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55 愚かな娘

「……彼女が嫁いだのは、ドートン家だったのです」


 苦しそうに、苦い過去を吐露するダルバード先生は、弱い老人のように見えた。


 私は、慌ててその考えを振り払う。


 ダルバード先生の話の母は、まるで知らない人のようだった。

 元気で、キラキラとしていて、率直で楽しそうな、少女のような女性。


「だから、母は私の事を好きにはなれなかったんですね」


 理由がわかった気がして、私は苦しさをおさえ呟いた。

 政略結婚の駒として扱われ、自分の力を私に託し失う事で抵抗した。


 ……強い人だったんだな、と思う。


 復讐、と、母は言った。


「確かに、貴族への抵抗、復讐の気持ちはあったと思います。けれど、私はそれは違うと思うのです」


「えっ」


 ダルバード先生は、微笑みながら、私の事を見つめた。

 それは、私を通して母を見ているような、遠い表情だった。二十年前の、あの頃を思い出しているような。


 そして、ダルバード先生は母の想いを、伝えてくれる。


「彼女は、それだけではない。クローディア様を愛していました」


「でも」


「本当です。あの彼女が、自分の子供を愛さないはずがない。まだいないクローディア様の事を想っていましたし、自分の力はクローディア様の為の力になると信じていたのですから」


 優しく囁かれる言葉は本当に甘くて、信じたくなる。

 けれど、それはあまりにも都合がいいんじゃないか。


 美化された思い出に、すがるのは愚かすぎるのではないか。


「それは、ダルバード先生の思い出の中のフィネルで、私の母じゃないと思います」


 私の声は、思った以上に、硬く冷たく響いた。

 ダルバード様の笑顔が悲しそうに濁ったのを感じ、私は慌てて謝った。


「ごめんなさい! 馬鹿みたいなことを!」


「いいんです。……クローディア様は、どうしてこの豊富な魔力に誰も気が付かなかったと思いますか?」


「え……?」


「クローディア様が今は持っていないというネックレス。……きっと、魔導具だったと思います。フィネルの魔力が宿っていた、魔導具だったと。彼女は魔導具が好きだったから」


「っ。そんな……」


「能力を渡して隠す。私も、それはクローディア様の運命を乱したと思います。……けれど、愛情も確かにあったんだと。あの状況で……必ず生まなければいけない子供に彼女ができることは、あまりにも少ないですから」


 ああ、でもそうなのかもしれない。私が生まれてすぐ作ってくれた唯一の贈り物。


 ずっと私のそばにあった。魔法を使おうとしたときも、魔力の測定のあの日も。

 必ず。


「母の、できること……」


「そうです。教会とドートン家を欺くには、それぐらいしか。彼女自身の能力も失われ子供も能力がなければ、教会のドートン家への影響力もなくなっていきます。けれど、クローディア様だけが能力がなければ、きっと捨てられ次になっただけ。……最善ではない、だけれど……」


 能力を引き継げば、母と同じことになる。


 自分と違う運命をたどる、その先にあるしあわせの可能性にかけたのかもしれない。


 ……だから。


『あなたは何も引き継がなかった』


 あの時の母は、いったいどういう顔をしていたのだろう。

 父は私に無関心だった。でも、それこそが母の愛情を示していたのかもしれない。


「あなたが教会にもドートン家にも執着されていない。……それこそ、復讐であるとともに愛情であったと思うのです。それに」


 そこで、ダルバード先生は伝えるべきかどうか迷うように、言い淀んだ。


「私は聞きたいです、母の事。教えてください!」


 私が懇願すると、ダルバード先生は決意したようにまっすぐ私を見つめた。


「魔力を制御するような魔導具は……命を削ります。私は、愛情がなければ難しいと思います」


 ああ、私は浅はかだ。


 浅はかで、心が見えているからと、悪意ばかりに敏感で。


 言葉通りの事ばかり、受け取って。


 母が私に幻滅していると信じ込んで、何もかもから目を背けていた。

 心を閉じていたのは、私の方だったのだ。


 母を理解しようともせず、最初から彼女を拒絶していたのは私だった。


「クローディア様がわからなくても、仕方がないことです」


 ダルバード先生の優しさが、愚かな私を浮き彫りにする。


「彼女の力をすべて受け継ぎ、隠された娘。それがクローディア様なのです。……彼女の抵抗の陰にある愛情を、クローディア様も感じ取ってもらえたら……それならば、私は……」


 目の前で涙を流すダルバード先生の姿が、いつの間にか滲んでぼやけていった。温かいはずの灯りも、部屋の重厚な家具も、全てが霞んでいる。


 そっと、私の肩に手が置かれた。優しく、あたたかい。


 ……私とダルバード先生は、もう言葉も交わさず、ただ亡き母の事を想った。


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