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36 離れた距離

「……先程の、事は本当です。カリアン殿下は、ルシウス様に対して何か敵意があるようです」


 私は気づかなかったふりをして、話を変えた。


「カリアン殿下か……今まで交流も特になかったし、そんな素振りもなかった。彼を押す派閥もあるが、第一王子が後を継ぐのは明白だ。……何も理由が思いつかない」


 理由は私にもわからない。

 色を見ただけだ。


 なにも説得力のある話を出すことができない。信じてもらうのは難しいだろう。先程の魔物寄せも、ばれたところで質の悪い冗談として流せるギリギリだ。


 フラウが見下している私の事を、一緒に揶揄っただけともとれる。


 けれど、あの色はおかしい。カリウス殿下自身が、はっきりとルシウス様を憎んでいた。


 フラウがいくらカリアン殿下に私の事を悪くいったとしても、初対面であの憎しみは生まれないだろう。……多分。


 ルシウス様には、何事もないように警戒してほしい。

 信じていなくても、もしかしたらと思ってほしい。


 説得できるような理由を、必死で探す。


「そうですよね。理由……」


 もごもごと口ごもる私に、ルシウス様はさっと頭を下げた。


「クローディア、この事を教えてくれてありがとう。先程も、自分が責められるかもしれないのに、守ってくれた。……嬉しかった。カリアン殿下については、調べるし警戒もする。次は大丈夫だ」


