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44 ルシウス様を縛るもの

 この部屋に来たのは昨日ぶりだ。昨日と同じベッドに寝かされると、嫌でも昨日の事が蘇ってきた。


 ルシウス様の、息遣いや体温。

 まっすぐに私を求める瞳。


 甘い甘い言葉の数々。


「いやいや……何を考えているの、私」


 思い出しそうになる色々なことを、頭を振って忘れようとして頭が動かない事に気が付く。


 魔力切れはあまりにも無力だ。何も動かない。


「あわわ、全く動かない……。喋れるのが不思議なぐらいだわ」


「……魔力切れなんだから、大人しくしていなさい」


 ルシウス様は呆れたように言って、ベッドの端に腰かけた。


 広いベッドの上、座ったルシウス様とは距離があって、少し寂しい。ルシウス様が私に気遣っているのがわかるから、余計に。


 私は思考がまたそちらに行きそうになるのを、別の話題で切り替えることにした。


「ルシウス様、出歩いてよかったのですか? 半獣の姿になったの、私が重かったからですよね……申し訳ないです」


 半獣の姿は戦いの最中に見せているために問題がないとはいえ、ルシウス様は進んで見せたい姿ではないはずだ。


 それなのに、屋敷の端の執務室から自分の部屋まで運んでくれたのだ。


「……クローディア、君が重いはずなどないだろう……。むしろどれだけ軽いのだ」


「ここにきてたくさん食べているので、どちらかと言えばかなり太ったと思うのですが」


「もっと食べなさい」


「ええと、わかりました」


 ダルバード先生のようにきっぱりと言いつけられ、私は頷いた。

 死ぬ気で食べた方がいいに違いない。


「ああもう、そんな事じゃない。……半獣になったのは、君が安心するだろうと思ったからだ。本当はこの姿の方が思い出してしまうのだろうが、君は人間が苦手だから」


 自嘲気味に笑うルシウス様の優しさは、私の心に染み込む。


 まだ完璧な貴族であるルシウス様の姿に強張る事も多いけれど。人間の姿のルシウス様も素敵に思えてきたなどとは、言えない。


「ありがとうございます」


 クローディア、昨日は、本当に申し訳なかった……自分を制御できずに、君に、酷いことを」


 ルシウス様は私に頭を下げた。止めたいのに体が動かない。


「ルシウス様! 大丈夫なんです、本当に。私はルシウス様の為になりたくて、気にして欲しいなんて、全く思ってません! ……もしかして、だから私の事を呼ばなかったのですか?」


 ルシウス様は答えなかった。けれど、逆にそれが雄弁にそうだと語っていた。


「気にしなくていいのに」


「そんな事は、できない。……君の事を、取り返しがつかない程に傷つける所だった」


 苦しそうな言葉は、本当に後悔しているという風で、私は未遂で終わったことに心からほっとした。


 ……次も、絶対にしっかり断らないといけない。


 甘い誘惑に負けてはいけない。

 ルシウス様の為に。


 私は、しっかりと心に刻み込む。


 そうしないと、負けてしまいそうだったから。


「ともかく、私は大丈夫です。ルシウス様の妻として、ルシウス様が苦しいときは助けになりたいんです」


「……本当に大変な時は、呼ぶ」


 それは今だったのではないのか。


 ルシウス様はもう私に頼る気がないような気がして、私はカッとなった。


「どうしてなんですかルシウス様。獣化が起こりそうでつらいのであれば、私のことを呼んでくれればいいだけなのに! どうしてなんですか! ……どうして、呼んでくれないんですか……」


 そう言っているうちに、何故かじわりと涙が浮かんできた。


 自分が無力で、情けなくて、頼ってほしくて、でも……頼れない存在だと思われている。


 それだけ、私が軽い存在だからだ。

 必要とされない。


 役に立ちたいのに。


 涙が流れるのに、魔力切れで動けない私は、涙を拭う事すらできない。


「最近、意識が遠のくことがある。心まで獣になってしまうかもしれないんだ。そうなれば君に何をするかどうかわからない。傷つけてしまうかもしれないんだ」


 ルシウス様は私にそっと近づいて、遠慮がちに私の体を起こした。

 まるで壊れ物を扱うように、わたしの涙をそっと拭ってくれた。


「そんな事、気にしないでください」


「気になるだろう。俺は……君の事を、失いたくはない」


「……そんなこと」


 危険は関係ないと私は思う。

 怪我をしても、


「傷つかなくて距離があるより、私の事を呼んでくれた方がずっといいです」


 素直な気持ちでそういうと、ルシウス様は自嘲気味に笑った。


「あんな事に、なったとしてもか」


「あんな事とは?」


 私が聞くと、ルシウス様は目を見開いた。


「……忘れてしまったとは、驚きだ」


「ああ! 発情期の事ですね! 大丈夫です。私、全然大丈夫ですから」


 忘れていたわけではないけれど、マイナスな事でなかったのでピンとこなかったのだ。

 私の事を見て、ルシウス様は呆れたような顔をした。


「そんな明るく言わないでくれ。何故か落ち込むから」


「えっ。なんて言えばよかったのでしょう。ええと、ルシウス様の寝間着姿はとても素敵で色気がありました。大丈夫です」


「その言葉の何が大丈夫だったのか、さっぱりわからない」


「気にしてないって事を言いたかったんですが」


「ちょっと伝わってこなかったな。不思議だ」


「不思議ですね」


 たわいのない会話をしつつ、ルシウス様が時折手をぎゅっと掴む。


「……ルシウス様は、獣になるのが怖いのですか? 私を呼んだ方が、楽なのに。どうしてそんなに私の事を傷つけるのが、こわいのですか?」


 ルシウス様を縛るものは何なのだろう。

 私がまっすぐにそう問えば、ルシウス様は目を瞬かせた後に、ため息をついた。


「魔力切れで寝ている間に聞いた、戯言だと思ってくれ」


「……教えてください」


 私が頷くと、ルシウス様は私の手を握り、話し出した。


 その手は、ひやりとして、かすかにふるえていた。


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