ため息とともに甘い言葉をささやかれ、頬を撫でられる。
闇のような深い黒色の髪がさらりと私の肩にかかった。
潤んだ金色の瞳が、情欲を湛えている。
ルシウス様の野性的に整った顔は魅力的で、こんなに近くにあることが信じられない気持ちになる。
見るものを引き付けてやまない瞳が、すぐ近くで自分だけを映している。
人外公爵と呼ばれ、誰とも心を通わせないと言われるルシウス様。仕事は有能で、彼の手腕によって領地は潤っている。そして、稀代の魔法師でもある。
何もかもを持っている、男。
そんな彼に、求められている。
なにも持っていない自分が。
その甘い誘いに、私の心は揺れてしまう。
「で、でも駄目です! 私たち、白い結婚だと初日に聞きました! なぜこんな、急に……」
ぐっと引き込まれてしまいそうな自分を抑え、ついでに誘うルシウス様の目を押さえる。
どんな宝石よりも深い金色が視界からなくなると、それだけで少し緊張が解ける。
ほっと息をついたのもつかの間。
自分の目をふさぐ私の手をルシウス様がそっと握り、見せつけるように私の手に口付けた。
ぺろり、と指をなめられ、生生しい感触に思わず声が上がる。
「でも、クローディアと俺は夫婦なんだし……駄目じゃ、ないよね? もうとても、抑えられそうにないんだ」
「ル、ルシウスさま……」
握られていない用の手で、そっと肩を抱かれる。ルシウス様の体温を感じ、かあっと自分の頬も赤くなるのを感じた。
このままそうなっても……。
自分の考えに恥ずかしくなって目線を下げると、そこには見慣れた黒いもやが、薄くみえた。
まさか。
私は、さっと体が冷えるのを感じた。舞い上がっていた気持ちがあっという間に消える。
色が見えるように目を凝らす。色がないはずのルシウス様の周りに、やっぱり黒いもやが見える。
「クローディア……?」
不思議そうに首をかしげるルシウス様の腕から、するりと抜け出した。
やっぱり私の魅力なんかじゃなかった。
こんな完璧で素敵な人に、好かれてるわけない。
私は馬鹿だ。
自分を叱咤して、回復魔法をもやに向ける。
「ルシウス様! しっかりしてください! 今の状態についてわかりますか」
魔法をかけつつ大きな声で呼びかけると、ルシウス様は信じられないというように目を見開いた。
「え……?」
「ルシウス様! おかしいです。ルシウス様に変な色が見えます!」
「……いろ……? っ……これは」
初めて今の状況に気が付いたように、ルシウス様はじっと私を見つめた。
先程のルシウス様からの誘いに、私の寝巻は胸元が大きく開き、足も露わになっていた。
汗で濡れていた銀色の髪が、肌にぴったりと張り付いている。深い赤の寝巻にはだけた白い肌というあられもない姿が、ルシウス様の目に写る。
驚いた表情で私をじっと見た後、ルシウス様は顔を真っ赤にして顔を覆った。
私は我に返って、ばっとシーツで身体を隠した。
「ひ、酷い姿を見せてしまいました」
「酷い姿なんて、そんなこと……! ああ、すまないクローディア……。これは……きっと発情期、だ」
「発情期……。そ、そうだったのですね。大丈夫です私とは何もありません安心してください!」
それならば今の行動は説明が付く。回復魔法で状態が収まったことも。
ルシウス様に潔白を示すために、私は両手を上げた。
「何も……そうだね」
「発情期があるなんて、知りませんでした。こんなところに魔物付きの習性がでるんですね」
ルシウス様の甘い雰囲気に流されなくて良かった、とため息をついた。
あのままだったら……きっと。
私は、むしろ望んでいたかもしれない。
白い結婚を言い出したのはルシウス様だ。
いくらルシウスの発情期だとはいえ、彼の希望を無視してしまうところだった。
求められるはずなんてないのに。
「……そうなんだ。こんな風に出るのは初めてで、申し訳ない……」
ルシウス様は苦し気に謝ってくれる。でも、謝る必要なんてない。
一瞬の夢だ。
私が気を付けてみていれば、症状だって抑えられる。
「いえいえ、気にしていませんから! 心配しないでも、大丈夫ですよ」
私は気を取り直し、ルシウス様を安心させようとにこりと微笑んだ。
私の笑顔に、ルシウス様も息を吐き答えた。
「ああ、ありがとうクローディア。君は……、いや、君が居てくれて、助かった」
「ふふふ。こんな事にもお役に立てそうで良かったです」
私が動揺を隠して微笑むと、ルシウス様も同じように微笑んでくれた。
良かった。
私は開いてしまった胸元のリボンをぎゅっと結びなおした。
これで、元通り。
「ガウンも着て」
「ああっ。ありがとうございます。さっき貸していただいたのに、部屋で脱いでしまったのが良くなかったですね」
「……どうだろう。さあ、お茶を、淹れなおそう。そこに座ってくれ」
「ありがとうございます」
このまま解散してしまえば、また明日気まずくなってしまうかもしれない。
そんな私の気持ちを読んだかのように、ルシウス様は穏やかに微笑んで私に新たなお茶を入れてくれた。
そこからたわいもない雑談をして、私たちの空気は以前のように戻った。
発情期の気配を感じて、ルシウス様は私を避けていたといった。
「私が、早く回復魔法をかければよかったんですね」
「……そうだな。これで収まるとは思わなかったのだ」
「確かにそうですね。こんな事にも効くだなんて思わなかったですから。でも、お役に立ててよかったです」
「そうだな」
「ええ、私、ルシウス様の役に立ちたいと思っています。これからもよろしくお願いします」
「ああ、こちらこそよろしく頼む。クローディア」
ルシウス様の役に立ちたい。それはもう、間違いがないことだ。
……だけど。
だけどこの夜、私はルシウス様にあのまま抱かれてしまいたいと、確かに思ったのだった。
あのまま、色の事なんて気が付かずに、ルシウス様に。
そうしたら、責任感のあるルシウス様は、私の事をきっと大事にしてくれる。
なにより、彼の目に、私だけが映る。その時だけでも。
あの時私を求めてくれていた、あの瞳。
大好きだという、甘く魅惑的な言葉。
ルシウス様の興奮が伝わってきた。私の事を、あんなにも求めていると。
優しく肌を撫でられ、彼の体温を感じたい。
次、発情期が来たら、このまま……そうなってしまえば……。
そんな欲望を、持つようになってしまった。