「ルシウス様、お疲れさまでした。……無事に終わって良かったです。クローディア様のお披露目も終わり、王も、ルシウス様の婚姻については諦めたでしょう」
ルシウスの私室、湯あみが終わりくつろいだ服を着たルシウスにグライグはお茶を入れた。
甘いはちみつを入れたハーブティだ。
今日は流石に疲れただろう。味については何も言わないルシウスだが、グライグはゆっくりとした気持ちになってほしくてはちみつを入れた。自己満足だと知っている。
『この紅茶は私が好きなものなんだ。ミルクとはちみつを入れて甘くするのが好きなんだ』
クローディアにルシウスが伝えた言葉が蘇る。本当にそうなのだろうか。
主人は好みを言わないためにわからないが、彼女への言葉を信じてみた。
甘さが、主人を癒してくれるといい。
「グライグ」
薄暗い部屋に、ルシウスの声が冷たく響いた。
「なんでしょうか」
「カリアン殿下について、調べてくれ」
「……カリアン殿下というと、第二王子ですか? 理由を窺っても」
濡れたドレスに、ドートン家の嘲笑。あの時の事を思い出し、ルシウスは不快な気持ちになりため息をついた。
「魔物寄せを入れた酒を出してきた」
「……まさか、飲んだのですか!?」
慌てるグライグに、ルシウスは眉を上げた。
「飲んだら、多分今こうしてはいられなかっただろう。クローディアが転んだふりをしてこぼしたんだ。そのせいで着替えが必要になった」
「ああ、あの時ですか……衣装を用意しておいてよかったです」
「そうだな、ドートン家に何かされる事自体は想定内だったが、まさか第二王子とは。だが、カリアン殿下はクローディアの義妹のパートナーとして紹介された。繋がりがあるのは間違いないだろう」
「まったく考えもしない相手でしたね」
「ああ、だがクローディアの義妹も最悪だ。クローディアを見る目は、悪意に満ちていた。彼女は気にした様子もなかったが」
「……それはきっと、日常的な事だったのでしょう」
グライグもダルバードからの報告を見たのだろう。彼にしては珍しく目を伏せ呟いた。
事実、そうだろう。
……貴族など、どうしようもないものだ。家の為という大義名分さえあれば、どこまでも残酷になれる。
そう。そして残酷になる分だけ、自分が大きくなった気がするに違いない。
父の狂気を孕んだ目を思い出し、ルシウスは目を押さえた。
「……問題がある」
「問題、ですか?」
「ああ。あの時クローディアがこぼしたワインの香りをかいだ。その時に、魔物寄席の香りが……何か影響している」
「……執務室を閉鎖しましょうか?」
「いや、大丈夫だ。その時はいつものように合図をする」
グライグはほっとしたようにため息をついた。
魔物付きに、こんな弱点があっただなんて、ルシウスでさえ知らなかった。
魔物寄せ自体は、街で被害が大きい時におびき寄せたりするのに使用するものでそう使うものではない。
しかし、ここまで影響があるのであれば警戒しなければいけない。
魔物寄せに反応した自分の中の獣が、呼び出されるような感覚だ。
「かしこまりました。……飲まなくて、本当に良かったです。クローディア様に感謝しなくては」
「ああ、本当に。もしかしたらあの場で魔獣になっていた可能性すらある」
「そうしたら、敵の思うつぼでしたね」
「まったくだ。どうにも私の事を魔獣としたい奴が居るようだ。戦争についての功績は、私が魔獣であれば全て、ただ恐怖として捉えられるようになるだろう」
この魔物付きの力は、戦争に有利だ。魔物のおかげで、大きな魔術を操る力に魔力を手に入れた。
実際、全ての力を操るために戦いの最中獣人になる程度の事はある。
それでも、慣れている部下以外の自分を見る目は、ただの獣だ。
完全に獣になってしまえば、それはルシウスではなく排除すべき敵になるだろう。
「ルシウス様は、国を守っておられます。どの貴族よりも、素晴らしい功績を誇っております。このビアライドの城に居るものは、皆誇らしく思っています」
「そうだな、ありがとう」
ルシウスはグレイグの言葉に微笑んで見せた。だが、グレイグは魔獣である自分に恩があるから、そのせいで自分の事が怖くないのだ。
そう思ったところで、クローディアの魔獣になった自分を見る目を思い出した。
魔獣に親しみを感じているような目で、ふわりと儚げに笑った。
よっぽど自分の方が傷ついているのに、ルシウスの傷を心配した。
身体だけではなく、心の。
その手の感触を思い出したところで、自分の中に欲望が走るのを感じた。
息苦しくなるような動揺が広がる。
「……グライグ、後で報告を」
「わかりました。……ご無理をしないでください」
ルシウスの意図を正確にくみ取り、一礼してグレイグが去っていった。
「……くっ……嘘だろう」
ルシウスは閉まった扉を見つめ、ゆっくりと息を吐いた。
椅子に深く沈み込むように身を預け、両手で顔を覆った。
「……これは、まずいな」