「……っ。お礼なんて、そんなっ」


 私の欲しかった言葉を、ルシウス様はまっすぐに私を見つめ言ってくれた。


 ありがとう、と。

 私は知らず、微笑んでいた。


 ルシウス様はそのまま私の頭を撫でた。


 ふわふわとしたルシウス様の肩に、私の頭がくっつく。優しい毛が私の頬をくすぐり、暖かさを感じる。


「……私の方こそ、ありがとうございます」


「何故、君がお礼を」


「言いたかったんです」


 不思議そうなルシウス様に、やっぱり笑ってしまう。


 すり、と肩に頭をこすりつける。なんだか、とてもふわふわした気持ちだ。

 落ち着いているのに、なんだか心が跳ねるような、不思議な気持ち。


 ……なんでだろう。


「可愛いな、クローディア……とても、あまい……」


 ささやく声とともに、ルシウス様が熱に浮かされたようにこちらを見ていた。肩を優しくなでる手が、髪を撫で、頬を撫でた。


「……? ルシウス様……?」


 不思議に思い見上げると、ルシウス様ははっとしたように身体を離した。


「……っ。クローディア……やはり、魔物寄せの効果があるのかもしれない。そろそろ、戻ろう」


「あっそうですね」


 優しい空気がさっと霧散して、急に冷たい空気が流れた。

 すっかり忘れてしまいそうになったけれど、今は舞踏会の真っ最中だ。いくらなんでも利関時間が長すぎてしまうのは良くない。


「では、早く着替え戻ろう」


 さっと立ち上がったルシウス様は、後ろを向き呼び鈴を鳴らした。これだけで従僕がくるらしい魔導具だ。


 私はベッドに腰掛けたまま、隣の温かさがなくなってしまった事に、寂しくなる。

 ルシウス様はこちらを見ない。


 ルシウス様の先程の言葉は、今までになく素っ気なく響いた。

 うっかり、何かしらの線を越えてしまったのだろうか。わからない。


 鈍感な自分が悲しい。


 先程は嬉しい気持ちでいっぱいだったけれど、途端に息苦しい程にぐるぐると暗い気持ちが渦巻いた。


「失礼します……わっ」


 ルシウス様の従僕であるグライグと私の専属メイドのミーミアが一緒に入ってくる。二人は私たちを見るなり、驚きに目を見開いた。


 ……ルシウス様は獣人の姿から戻ったけれど、服ははだけたままで、私のドレスは濡れていた。


 驚くのも無理はない。

 私は気恥ずかしくなって、足早にミーミアの元へ向かう。


「来てくれてありがとう。せっかくのドレスが、濡れてしまったの」


「……着替えを。こちらに、クローディア様」


 気を取り直したミーミアが、天蓋でルシウス様の視線から見えない場所に誘導してくれた。


「こちらなら、見えませんので」


 そっと、ミーミアが耳打ちしてくれる。にこりと笑ったミーミアを、私はもう疑っていなかった。


「ミーミア、ありがとう……」


 彼女の心遣いが有り難い。

 身体に傷は常にあるものだったので、たまに意識の外に出てしまう。ルシウス様に見せるわけにはいかないのに。


「もう一着のドレスも、とても素敵ですよ!」


 ミーミアが明るく笑ってくれる。けれど、ルシウス様の背は私を拒絶しているように見えた。


 目の端にうつる濡れたドレスが、今はすごく悲しかった。


 *****


 着替えた私たちは、何事もなかったような顔をして再び会場に戻った。


 フラウやカリウス殿下は、私達が戻ってきたのを横目で見たが、何事もなかったかのように視線を戻した。今度は彼らに話しかけられることはなかった。


 再び何かされるかもしれないと緊張していたので、少しほっとする。


 なるべく目立たないように端に居たけれど、やはりルシウス様の人気と人外公爵の結婚という好奇心からか次から次へと話しかけられた。


「私の妻である、クローディアです」


「まあ、とても美しいわ。二人で並ぶとまるで物語から出てきたよう。お召し物も揃いで、とても似合っていますわ」


「ルシウス様のお色ばかりで……更には魔石もたくさん。ははは、これは大変ですねクローディア様も」


 誰も彼も、にこにことした顔で私達を見る。色は色々だったけれど、先程のような警戒すべきような色はなった。


 会話はルシウス様が殆ど引き受けてくれた。私はルシウス様の隣でにこりと笑い、失礼のないように名前を覚えるので精いっぱいだった。

 あんなに練習していたのに、実践となるとさっぱりな自分が悔しい。


 けれど、大変だったそのおかげで、先程の気まずいような、見放されたような空気は感じなくてすんだのは良かった。


「もうすぐ、王からのお言葉がある。こちらに移動しよう」


 人が途切れたタイミングで、ルシウス様から壇上が見えるように促される。


 そのまま、ルシウス様は私にこちらで待つようにと言い、壇上に上がっていった。彼が一段上からこちらを見渡すと、会場の中がしんと静まり返った。


 凄い、彼の圧倒的な存在感に威圧されているようだ。


 じっと見ていると、ルシウス様はこちらを向いた。しかし目が合うと、すっと視線を逸らす。


「……」


 ぎゅっと手を握り、何も考えないようにする。


 大丈夫、大丈夫。

 息苦しく身体が重くなった気がするけれど、気のせいだ。


 こんないい暮らし、ついこの間まで考えられない程なのだから、何も問題はない。

 幸運だ。


 騎士を伴い、王がルシウス様に近づく。


 ルシウス様とは違う、それでも圧倒的な為政者の存在感。

 初めて見る王の姿は、それだけで敬わずにはいられない力強さがあった。


「この度の勝利は、我が国に平和をもたらし、我々の未来を守る礎となるものだ。そして、その中心に立ち、果敢に戦ったのは他でもない、ルシウス公爵である」


 王の重々しい声が、広間の隅々にまで響き渡る。


 王の声は、静かなのに、心に直接響くような重さがあった。

 王は敬意を感じる眼差しでルシウス様を見つめている。


 貴族たちがひしめき合う中、王の声だけが響き、誰もが息を飲んで耳を傾けていた。

 私も、息をつめ彼らを見つめた。


「彼の勇気と知恵により、我らの軍は数多の困難を乗り越え、多大なる犠牲を払うことなく勝利を収めた。この偉業を讃え、我が王国を代表して、ここにルシウス公爵へ褒章を授けよう」


 王は静かに頷きながら、近くの侍従に合図を送り、金色に輝く勲章を手に取った。

 王が勲章を掲げた瞬間、広間全体が再びざわめきとともに拍手で満ちた。


「ルシウス公爵よ、お前の功績は我が国の誇りであり、未来への道を切り拓いた。我らはお前の勇敢な行動に深く感謝している」


 その言葉を受け、ルシウス様は深々と頭を下げた。

 最初に見た時のような、冷たい表情。まったく喜びを感じさせない顔で、ルシウス様は皆を見つめた。


 その冷静な表情は、彼が背負う責任と重さを感じさせた。

 貴族からは、割れんばかりの拍手が巻き起こった。


 皆がルシウス様に注目している。私はゆっくりと貴族の色を見た。

 今、ルシウス様を見ている人たちの敵意を知りたいと思った。


 しかし、彼らの色は大きく混ざりあい、個人の色は見えなかった。人々から出た色は大きな感情となったように膨れ上がり、視界がぼやけてしまうほどだ。


「……!」


 こんなに大きな感情は初めてで、怖くなった私はルシウス様を見上げた。

 ルシウス様と王の色は、見えなかった。

 無色の中、彼らはその重責を背負うかのように、じっと皆を見つめていた。


 じわりと、ルシウス様の重圧を、私も感じた気がした。

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