「おい、しっかりしろ」
男からやっとガジエアを奪い取ったナイトが駆け寄ってきて、僕に言った。
「シロキ、カドを門に入れろ」
「門の中ってこと? 今、ここにいるじゃないか」
「いや、そうじゃなくて、鏡を溶かして中に入れろ」
「え?」
ナイトは何を言っているんだろう。ナイトの背後に座り込んで動かない蜘蛛を助けた男の輪郭が、さっきより淡くなっている。男の手にあったトリプガイドが青く光りながらゆっくり床に落ちていくのが見えた。
こいつの身体も、もうすぐ消える。
「おい、聞いてるのか? カドを極楽に連れて行く時間がない。この出血じゃ再成に入る前に魂も消えてしまう。門が完全に破壊されたらお前だって地獄に呑まれてしまうかも知れない。俺をひとりにしないでくれ」
涙で滲む視界の中にトリプガイドがある。培養水があるならカドをこの場所で……
「あれは、駄目だ。お前、調整の仕方を知っているのか? 作成者じゃないと使いこなせないだろ。それより俺がカドと門、両方助けてやるから、早くカドを門の中に入れろ」
「助けられるの? カドを鏡の中に入れたらどうなっちゃうんだ? 僕はこの子を失くせない」
「俺だってこんなことしたくない。でも、カドと門、別々に助けている時間がないんだ。わかってくれよ」
どうしたらいいんだろう、腕の中のカドの呼吸がどんどん浅くなってきている。このままじゃ身体も魂も消えてしまう。僕はこの子が息をしていない時間に一秒だって耐えられない。
――門に入れよう。
良くわからないけれど、この子を助けられるのならどうだっていい。
僕は鏡の床に手をついた。鏡が波打ち始め、カドの身体が少しずつ少しずつ沈んでいく。
僕はカドの手を握りしめた。この身体が鏡の中に入ったらもう二度と触れられない。この手はもう雨の中、僕の手を引いてはくれない。この顔はもう無邪気な笑顔を僕に向けてくれない。この口はもうはしゃいだ声で僕の名前を呼んでくれない。僕はもうこの子を抱きしめられない――。
「えらいぞ、シロキ」
沈んでいくカドを見つめる僕の肩を、後ろから引き留めるように抱いて、ナイトが言った。
カドが見えなくなる。指がほどける。行かないで。僕も鏡の中に連れて行って。
せめて、せめて僕の指だけでも引きちぎって持って行って。
カドが完全に鏡に呑み込まれ、僕はナイトの胸に深く顔をうずめたまま動けなくなった。自分の一部が消えた。静寂の中、魂がもぎ取られたような痛みに耐えることしか出来なかった。