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10話、ふつつかものですが、よろしくお願いいたします

 踊る貴婦人たちのドレスが華麗に広がり、その身を飾る宝石がきらきらと輝いている。

 ワルツの演奏を背景にして、招待客の会話が聞こえる。


「アンカーサイン侯爵閣下は生存が絶望的だと思っていたが、ご無事でよかったなあ」

「侯爵夫人と仲睦まじく寄り添われていて、……本当によかったこと」

「弟君の件は遺憾であるが」

「しーっ、喜ばしい席に水を差してはいけませんよ」


 ハシムの件は醜聞として広まりつつも、アンカーサイン侯爵家自体の名誉は守られそうな空気だ。

 侯爵夫妻がおしどり夫婦として有名なのもあり、仲睦まじく寄り添う二人には、好意的な視線が注がれていた。


 スカーロッド伯爵家の親族が集うスペースには、とびきり高貴な招待客も交ざっていた。王太子だ。


「呪いを解いたのも真実を暴いたのもイオネスの花嫁なのだろう? 彼女、実家では軽んじられていたんだって? けいらは見る眼がないんだなっ、あはは」

「殿下、そ、そのような……」


「私のもとには諜報部からの報告も届いているのだ。卿ら、『魔法の素質が今ひとつの娘にも使い道はあるものだな、資産家のアンカーサイン家を乗っ取る絶好のチャンスではないか』などと笑っていたのだとか?」

「……!!」

「なんと心無い言葉だろうか。私の愛する国にこのような貴族がいるとは、心が痛むぞ」


 親族が王太子殿下と揉めている――ローズメイはびっくりした。


「ローズメイさん、あの方は王太子のフィニックス殿下……幼少期から学友をさせていただいている仲だよ。今はお取込み中のようだから、距離を取っておこうね」

「すごく気になるのですが」

「気にしてはいけない。フクロウの声だと思っておけばいいよ」


 集団をスルーして、イオネスは姉ジュリアと従兄弟のグランツのペアに挨拶をした。


「はじめまして、ローズメイの夫となりましたイオネスです」

「妹がお世話になっておりますわ」

「妻には俺がお世話されているんです。何から何まで」

「まあ」


 にこやかな会話の合間に、王太子とスカーロッド家の輪から「お慈悲を! お慈悲を! 殿下ぁー!」という悲鳴が聞こえてくる。が、イオネスは「フクロウが元気だね」と言って話を続けた。


「俺は妻を溺愛していて、嫉妬深いのです。妻は姉君しか目に入らないようでしたが、そちらの従兄弟どのにはあまり妻を見ないでいただきたい。さっきからじろじろと……」

「い、いきなり何を言う! 失礼だな!」

「視線が失礼だと感じたのでご注意申し上げたのです。俺の妻ですから」

「妻、妻ってアピールしやがって」

「妻ですから」


 こちらもこちらで不穏な雰囲気ではないか。姉が「あらあら」と楽しそうにローズメイに目配せしてくる。


 そこに、闊達かったつな声が割り込んでくる。


「なんだ、修羅場か。修羅場だな。元気があってよろしい。諸君、私は修羅場が好きだ。大好きだ! もっとやれ」

 王太子フィニックスだ。修羅場の気配を嗅ぎつけてこちらに来たらしい。


 イオネスより一つ年上の王太子は、猛禽類を思わせる眼で楽し気にローズメイを見た。

 筋骨隆々としていて、自信に充ち溢れている男だ。覇気がある。


「イオネスの嫁……アンカーサイン家を救った次期侯爵夫人はどんな方かと思っていたが、可憐な方なのだな。スコップでイバラと戦ったとかイオネスをお姫様抱っこしたとか聞いていたが、噂は噂か」

「お姫様抱っこはしてみたいと思ったことがありますけど、まだしたことがありません」

「ローズメイさん?」


 ――いけない、思わず本音が。


 ローズメイは恥じらいに頬を染めた。


「願望が出てしまいました、すみません」


「ははは、イオネスは線が細いからな。でも変わったな。病み上がりだからげっそりしてると思ったが、前より筋肉がついたか? 妻の影響か? うん?」


 王太子は歯をみせて笑い、言葉を続けた。


「聞けば夫人は造園が趣味で、妖精を呼ぶフェアリーガーデンが作れるのだとか? 王室は妖精を城にも招きたいと考えているのだが、依頼すれば受けてくれるだろうか?」


 お城の造園依頼とは、責任重大な話だ。

 ローズメイは驚いた。


「殿下。新婚の妻に変な依頼をして困らせないでください。我が家の庭だってまだ完成していないのですから」


 イオネスは柔らかな口調で物怖じせずに言い、ふわりとローズメイを抱き上げた。


「きゃっ!?」


 どきりと鼓動が跳ねる。

 横に抱き上げる姿勢は、お姫様抱っこと呼ばれる抱え方だ。

 「したい」と思っていたのに、「されて」しまった。


「それで、お姫様抱っこがなんだっけ。抱っこされてみたいと思った、の言い間違いかな? そうだよね? ローズメイさん?」

「えっ……」


 ――前も思ったけど、意外と力があるのですね?

