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59 日記の中の聖女

「私も読んだことはなかったけれど……あまりにも内容が精査されていなくて驚いた」


「こんな文章を私たちが読んでいいのでしょうか?」


 私が思わずつぶやくと、ルシウス様は肩をすくめた。


「元は宮廷に仕えた貴族の記録だから、貴重な資料ではある。とはいえ……」


「とはいえ?」


 彼は手に取った一冊をぱらぱらとめくり、眉をひそめた。


「これはただの愚痴のような気がする……」


「愚痴、ですか?」


「……少し、読んでみよう」


 ルシウス様はページを指で押さえ、低い声で読み上げる。


「――『今日もまた、陛下の朝食に付き合わされた。なぜあの方は毎朝、あれほどの量を食べられるのか。わたしはもう無理だ。胃が限界だ』」


「……ふふっ」


 思わず吹き出しそうになり、私は手を口元に添えた。


「まだ続きがあるんだ」


 ルシウス様は少し口角を上げながら、次の行を指でなぞる。


「『侍女の話では、若い頃はこれの倍食べていたらしい。信じられない。こんなことで歴史に名を残したくはないが、今や宮廷では陛下の朝食量が話題になっている。これが王家の威厳というものなのだろうか……』」


「くっ……ふふっ……」


 確かに愚痴だ。というか、何故こんな事を文章で残そうとしたのだろう、貴重な紙を使って。あんまりにもあんまりな内容に、どんどん笑いがこみあげてくる。


 思わず肩を震わせる私を見て、ルシウス様も小さく笑う。

 年代的に、先代の王のことだろう。現王の話ではなくてよかった。


 直近のものは見ないようにしよう……思い出し笑いしてしまったら大変すぎる。


「思ったよりも正直な内容が多いな」


「ですね……。王城の記録として、こういうことも書いてあるなんて、何だか親近感が湧きます」


 二人で顔を見合わせ、笑いあう。厳かな雰囲気だった特別書庫も、この日記のおかげで親しみやすい場所に感じられてきた。


 私はページをめくりながら、ふと考える。


 こんなふうに個人的な記録が残されているのなら、母についての記述もどこかにあるかもしれない。


 私は次の本を手に取ったが、思わず目を丸くする。この日記にも驚くような内容が記されている。


『今日も宮廷魔導師のルディ氏が失敗した。実験中に髪が緑色に変色し、しかも元に戻らないらしい。かつらを被って帰っていったが、後ろから見ると緑の髪が少し覗いていて滑稽だった。教会の面々は気付かないふりをしていたが、明らかに顔を背けて笑いを堪えていた』


「ふふっ、その実験はいったいどういうものなの……」


 思わず笑いが漏れてしまい、慌てて口を押さえる。

 ルシウス様が横から私の持っていた本を覗き込む。

 あまりに距離が近くて、どきどきしてしまった私は気合で本に集中する。


「ああ、それはルディ・バートランドの事件だな。ダルバードから聞いたことがある」


 ルシウス様も珍しく柔らかな表情を浮かべている。


「実は一週間ほど続いたそうだ。毎日違う色のかつらを着けていたらしいが、どれも似合わなかったとか」


「とても和やかな場所ですね。皆が仲良く楽しい職場ですって感じだわ」


「……なんだかその謳い文句は怪しく感じるな」


「不思議ですね、私もです」


 私は次のページをめくった。


『今日は聖女様の誕生日だった。しかし聖女様は体調を崩されたとのことで、祝宴は中止。本当は、昨晩こっそり街に出られて、露店で食べ過ぎたせいだと聞いた。護衛も黙認していたらしい。聖女様も、意外と庶民的なところがおありなのだな……』


「聖女……母の事、ですよね」


 私は思わず声を上げる。

 思えば先程の記述にも教会という文字が入っていた。


「クローディア」


 ルシウス様の声ではっとする。気がつけば、本を持つ手に力が入っていた。そっと、ルシウス様の手が重ねられ、ゆっくりと力が抜けていく。


「……すいません。焦ってしまいました」


「ゆっくり読んでいこう。二人で」


「ありがとうございます」


 ルシウス様が隣に居る。……大丈夫。


 私はその次の文章を読んだ。


「……しばらくまた日記だな」


「ああもう、本当ですね」


 緊張して次のページを繰ったら、また日記だった。

 落胆しつつも、次々と読み込んでいく。


 次の記述を見つけたのは、もう、昼すぎになったころだった。

 同じような日記が続く中、急に聖女についての記述が紛れ込んでいた。


『聖女様は感情を色として感じるらしい。そしてその色を近い塗り替えることができると。全く違う感情に変えることは出来なくとも、嫌悪よりの気持ちを無関心に変えるだけでも、何もかもが変わってしまう事がある。あまりにも大きい。……そして、それは聖女様のお身体に負担が大きすぎる。利用すべきではない力ではないのではないか』

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