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41 あさましい欲望

 ため息とともに甘い言葉をささやかれ、頬を撫でられる。

 闇のような深い黒色の髪がさらりと私の肩にかかった。


 潤んだ金色の瞳が、情欲を湛えている。


 ルシウス様の野性的に整った顔は魅力的で、こんなに近くにあることが信じられない気持ちになる。


 見るものを引き付けてやまない瞳が、すぐ近くで自分だけを映している。


 人外公爵と呼ばれ、誰とも心を通わせないと言われるルシウス様。仕事は有能で、彼の手腕によって領地は潤っている。そして、稀代の魔法師でもある。


 何もかもを持っている、男。

 そんな彼に、求められている。


 なにも持っていない自分が。

 その甘い誘いに、私の心は揺れてしまう。


「で、でも駄目です! 私たち、白い結婚だと初日に聞きました! なぜこんな、急に……」


 ぐっと引き込まれてしまいそうな自分を抑え、ついでに誘うルシウス様の目を押さえる。


 どんな宝石よりも深い金色が視界からなくなると、それだけで少し緊張が解ける。


 ほっと息をついたのもつかの間。


 自分の目をふさぐ私の手をルシウス様がそっと握り、見せつけるように私の手に口付けた。

 ぺろり、と指をなめられ、生生しい感触に思わず声が上がる。


「でも、クローディアと俺は夫婦なんだし……駄目じゃ、ないよね? もうとても、抑えられそうにないんだ」


「ル、ルシウスさま……」


 握られていない用の手で、そっと肩を抱かれる。ルシウス様の体温を感じ、かあっと自分の頬も赤くなるのを感じた。


 このままそうなっても……。


 自分の考えに恥ずかしくなって目線を下げると、そこには見慣れた黒いもやが、薄くみえた。


 まさか。


 私は、さっと体が冷えるのを感じた。舞い上がっていた気持ちがあっという間に消える。


 色が見えるように目を凝らす。色がないはずのルシウス様の周りに、やっぱり黒いもやが見える。


「クローディア……?」


 不思議そうに首をかしげるルシウス様の腕から、するりと抜け出した。


 やっぱり私の魅力なんかじゃなかった。

 こんな完璧で素敵な人に、好かれてるわけない。


 私は馬鹿だ。


 自分を叱咤して、回復魔法をもやに向ける。


「ルシウス様! しっかりしてください! 今の状態についてわかりますか」


 魔法をかけつつ大きな声で呼びかけると、ルシウス様は信じられないというように目を見開いた。


「え……?」


「ルシウス様! おかしいです。ルシウス様に変な色が見えます!」


「……いろ……? っ……これは」


 初めて今の状況に気が付いたように、ルシウス様はじっと私を見つめた。

 先程のルシウス様からの誘いに、私の寝巻は胸元が大きく開き、足も露わになっていた。


 汗で濡れていた銀色の髪が、肌にぴったりと張り付いている。深い赤の寝巻にはだけた白い肌というあられもない姿が、ルシウス様の目に写る。


 驚いた表情で私をじっと見た後、ルシウス様は顔を真っ赤にして顔を覆った。

 私は我に返って、ばっとシーツで身体を隠した。


「ひ、酷い姿を見せてしまいました」


「酷い姿なんて、そんなこと……! ああ、すまないクローディア……。これは……きっと発情期、だ」


「発情期……。そ、そうだったのですね。大丈夫です私とは何もありません安心してください!」


 それならば今の行動は説明が付く。回復魔法で状態が収まったことも。

 ルシウス様に潔白を示すために、私は両手を上げた。


「何も……そうだね」


「発情期があるなんて、知りませんでした。こんなところに魔物付きの習性がでるんですね」


 ルシウス様の甘い雰囲気に流されなくて良かった、とため息をついた。


 あのままだったら……きっと。

 私は、むしろ望んでいたかもしれない。


 白い結婚を言い出したのはルシウス様だ。


 いくらルシウスの発情期だとはいえ、彼の希望を無視してしまうところだった。


 求められるはずなんてないのに。


「……そうなんだ。こんな風に出るのは初めてで、申し訳ない……」


 ルシウス様は苦し気に謝ってくれる。でも、謝る必要なんてない。

 一瞬の夢だ。


 私が気を付けてみていれば、症状だって抑えられる。


「いえいえ、気にしていませんから! 心配しないでも、大丈夫ですよ」


 私は気を取り直し、ルシウス様を安心させようとにこりと微笑んだ。

 私の笑顔に、ルシウス様も息を吐き答えた。


「ああ、ありがとうクローディア。君は……、いや、君が居てくれて、助かった」


「ふふふ。こんな事にもお役に立てそうで良かったです」


 私が動揺を隠して微笑むと、ルシウス様も同じように微笑んでくれた。

 良かった。


 私は開いてしまった胸元のリボンをぎゅっと結びなおした。


 これで、元通り。


「ガウンも着て」


「ああっ。ありがとうございます。さっき貸していただいたのに、部屋で脱いでしまったのが良くなかったですね」


「……どうだろう。さあ、お茶を、淹れなおそう。そこに座ってくれ」


「ありがとうございます」


 このまま解散してしまえば、また明日気まずくなってしまうかもしれない。

 そんな私の気持ちを読んだかのように、ルシウス様は穏やかに微笑んで私に新たなお茶を入れてくれた。


 そこからたわいもない雑談をして、私たちの空気は以前のように戻った。

 発情期の気配を感じて、ルシウス様は私を避けていたといった。


「私が、早く回復魔法をかければよかったんですね」


「……そうだな。これで収まるとは思わなかったのだ」


「確かにそうですね。こんな事にも効くだなんて思わなかったですから。でも、お役に立ててよかったです」


「そうだな」


「ええ、私、ルシウス様の役に立ちたいと思っています。これからもよろしくお願いします」


「ああ、こちらこそよろしく頼む。クローディア」


 ルシウス様の役に立ちたい。それはもう、間違いがないことだ。


 ……だけど。


 だけどこの夜、私はルシウス様にあのまま抱かれてしまいたいと、確かに思ったのだった。


 あのまま、色の事なんて気が付かずに、ルシウス様に。


 そうしたら、責任感のあるルシウス様は、私の事をきっと大事にしてくれる。

 なにより、彼の目に、私だけが映る。その時だけでも。


 あの時私を求めてくれていた、あの瞳。


 大好きだという、甘く魅惑的な言葉。


 ルシウス様の興奮が伝わってきた。私の事を、あんなにも求めていると。

 優しく肌を撫でられ、彼の体温を感じたい。


 次、発情期が来たら、このまま……そうなってしまえば……。


 そんな欲望を、持つようになってしまった。


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