「エンド、話したくない気分なのか?」
カドが横を息を切らしながら歩いていた。
「あ、すまない。考え事をしていた」
少し歩調を緩める。こいつのことを考えていたら、こいつが一緒に歩いているのを忘れていた。
俺たちは水の地獄へ向かって、剥き出しの岩肌と青空しか見えない山道を登っていた。
「がんばってるけど、やっぱりお前、一歩が大きいからついて行くのしんどいよ。いつもゆっくり歩いてくれてたんだな」
カドは生え際に汗をにじませて笑った。
そんなこと気がつかなくても良かったのに。
「持ってやろうか」
「手ぶらだぞ、何を持ってくれるんだよ」
「お前をだよ」
カドは荷物扱いされ不貞腐れながらも、出会ってから一番の晴れやかな目をして歩いている。白目に空が映って青みがかっていって綺麗だ。
「冗談だよ。向こうに開けた場所が見えるだろう、あそこにある大きな岩のそばで少し休もう」
「お前でも冗談なんて言うんだな」
目の前に見える山を越えると水の地獄だが、足場が悪い。今日中に到着するのは無理だろうが、近くまでは行きたい。
俺はいいが、カドの身体は俺ほど強くできてないから、夕方には休ませる場所を見つけないと。
数分後、俺たちは白い岩に腰かけ、細かな光の粒が散っているような青い空を見上げていた。
「なあ、水の地獄って意外と近くにあったんだな。お前は知ってたんだよな」
「そうだな、場所は炎の地獄の直ぐ右隣に位置している。もっと近道もあったんだが、活動が激しい山に近づきたくなかった。熱も灰もお前のその身体ではもたないだろ。それにこっちの道の方がきれいだ。」
カドが空から俺に顔を向けた。
「エンドは水の地獄に入ったこと、あるのか」
「……いや、境界域の辺りまでしかない」
言い淀む俺にカドが追及してくる。
「ひょっとして水が怖いとか……?」
「水が怖いわけじゃない。炎の地獄に極端に少ないだけだ。お前も見たことがあるだろ? 浄化した人間の魂を還す緑色の湖。あそこくらいしか、まとまった水はない。ただ炎の悪魔は、水の地獄の水にだけ、身体が弱い」
だからいくら風景が美しいと知っていても、行かないようにしてきた。
からかわれると覚悟して言ったが、カドの目が急に曇った。
「水の地獄の水に弱いって……死んじゃったりしないよな」
「死ぬ、というのは俺たちには当てはまらないな。身体も魂も無くなる、要は消える。酷いと思わないか、極楽の作成者の設計は。神様はバラバラになっても再成されるし、人間だって何度でも新しい身体でやり直せるのに、悪魔は存在そのものが消えるんだぞ」
努めて明るい口調で言ったつもりだったが、カドは真顔で岩から降りると、俺の手を引いて、来た道の方を向いた。
「帰ろう」
小さいが強い声で言った。俺の好きな音で。
「記憶は取り戻したいけど、お前が消えるのは嫌だ。再成も生れ変りもないなら、何百年待っても二度と会えないってことだろ」
そうして俺がよろけるほど強く手を引いて歩きだす。
「大丈夫だ、何に弱いか知っているから気をつけられる」
カドを引き留めて俺は言ったが、逆に聞き返された。
「対策は考えてるの?」
実際対策はなかった。何ならこれまで消えることすら怖いと思ったことがない。だが、今、カドに問い詰められると、少し怖くなった。
「どうせ何も考えてないだろ」
そうなるよな。困ったが、ひとつ思いついた。
「水の悪魔に神様と合える場所までの安全な道を教えてもらおう」
「水の悪魔に会うには水の地獄まで行かなきゃいけないだろ」
そうか、この山についてカドにもう一つ伝え忘れていた。
「もう少し登れば誰かに会うさ。この山の炎の地獄に向いている側は、お前も見慣れた乾燥した土地だが、この先だんだん植物が見えてくる。その辺が水の地獄との境界域で、そこを居場所にしている水の悪魔もいる。アドバンドみたいな古い悪魔は境界域で他の地獄の悪魔と情報交換をしているんだ」
カドが値踏みするように俺を見たが、一応は納得してくれたようだ。本当に安全な道があるかどうかは知らないが。
「そうか……まあいざとなったら、俺が庇ってやる。俺、多分、水は平気だから。自分の存在が無くなるかも知れないのに、こんなに気軽に付いてきて、お前どうかしているよ。もし安全な道なんてないとわかったら引き返すからな」