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60 母親の愛情と無関心

「……色を塗り替える、力……!」


「感情の色……?」


 ルシウス様は不思議そうに首を傾げた。

 ……ここには誰もいない。


「私も……感情の色が見えるのです」


「クローディアも?」


「はい。でも不思議な事にルシウス様は感情の色が見えませんでした。しかし魔獣になっていた時は、赤黒い靄が見えました。……それに対して回復魔法をかけたら、効いたのです」


「そうだったのか……感情の色が。……あの家で、それは、大変だっただろう」


「っ。ルシウス様……」


 ルシウス様の気遣いが温かすぎて、思わず涙が零れそうになる。本を汚してはいけない。私はそっと涙を拭った。


「苦しかったな」


 ルシウス様の声色は、本当に私への優しさのみで、私はもう本当に救われたのだと思ってしまう。


「……はい。苦しかったです……」


 想いは、すぐに素直にこぼれた。


 そうだ。私は苦しかった。

 嫌な色に囲まれ、痛くつらい日々だった。


 でも、もういい、もう関係ないのだ。

 ルシウス様のこの優しさで、全部大丈夫になったから。


「でも、大丈夫です」


 私がそう言うと、ルシウス様は背中を撫でてくれた。


「……そうか」


「ルシウス様の感情が見えない事は、ずっと不思議でした。でも、王も見えませんでした。……感情を表に出さないという、意志の力かもしれません」


「ああ……それは、あるかもしれないな」


 ルシウス様の過去を想えば、それも当然ともいえた。

 色が見えないという彼の痛みを、知った。


「クローディアが気に病む事じゃない」


「……はい」


 凄く凄く深い、今も癒えない傷を負いながらも優しいルシウス様に心配をかけたくなくて、私は微笑んだ。


「同じように色を見る能力が君の母上にあるのだとしたら、塗り替える力もまた君にある可能性は高いだろう」


「ええ、そうですよね!」


 私は意気揚々と頷いたけれど、ルシウス様は眉をひそめた。


「『それは聖女様のお身体に負担が大きすぎる。利用すべきではない力ではないのではないか』この記述がある限り、俺は君にこの能力を使ってもらいたいとは思わない」


 きっぱりと言われ、私は戸惑った。


「で、でも……」


「実際、クローディアの母上は……亡くなられている。君への、愛情だ」


 痛ましそうに、私の事を見た後、ルシウス様は私の事を引き寄せ抱き寄せた。


「きゃっ……!」


「俺が魔獣になる苦しさなど、君を失うことになるぐらいならなんでもない。だから、だからもうやめよう」


 ぎゅうぎゅうと込められる力に、ルシウス様の懇願じみた言葉。


 ……ああ、そうか。


 母は、感情の色を、塗り替えさせることができた。


 私は、十歳までは悪意と無縁だった。それに、今に至るまで父は私に対しずっと無関心だった。

 義母と義妹が私を虐めようと、ただただずっと、無関心だった。


 どうして助けてくれないのか、と思っていた。


 けれど。


 私の生い立ち、失われた母の力の事を考えれば、無関心程度で済むはずがなかったのだ。


 託された聖女と、何も引き継がなかった、子供。

 恨みこそすれ、無関心でいられるはずなどなかった。


 義母が来るまで、私は貴族として育てられることができた。


「……お母様は、私を悪意から守ってくれてたんですね……」


 ぐっと込められた力に、ルシウス様もそう思っていることが伝わってきた。


 憎んでいる子供への感情を無関心にする。

 そして、その無関心は今も続いている。


 ……どれほどの犠牲を払ってくれたのだろう。


「……おかあ、さま。お母様お母様お母様……!」


 ダルバード先生との話で、涙は出尽くしたと思ったのに。

 今更母の愛情を、こんなにも感じるなんて。愛されていた事が、はっきりとわかるだなんて。


『おかあさま』


『クローディア、あなたにはなんの力もない。私のすべてを引き継がなかった。何もできない子なのよ。良く覚えておきなさい』


『……はい』


 あの時、母の言葉を聞きたくなくて、でも母の声は聞きたくて、ただ頷くだけしかできなかった。

 けれど、あの後に続いたのは……。


『何もできなくて、特別なことのない、私の子よ』


 母は、私の子だと。

 きっと母の望んだ、特別なことがない、普通の、母の子だと。

 そう言ってくれていたのだ。


 ……母は、病弱だった。


 父はずっと無関心だった。それが私の家族だと思っていた。

 寂しいと思っていた。


 けれどきちんとした教育を受けさせてもらい、ちゃんとした貴族の子供として育った。


 それが、こんなにも特別な事だった。


 母は、自分がいなくなった後も、私が邪魔者扱いされないようにと願ってくれたに違いない。無関心の父から、それが伝わってくる。

 母は最後まで、私のために。


 もし、母があの力を使わなかったら。

 もし、父が本当の感情を持ち、私を疎んじていたとしたら。


 私は、ここにいられなかった。


 母は、自分の命を削ってまで、私の居場所を守ってくれたのだ。

 ルシウス様の腕の中で、私は震えながら呟いた。


「お母様は……私を……」


 強く、強く抱きしめられる。


「クローディア」


 優しい声が、私の心の奥に染み込んでいく。

 母が繋いでくれたこの命を、私は無駄にはしない。


 だから、母が残してくれたこの能力は、私も愛する人に使おう。


 私はルシウス様の体温を感じながら、そっと決意した。

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