雲ひとつない青空を、小さな鳥が見上げていた。
鳥は、この王国に住む幼い魔女が変身した姿で、魔女の名前はローズメイという。
今日はお祭りの日で、小さなローズメイは初めて覚えた変身魔法で遊んでいたのだが、木の枝に羽を引っかけてしまったのだ。
羽根を怪我していて、動かすことができない。
お腹が空いていて、喉も乾いている。
風が冷たくて、体が冷えていく。
人間の姿に戻ろうと思うのに、動揺しているせいか、なかなか戻ることができない。
これからどうしよう。なんとかしないとな……。
心配な気持ちでいっぱいなローズメイは、「ちい、ちい、ちちち」とか細く鳴いた。
鳴いても、助けに来てくれるような家族はいないのに。
けれど。
そこへ、救済の手が差し伸べられた。
「鳥が傷ついている……可哀想に。まだ小さい鳥だよ。子供なんだ。この子、このまま放置していたら、死んでしまうのではないかな?」
そう言って小鳥の姿のローズメイを抱き上げたのは、貴族の少年だった。
やわらかなミルクティー色の髪。
やさしそうな翡翠色の目。
少女のように中性的で、美しい顔立ち。
「よし、よし。大丈夫だよ、小さな鳥さん。あっちにスカーロッド家の系列の魔法使いが出しているポーション屋があるんだ。買ってあげる」
少年は小鳥のローズメイをハンカチでくるんでくれて、お水とひまわりの種を与えてくれた。
喉の渇きが癒されて、お腹も満たされる。
ひまわりの種は、栄養がいっぱいだ。
なにより、「助けてくれる人がいる」というのが、心強いではないか。
ローズメイはハンカチと少年の温もりに包まれて、元気が出てくるのを感じた。
少年は、従者と思われる男に「ポーションを買うよ」と言った。
「イオネスぼっちゃん。スカーロッド家は我らアンカーサイン侯爵家の敵です。いけません」
「けち」
少年はむすりとして、ローズメイを連れて歩き出した。
従者が慌てた様子で「いけませんって」と言うのに、ポーション屋に入っていった。
そして、大粒の見事な宝石が填められた指輪を外して、「この指輪でポーションが買えませんか」と交渉し始め、店主と従者をびっくりさせたのだった。
少年のおかげで小鳥のローズメイはすっかり活力を取り戻し、空へと羽ばたくことができた。
遠く飛び去り、周囲に誰もいないことを確認して、ローズメイは人間の姿に戻った。
怪我をして、不安でいっぱいのときは「戻れ、戻れ」と念じても戻ることができなかったのに、元気になったおかげか、すんなりと戻ることができたので、ローズメイは心から安堵した。
「アンカーサイン侯爵家の、イオネスさま」
幼い魔女は、恩ある名前を心に刻んだ。
――イオネス・アンカーサイン侯爵令息。
その名は、魔女ローズメイの家であるスカーロッド家を嫌っている魔法嫌いの一族の当主家の嫡男の名前であった。
敵対する家同士だったため、それから数年、ローズメイはイオネスと会う機会もなかったが、突然、彼との縁が降ってくる。
「ローズメイよ。お前は、アンカーサイン侯爵家の嫡男イオネスに嫁ぐことになった。政略結婚である」
びっくりよね。
ローズメイは、自分が生まれ育った家の庭園で、自分の境遇と「これから」を想った。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
庭園には、甘くて爽やかな植物の香りがあふれていた。
緑の葉や蔦の中、咲いているのは色彩豊かな花たちだ。
花の香りは、優しい気持ちにさせてくれる。
『幸福を呼ぶ魔女』の異名を持つ亡き母が作った庭には、妖精が住んでいる。
母はこの庭をフェアリーガーデンと呼んでいた。
「さようなら。私、お嫁に行くの。イオネス様をお助けするために」
フェアリーガーデンの入り口で、ローズメイは妖精たちにお別れをした。
さらさらとした真っすぐな黒髪に、明るいアクアマリンの瞳をしたローズメイは、魔法使いの血統、名家スカーロッド伯爵家の次女。
魔法が使える『魔女』だ。
そして、そんな彼女の嫁入り先アンカーサイン侯爵家は、なんと『魔法使いの血統なんて絶対にうちの一族に混ぜたくない!』と公言している大の魔法嫌いの一族である。
「スカーロッド伯爵家の天敵ともいえる家柄ではないか、どうなってしまうのだ」と世間も今回の縁談に注目しているらしい。
「アンカーサイン侯爵家の魔法嫌いを改善させたいからって、王室からのご命令なのですって。びっくりよね」
妖精に言っても人間社会の話は共感してもらえないかもしれないが、ローズメイはのんびりと語った。
噂によると、夫になる青年イオネスは現在呪われていて、病床の身。かなり衰弱しているらしい。
スカーロッド伯爵家の親族会議で、親族は目をギラギラさせて言った。
「ローズメイ、相手が亡くなるより先に子供を作れ。イオネスの子でも別の男のでも構わん。アンカーサイン侯爵家の後継ぎを産むのだ」
「魔法の腕が今ひとつの落ちこぼれ娘にも使い道はあるものだな、資産家のアンカーサイン家を乗っ取る絶好のチャンスではないか」
親族には、相手の家に対する敵対心と野心があった。
ローズメイはそんな親族に反発心を抱きつつ、表面上は従順に「かしこまりました」と頷いた。
結婚したいか、したくないかで言えば、したかったので。
「私ね、実はイオネス様に一度お会いしたことがあるの。あちらは私をご存じないけど、小鳥に変身して遊んでいて、怪我をしたときに助けてくださったのよ」
(大人たちはイオネス様が亡くなってしまうと予想しているけど、私が長生きさせてみせる)
彼は小鳥を助けたことなんて忘れているだろうけど、ローズメイの心にはあの時の彼の優しい笑顔が素敵な思い出として刻まれている。
『恋』というほどの特別な感情ではないが、好意は抱いていたのである。