あまり厚くないし、文字も大きい。
絵本みたいな気楽さもありそうなその提案に、私は微笑んだ。
紙をめくる音、温かな色の光、ルシウス様の気配とペンの走る音。柔らかな椅子に沈み、読書にふけるしあわせ。
静かな時間が過ぎていき、ふいにルシウス様の手が止まった気配に、私は彼を見た。
「そろそろ私は終わりにしようと思う。クローディアは、どうする?」
「……すっかり物語に入っていました。なんだか、凄く落ち着いて……驚いちゃいます」
「それは良かった。夜が長いのはつらい」
「……あの、ルシウス様にも、そういう日があるのですか?」
「……ある」
苦々しそうにつぶやいたルシウス様に、私は親近感を覚えた。
「先程の本の一節が、とても気になりました。『人は孤独を恐れるけれど、孤独の中にも自由がある』……孤独にこそ、自由は、あるのでしょうか」
「どうだろうな。だが、人の考えはわからないものだ。そして勝手なことばかり言う。何も聞かないほうが楽なこともあるだろう」
確かにそうだ。
だから私は、人間が嫌いだ。
誰とも関わりたくなかった。
それが自由だということだと思ったから。
「そうですね。凄くわかります。やっぱり、自由は孤独の中にあるんですね」
「私もそう思っていた。だが、違うのかもしれない。ただ、誰も信じられない時ほど、孤独が楽に感じられるものだ」
私の事だ。
けれど今、私はルシウス様とこんなにも穏やかな気持ちで話している。
「誰かを信じられたら…少しは違うのでしょうか」
「そうかもしれない。……だが、それは簡単なことではないだろう。人間も獣も、他人の本当の気持ちは見えないからな」
ルシウス様は、感情の見えない瞳で呟いた。
私は感情の色は見える。
……けれども、感情について本当にわかっているわけではないのかもしれない。
なんだか、そう思った。
「ありがとうございます」
「ありがとう?」
「私に、そのことを教えてくれることが、嬉しいです。政略結婚なのに、こんな風に伝えてくれるだなんて、思ってもいなかったから……。なんていうか、私が、私みたいな人間が、こんな時間を過ごせるだなんて、ここに来るまで思ってもいませんでした」
苦しい時は、ただただ長い時間をまった。
過ぎたところで、またつらい時間が来るだけなのもわかっていた。
閉塞感に襲われ、ただ息をひそめ、こんな自分を誰にも見つからないように、じっと丸まっていた。
ルシウス様は虚を突かれたように目を開き、その後くつくつと笑った。
「案外、君と私は似ているのかもしれないな」
「……私がルシウス様に似ていたら、もっといろいろ上手くやれたと思います」
ルシウス様の軽口に、私は恨めしい気持ちで反論した。
「上手く?」
「ええ。体力もあり力強くて、見るものを畏怖させるような、美しさがあるじゃないですか。それに、ダルバード先生に聞きました、魔法もすごい上手なんですよね!? 信じられません……同じ、作りだなんて」
「君は美しいと思うが……」
「いえ、ルシウス様に言われると、なんだかすごく残念な気持ちになります」
「本心なのにおかしいな。私の言葉は、魔獣の時の方が信じられた?」
「それは、そうかもしれません。魔獣であれば、人間みたいに色々な物がないような気がして……ルシウス様自体は同じだって、頭ではわかっているんですが」
「ははは。魔獣のがいいだなんて、本当にクローディアは不思議だ。まあ、確かに魔法は得意だが、君も使えるだろう」
「謙遜はいいです……」
私は勝手にその体格から、ルシウス様は剣で戦うのかと思っていた。補助的に魔法を使うのだと。
それなのに、王城で雇われている魔法使いよりも圧倒的に力があると聞いて愕然とした。
どこまで完璧であるのか……。
「そんな悔しそうな顔をするな」
「ううう。私にも何か才能が……。いや、私は優秀なメイドになる為に生活魔法を……」
「メイドになる気なのか?」
気安い雰囲気に、うっかり口が滑ってしまった。あわあわしている私を、ルシウス様は口の端で笑っただけで流してくれた。
「じゃあ、部屋まで送ろう」
「えっ。いいんですか?」
「また、迷子になったら困るからな。道はわかるのか?」
揶揄うような口調に、やっぱり悔しくなりながらも正しい指摘にがっくりとする。
「……ううう、わかりません」
「やっぱりな。……君は案外、抜けているな」
「ルシウス様みたいに、何でもできる人がずるいんですよ……!」
「ははは、ずるいか。人外公爵などと呼ばれる男が」
「人外の何が悪いのか、私にはわかりません! 圧倒的な力があって、ルシウス様は知的なままじゃないですか。もう、本当に人間はよくわかりません」
「本当に、君は不思議なことで怒るな」
「えっ。私ってもしかして怒りっぽいですか……!? そんな事思ったことなかったのですが、気を付けます」
「いや違う。君はこのままでいてくれということだ」
ルシウス様は、微笑んで私に手を差し出してくれた。
そっとつかんだ手は暖かく、獣人じゃないのに私は緊張せずに一緒に歩くことができた。
その日は、フラウに会ったとは思えないぐらい、ゆっくりと寝ることができた。