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第2話 炎の地獄2

 カドが一人フラフラと、炎の地獄の赤茶けた岩の間をさまよっているのを見つけたのは、一年程前だった。


 声をかけようと近寄った俺の目の前で、カドは急にぐったりと両膝を地面に落とした。


「おい、大丈夫か」


 俺を見上げた濃い茶色の瞳が、虚ろながら何かを訴えているように見えた。


 俺は無意識にカドの額に手を当て、完全に混乱した。


「お前、何なんだ?」


 驚いて、思わず手を離してしまった。


『判定』出来なかったのはその時が初めてだった。


『判定』とは地獄に送られた汚れた魂を浄化するために、どれだけの罰が必要かを判断するものだ。魂の記憶を読み、炎の地獄であれば、何度焼かれ続ける必要があるのかを決める。


 だが、こいつに関しては、そもそも人間なのか神様なのか、悪魔なのかすらわからなかったのだ。


 ふと我に返ったように、虚ろな目に光が射して、カドが最初に発した言葉は「……かっこいい」だった。


「は?」


 俺に言っているのか?  訳がわからないが、こいつも混乱しているんだろう。かわいそうに思い、腰を下ろし、肩に手をまわして立たせてやった……のは良いが次にどうすべきか困った。


 取りあえずアドバンドに見せてみるか。


 アドバンドは炎の地獄に最も古くから存在する悪魔で、俺たちの指導者的な存在だ。


「お前歩けるか」


 肩をかしたまま数歩進んだところで、そいつに全く歩く気がないことが分かった。ずるずると俺に引きずられるがままだ。仕方ないので背負ってアドバンドがいるはずの場所へ向かった。


「迷惑かけてごめん……あの、俺、カド」


 途中、背中で小さな声がした。


「お前の名前か? それ以外、何か覚えていないのか」


「ごめん……思い出せない」


「そうか、無理するな。俺はエンドフォスだ」


「エンド……ありがとう」


 背中が温かくて気持ちがいいな、と歩きながら思っていた。


 静かな緑玉の水を湛えた大穴のほとりに、大勢の炎の悪魔が集まっていた。


「湖? ここ、火山口か……?」


 カドが微かに震えているのを背中越しに感じたが、火山が怖いのか、悪魔の集団に怯えているのかはわからなかった。


「火山口ではないな」


 後で説明してやったが、あれは浄化が済んだ魂を人間の世界に返すための出口だ。


 緑玉の湖に堕とされた魂は、全く新しい身体を得て、人間の世界に再生する。


 その日も大勢の悪魔が、浄化を終えた、赤く儚く灯る魂を大切そうに両掌で包み、一つ一つ静かに水に沈めていた。


「次はあまり汚れてくるなよ」


 魂に向かって囁く声が聞こえていた。


 アドバンドは悪魔の輪の中心にいたが、俺の足音に振り返ると、驚いた表情で背中のカドを凝視し、そのまま真っすぐこちらに向かってきた。


「エンドフォス、一体何を連れてきたんだ」


 そして俺の目の前で足を止め、カドに向かってこう言った。


「お前なんでここにいる」


 俺はカドを地面に降ろし自分の後ろに立たせた。


 カドが緊張した声で答える。


「……俺も、わからないんだ」


「そうか……ちょっと触らせてもらえるか」


 アドバンドが深い溜息をついて、カドを覗いた。身体を横にずらし、躊躇するカドをアドバンドと対面させる。


 すかさずアドバンドがカドの額に手を置いた。


 俺より長い時間そうしていたと思う。その間、カドは自分に向かって伸ばされた、がっしりとしたアドバンドの前腕に残る、赤い傷跡をじっと見つめていた。


「神様と悪魔と人間か……」


 やっと額から手を離したアドバンドがそう言って、今度は俺の方を見た。


「こいつをどこで見つけた?」


「浄化の跡を見廻っていたら、罪人の魂が運ばれてくる方角から、フラフラ歩いて来るのを見かけたんだ」


 アドバンドは自分の骨格のしっかりした顎を触りながら言う。


「面倒なものを拾ってきたな」


 しかしその声に俺を責めるような響きはなく、むしろ興味を引かれているように聞こえた。そしてこう提案した。


「お前、責任を取ってしばらくこいつの面倒をみろ。俺も色々調べてみる。こいつが何者か分かったら、あるべき場所に返してやろう」


 そう言うと俺の返事も聞かず、屈みこんでカドの顔を覗き、大きな手で頭を撫でた。


「それでいいよな」


 カドは何と答えて良いのかわからない、といった表情で俺を見上げた。


「そんな目で見るな。お前の正体がわかるまで、俺が一緒にいる」


 カドは安心したのか初めて笑顔を見せ、強く頷いた。

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