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33 怯えの色

 私はゆっくりと辺りを見渡す。


 フラウ。

 彼女は赤黒い色をしている。

 いつもの澱んだ嫌な色ではなく、私を虐げているときに見せる色。


「さあ、乾杯をしようじゃないか」


 カリアン殿下の合図をすると、給仕の女性がグラスを運んできた。

 私は、彼女の色を見て息をのんだ。


 ……緑色。


 給仕の女性は、見たことのない色をしていた。給仕の女性の手は小刻みに震えている。一見すれば、身分高い貴族を前にした緊張のようにも見える。


 だけど、この色は……。彼女は怯えているのかもしれない。


 カリアン殿下が給仕の女性からグラスを受け取り、配った。グラスの中には、透明な液体の一番下に、赤い液体が入っていて綺麗なグラデーションになっている。

 一見他の人達が飲んでいるものと、違いはなさそうに見える。


 カリアン殿下の笑顔が、少し歪んだように見えた。フラウが、ちらりと私の事を見る。


 赤黒い色が、揺れる。


「いい出会いになるように」


「ええ、カリアン殿下。光栄です。……あっ」


 四人でグラスを合わせる瞬間、私はよろけた振りをして、ルシウス様にぶつかった。


「大丈夫かクローディア」


「私は問題ありません。ああ、皆さま大変申し訳ありません……!」


 ぶつかった拍子に皆のグラスの中身はこぼれ落ち、私のドレスを汚した。

 ルシウス様や他の人にはかからなかったのは良かった。なかなか上手だったのではないだろうか。


「何をするんだ!」


「お姉様! なにをしてるの! せっかくカリアン殿下が用意してくれたのに!」


 二人が先程の余裕の笑顔から憎々しげな顔で私を見つめた。

 ……多分、正解だ。良かった。


 私はこっそりと息をつき、皆に深く礼をした。給仕が慌ててグラスを回収していく。


「大変申し訳ありません。あまりに素敵なお二人を前に緊張してしまい……失礼いたしました」


 私が謝ると、二人はため息をついて、貴族らしい顔を取り戻した。


「……お姉様は、舞踏会には向いていないのじゃないかしら。着こなしだって、全然駄目だわ。知っていたけれど」


「クローディア夫人は、ドレスが着なれていないんだね。仕方がないけれど、練習は必要だったね」


 二人はくすくすと、私の事を笑った。

 二人の声は良く通り、周りの貴族たちも私の濡れたドレスを見て、くすくすと笑う。


 ルシウス様に何かされなかったのなら、どうでもいいことだ。それにしても何をしようとしていたのだろう。


 私のドレスを見ながら、こそりとルシウス様が囁いた。


「……クローディア、どうしたんだ君らしくない気がする」


「はい。……あの」


 そこまで言って、私は逡巡した。急に変なことを言ったと思われないだろうか。


「体調が悪いのなら、このまま帰ってもいいんだ」


 ルシウス様の目は、粗相をしてしまった私を責めるようなことはなく優しかった。


 ……何も言わずこんな事をしてしまったのに。

 はたから見れば、フラウたちの言う通り、どうしようもない女だ。


 それなのに問題がある事を伝えないなんて、ルシウス様に不誠実だ。彼の優しさに勇気を得て、私は囁いた。


「ルシウス様、もしかしたら、何か入っていたかもしれません」


 何があったかまではわからない。

 けれど、この後も何かあるかもしれない、警戒するに越したことはない。伝えられてよかった。


 ルシウス様は驚いた顔をしたけれど、力強く頷いてくれた。


「私の妻が、大変に失礼しました」


 ルシウス様は、有無を言わせないような強い口調で謝罪の言葉を口にした。しかし、そのふるまいは強者そのものだ。


 有無を言わせないようなルシウス様の威圧感に、二人はたじろいだように押し黙った。


 でも、私のせいでルシウス様に謝らせてしまった……。

 いたたまれなくなり、すぐさま、私は退出することにした。


「私の無作法で、ドレスが汚れてしまいました。大変楽しい時間だったのですが……申し訳ありませんが、一度外させていただきます。お会いできて良かったです」


 私は礼をすると、その場を立ち去ろうとした。すると、ルシウス様が私の腕をつかんだ。


「私も行こう」


「えっ。ルシウス様は、パーティーの主賓なのですから、駄目です」


「私の妻が退出するんだ。一緒に行かないはずがないだろう? ああ、大分濡れてしまったようだね」


「あっそんなことして頂かなくても……それに、一人で本当に大丈夫です」


「クローディアは全くそそっかしいな。緊張するとすぐに慌ててしまう。君のこういう可愛い所は、私だけが知っていていたかったんだが」


 まったく、というように笑い、ルシウス様はハンカチを出して私のドレスを拭いた。


 そして、今気が付いたかのようにハンカチを顔に近づけた。

 ルシウス様は厳しい顔をして、カリアン殿下にハンカチを見せる。カリアン殿下は一瞬眉を寄せたが、へらりと笑った。


「なんの真似かな」


「……この香り、魔物寄せが入っていますね。ご冗談が過ぎます」


 ルシウス様の言葉に、悪びれた様子もなくカリアン殿下は笑った。


「気づいたか。魔物付きというのは、魔物寄せが好きかと思ったんだ。飲んでもらえずに残念だよ。気に入ってくれると思ったんだが」


「……これぐらいであれば、許しましょう。次に何かあれば、それこそ私が魔物付きだということをお忘れなく」


 低く冷たい声で、ルシウス様はでカリアン殿下に警告する。それに気圧されるように、カリアン殿下は笑みを消し、頷いた。

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