私はゆっくりと辺りを見渡す。
フラウ。
彼女は赤黒い色をしている。
いつもの澱んだ嫌な色ではなく、私を虐げているときに見せる色。
「さあ、乾杯をしようじゃないか」
カリアン殿下の合図をすると、給仕の女性がグラスを運んできた。
私は、彼女の色を見て息をのんだ。
……緑色。
給仕の女性は、見たことのない色をしていた。給仕の女性の手は小刻みに震えている。一見すれば、身分高い貴族を前にした緊張のようにも見える。
だけど、この色は……。彼女は怯えているのかもしれない。
カリアン殿下が給仕の女性からグラスを受け取り、配った。グラスの中には、透明な液体の一番下に、赤い液体が入っていて綺麗なグラデーションになっている。
一見他の人達が飲んでいるものと、違いはなさそうに見える。
カリアン殿下の笑顔が、少し歪んだように見えた。フラウが、ちらりと私の事を見る。
赤黒い色が、揺れる。
「いい出会いになるように」
「ええ、カリアン殿下。光栄です。……あっ」
四人でグラスを合わせる瞬間、私はよろけた振りをして、ルシウス様にぶつかった。
「大丈夫かクローディア」
「私は問題ありません。ああ、皆さま大変申し訳ありません……!」
ぶつかった拍子に皆のグラスの中身はこぼれ落ち、私のドレスを汚した。
ルシウス様や他の人にはかからなかったのは良かった。なかなか上手だったのではないだろうか。
「何をするんだ!」
「お姉様! なにをしてるの! せっかくカリアン殿下が用意してくれたのに!」
二人が先程の余裕の笑顔から憎々しげな顔で私を見つめた。
……多分、正解だ。良かった。
私はこっそりと息をつき、皆に深く礼をした。給仕が慌ててグラスを回収していく。
「大変申し訳ありません。あまりに素敵なお二人を前に緊張してしまい……失礼いたしました」
私が謝ると、二人はため息をついて、貴族らしい顔を取り戻した。
「……お姉様は、舞踏会には向いていないのじゃないかしら。着こなしだって、全然駄目だわ。知っていたけれど」
「クローディア夫人は、ドレスが着なれていないんだね。仕方がないけれど、練習は必要だったね」
二人はくすくすと、私の事を笑った。
二人の声は良く通り、周りの貴族たちも私の濡れたドレスを見て、くすくすと笑う。
ルシウス様に何かされなかったのなら、どうでもいいことだ。それにしても何をしようとしていたのだろう。
私のドレスを見ながら、こそりとルシウス様が囁いた。
「……クローディア、どうしたんだ君らしくない気がする」
「はい。……あの」
そこまで言って、私は逡巡した。急に変なことを言ったと思われないだろうか。
「体調が悪いのなら、このまま帰ってもいいんだ」
ルシウス様の目は、粗相をしてしまった私を責めるようなことはなく優しかった。
……何も言わずこんな事をしてしまったのに。
はたから見れば、フラウたちの言う通り、どうしようもない女だ。
それなのに問題がある事を伝えないなんて、ルシウス様に不誠実だ。彼の優しさに勇気を得て、私は囁いた。
「ルシウス様、もしかしたら、何か入っていたかもしれません」
何があったかまではわからない。
けれど、この後も何かあるかもしれない、警戒するに越したことはない。伝えられてよかった。
ルシウス様は驚いた顔をしたけれど、力強く頷いてくれた。
「私の妻が、大変に失礼しました」
ルシウス様は、有無を言わせないような強い口調で謝罪の言葉を口にした。しかし、そのふるまいは強者そのものだ。
有無を言わせないようなルシウス様の威圧感に、二人はたじろいだように押し黙った。
でも、私のせいでルシウス様に謝らせてしまった……。
いたたまれなくなり、すぐさま、私は退出することにした。
「私の無作法で、ドレスが汚れてしまいました。大変楽しい時間だったのですが……申し訳ありませんが、一度外させていただきます。お会いできて良かったです」
私は礼をすると、その場を立ち去ろうとした。すると、ルシウス様が私の腕をつかんだ。
「私も行こう」
「えっ。ルシウス様は、パーティーの主賓なのですから、駄目です」
「私の妻が退出するんだ。一緒に行かないはずがないだろう? ああ、大分濡れてしまったようだね」
「あっそんなことして頂かなくても……それに、一人で本当に大丈夫です」
「クローディアは全くそそっかしいな。緊張するとすぐに慌ててしまう。君のこういう可愛い所は、私だけが知っていていたかったんだが」
まったく、というように笑い、ルシウス様はハンカチを出して私のドレスを拭いた。
そして、今気が付いたかのようにハンカチを顔に近づけた。
ルシウス様は厳しい顔をして、カリアン殿下にハンカチを見せる。カリアン殿下は一瞬眉を寄せたが、へらりと笑った。
「なんの真似かな」
「……この香り、魔物寄せが入っていますね。ご冗談が過ぎます」
ルシウス様の言葉に、悪びれた様子もなくカリアン殿下は笑った。
「気づいたか。魔物付きというのは、魔物寄せが好きかと思ったんだ。飲んでもらえずに残念だよ。気に入ってくれると思ったんだが」
「……これぐらいであれば、許しましょう。次に何かあれば、それこそ私が魔物付きだということをお忘れなく」
低く冷たい声で、ルシウス様はでカリアン殿下に警告する。それに気圧されるように、カリアン殿下は笑みを消し、頷いた。