや、今後はコーディと呼んでもいいだろうか?」
「はい、勿論です!」
「ありがとう。改めて、これからもよろしく頼むよ。コーディ」
ジェイドはそう言うと、私に向かって手を差し出してきた。
私はそれに応えるように彼の大きな手を握ると、握手を交わす。
「ところで……差し支えなければ、実家にいた頃のことを聞いても構わないだろうか?」
その質問に、思わずドキッとする。
考えてみれば、私はまだ自分の事情を何一つ話していなかったのだ。彼が過去を知りたがるのも当然だろう。
「構いませんが……」
「実は、君がどんな環境で育ったのか気になっていてな。教えてもらえないだろうか?」
「……はい、わかりました」
私は戸惑いながらも、ぽつりぽつりと自分の生い立ちを話し始めた。
とはいえ、虐待を受けていたことまでは言えなかった。なぜなら、彼に余計な心配をかけたくなかったからだ。
だから、婉曲的に「家族から疎まれ、避けられていた」と説明した。
「そうか……」
私の話を一通り聞いた後、ジェイドは複雑そうな表情を浮かべながら呟いた。
「あの、お話するのが遅くなってすみませんでした……」
「いや、謝らないでくれ。寧ろ、嫌なことを思い出させてしまってすまなかった」
「いえ、大丈夫ですよ! 気にしないでください!」
私は慌てて首を横に振る。
「俺は、君の力になりたいと思っている。もし何か困ったことがあったら、いつでも相談してほしい」
「……はい、ありがとうございます」
ジェイドの優しさに、胸が温かくなる。しかし、それと同時に心が痛んだ。
本当のことを言えない後ろめたさが、私の心に影を落とす。
でも──
(ジェイド様となら、きっとうまくやっていける)
私は心の中で密かにそう思ったのだった。