 ローズメイは、夫のギャップにこっそりと悶えた。


「あら、あらっ……」

「わぁ……」


 周囲の声に、ハッとする。


 好奇心いっぱいの視線が集まっている――ローズメイは真っ赤になった。


「妻が望むのだから、夫としては叶えるよね。どう、ローズメイさん。こんな感じかな? お気に召したかな?」


 溌剌と問われて、ローズメイはあわあわと頷いた。


「は、は、はい。とても。とても……その、よいです」


 私は何を言っているの。自分でつっこみをしたくなる返答だが、イオネスはお気に召したようだった。

 上機嫌で満面の笑みを咲かせている。


「い、イオネス様っ、み、みなさまが見ていらっしゃいます。はずかしいです」


 密着した体温が熱い。体に触れる腕や胸板が意外なほどたくましくて、頼もしい硬さを伝えてくる。心臓がばくばくと鳴って、暴れている。距離が近すぎて、視線のやり場に困ってしまう。


「ん……、はしゃぎすぎたかな。妻に恥ずかしい思いをさせてしまった。ごめんね」


 イオネスはそう言ってローズメイを降ろし、周囲に流し目を送った。


「と、いうわけで、噂は的外れもいいところなのです。みなさん、よろしいですね!」


 よろしくなくてもよろしいと言え――そんな黒いオーラを見た気がして、ローズメイは目を瞬かせた。


「ふーん。おもしろいな。おい、嫁を隠すなよ。余裕がないぞ新郎」

 王太子がにやにやと言うと、視線から遮るように立ち位置を変えた夫は「殿下、あまり見ないでください。妻が減ります」などと返している。


 ――イオネス様は思っていたより逞しくて、気の強い方なのかもしれない。


 ローズメイは夫への認識を改めた。ちなみに。


「次は、私がしますね、イオネス様」

「ん?」

「あの、さっきのです」

「んん?」


 ローズメイは夫に「お姫様抱っこ交代制」を申し上げようとしたが、夫はなんだか圧を感じさせる笑顔になってしまった。 


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


「皆さま、本日はご多用のところ、当家主催のパーティにお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。たくさんの方々から祝辞や、励ましのお言葉を頂き、心より感謝申し上げます」


 アンカーサイン侯爵の挨拶の声が会場に響く。

 侯爵の隣に父スカーロッド伯爵が並んでいるので、ローズメイは驚いた。


 ――お父様!


 いかにも「今まで療養していました」という顔色だが、父は正装して堂々と立っている。

 目が合うと、ふんわりと微笑んでくれた。柔らかで優しくて、ちょっと感情を持て余して困ってしまっているような、そんな笑顔だった。


「アンカーサイン侯爵家は、このたびの件をきっかけに変わっていこうと決意いたしました」


 アンカーサイン侯爵の堂々とした声に、貴族たちが拍手でこたえる。


「敬愛する王太子殿下が結んでくださったスカーロッド伯爵家との縁を大切にし、……すぐには難しいかもしれませんが、時間をかけて魔法に親しんでいこうと考えております」


 父伯爵が口を開くので、ローズメイはハラハラした。


「体調が思わしくなく、長く休んでおりましたが、私も本日より当主の仕事に復帰する所存です。スカーロッド伯爵家は、アンカーサイン侯爵家との友好を望みます。私の娘ローズメイは、友好の架け橋となってくれることでしょう……自慢の娘です」


 これから世の中に訪れる変化の予感を胸に、人々は視線を交わした。

 特に魔法使いの血統の者たちは「よいことだ!」と破顔している。


 アンカーサイン侯爵とスカーロッド伯爵は順に声を響かせた。


「息子夫婦、イオネスとローズメイは、まだまだこれからの未熟な若者たちです。ぜひ応援してやってください」

「これからの両家をあたたかく見守ってくださると嬉しいです」


 拍手が湧き、微笑ましく見守る視線が集まる。

 注目されるローズメイとイオネスは互いの視線を絡ませた。


 アクアマリンと翡翠の瞳には、まだあまり深くは知らないものの、好ましいと思っている伴侶の姿が映っている。


「改めて、これからよろしくね、ローズメイ」

「こちらこそ、ふつつかものですが、よろしくお願いいたします、イオネス様」


 ――あなたがお元気になられて、よかった。

 あなたの隣にいられるのが、嬉しい。


 ローズメイは幸せをかみしめながら、この日一番の煌めく笑顔を咲かせたのだった。



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