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5.契約結婚

「この度、俺たちは婚姻を結んだわけだが……その、夫婦というのはあくまでも形だけにしておきたい」


「え……?」


 予想外の発言に驚きながらも、私は必死に思案した。

 そして、ジェイドの真意を探るため恐る恐る尋ねてみる。


「それは……どういう意味でしょうか?」


「言葉の通りの意味だよ。俺のことは、ただの同居人だと思ってもらって構わない。言わば、契約結婚だ」


 ジェイドはそこまで言うと、少し間を置いて再び話し出した。


「いくら結婚したからといっても、こんな猛獣が夫では君も嫌だろう。それに……俺自身も、このような姿で夫と名乗るのは君に対して申し訳ないと思っているしな」


 ジェイドはそこで一旦言葉を切ると、眉尻を下げた。

 きっと、私のことを気遣ってくれているのだろう。


(私のことを考えてくれた上での提案なのね……)


「わ、わかりました……」


 一先ず、そう返事をする。

 だが、彼の心情を考えるとその優しさが嬉しくもあり、辛くもあって複雑な気持ちだった。

 とはいえ、ジェイドの提案はもっともだろう。元の姿に戻る方法が見つからない限り、跡継ぎ云々は二の次なのだから。


(以前から気になっていたことだけれど……ジェイド様は、なぜ私に縁談を持ちかけたんだろう? それも、予定よりもずっと早く……)


「あの──」


 尋ねようと口を開いた瞬間。部屋の扉がノックされた。

 ジェイドが返事をすると、使用人と思しき女性が入ってきて恭しい態度で一礼する。


「お話中、失礼します。お申し付けいただいた通り、コーデリア様のお部屋の浴室に湯を張っておきました。いつでもご入浴いただけます」


「そうか、ご苦労だった。とりあえず、話も一段落ついたことだし夕食の前に入浴を済ませてくるといい。長旅で疲れただろう?」


「あっ……はい! ありがとうございます!」


 慌ててそう返事をする。どうやら、気を遣って湯浴みを済ませるよう勧めてくれているようだ。

 確かに、今日は朝から一日中馬車に乗っていて汗ばんでいるし、何より疲労感が強い。

 私は、ありがたく提案を受けることにした。ジェイドは頷くと、下女のほうに視線を移して言った。


「ああ、そうだ。紹介しておこう。彼女の名前はサラだ。今後、君の身の回りの世話を任せることになると思う。何かあれば、彼女に言ってくれればいい」


「よろしくお願い致します。コーデリア様」


 そう言って、サラは一礼した。

 薄墨色の髪に、鮮やかな空色の瞳が印象的な女性だ。メイド服のスカートの裾を両手でつまみながら、丁寧な物腰で挨拶をする姿は品行方正な使用人そのものだった。

 年齢は、まだ二十歳前後といったところだろうか。


(これから、彼女とも一緒に暮らすことになるのよね。仲良くできたらいいな……)


「……はい! よろしくお願いします!」


「それでは早速ですが、こちらへどうぞ」


 私は促されるまま部屋を出る。

 そして、サラに連れられて浴室へと向かった。




「ふぅー……」


 湯船に浸かりながら、思わず声が出る。

 広い浴槽には薔薇の花びらが浮いているほか、柑橘系の爽やかな香りまで漂っていてとてもリラックスできる空間になっていた。

 ちなみに、今入っている浴槽は大理石のような石造りになっていて、足を伸ばしてもまだ余裕があるくらい広々としている。


(こんなに広い浴槽に入るなんて初めてだわ……。本当に、贅沢すぎる環境ね……)


 恐縮してしまうが、こうしてゆったりとお風呂に入れるのはとても有り難かった。

 そんなことを考えつつ、私は手足を伸ばす。


 大きな窓から景色を眺めれば、一面の夜景が広がっていた。まるで宝石のように輝く美しい灯りを見て、改めて自分が公爵邸にいるのだということを実感させられる。

 ふと、私は遠くに鉱山地帯らしき場所が見えることに気がつく。


(そういえば、この辺りは鉱山があるんだっけ……)


 瘴気が発生しているというのは、あの山だろうか。

 ここからは距離があるので、詳しい状況は分からないが……。


(いけない……あんまり長い間入っていると、のぼせちゃうわ。そろそろ出なきゃ)


 名残惜しさを振り切り、浴槽から上がる。そして、脱衣所に置いてあった着替えを手に取ると、手早く身支度を整えて浴室を出た。

 すると、待機していたサラに化粧台の前の椅子に座るよう促される。


「どうぞ、お座りになってください」


 言われるがまま腰掛けると、彼女は温かい風が出る魔導具で私の髪を乾かし始めた。


(気持ちいい……)


 丁寧にブローしてもらうと、それだけでかなり髪質が変わったように感じる。

 頭皮マッサージを施してもらった後、「お疲れさまでした」と言われ解放されれば、目の前の鏡に映る自分に思わず見惚れてしまった。

 驚くほど艶々とした黒髪を持つ自分が、そこに映し出されていたからだ。


(こ、これが……私……?)


 そう思っていると、不意にサラが話しかけてきた。


「あの……失礼ながら、ジェイド様がラザフォード家の次女を娶ると仰られた時は心配でした。忌み子と揶揄されているくらいだから、一体どんな方がいらっしゃるのかと身構えていたのですけれど……」


 そこまで言うと、サラはくすりと笑った。


「でも、実際にお会いしてみると、噂とは寧ろ正反対で……まさか、こんなに可愛らしい方だとは想像もしていませんでした。あ……勿論、見た目だけじゃなく中身もですよ? やはり、噂というものは当てになりませんね」


「え!? えっと……その、ありがとうございます……」


 突然の褒め言葉に、戸惑ってしまう。

 私は、今までほとんど他人に褒められた経験がない。そのせいか、ひどく動揺してしまった。

 すると、サラは微笑んだまま話を続ける。


「それにしても、ジェイド様も負けず劣らず社交界では悪い噂を流されているというか──色々、誤解を受けていますよね? それなのに、どうしてこの縁談を受けたんですか?」


「ああ、ええと……それは……」


 私は言葉に詰まってしまう。


(単純に、拒否権がなかった──実際のところ、それに尽きる。けれど、この場でそれを口にするのも失礼に当たるわよね)


 そう思い、言い淀んでいると、サラがハッとした表情を見せた。


「あっ、すみません。立ち入ったことをお聞きしてしまいました」


「あ、いえ……大丈夫です」


 そう答えると、サラは安心したような表情を見せた。

 次の瞬間──突然照明が点滅したかと思えば、室内が真っ暗になった。

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