その夜は、やっぱり寝付けなかった。
フラウの事を、どうしても思い出してしまう。彼女の前に出た途端に、あっという間に自分がどんな存在だったか思い出した。
ルシウス様が、こんな自分をちゃんと扱ってくれていることも。彼の存在に、どれだけ救われているかも。
夜風にのって、花の香りがする。
「……こんな事も、凄く贅沢よね」
ビアライド家の庭は広大だ。
いい香りのする花々が咲き誇る庭園にあるベンチに、座って辺りを見る。
どういう仕組みなのか、ぽわぽわと光っている明かりが幻想的だ。
「先生の魔法なのかなあ」
ダルバード先生は多くは自分の事をあまり語らないけれど、王城で働いていたことがあるようだった。
王城で働く、ということはそれだけ優秀だということだ。少しずつ教えていただいているけれど、知識も技術も素晴らしいものだということは私にもわかった。
にこにこと優しく、感情的にならない先生は私にとって安全を感じる。
どういうところでばれてしまうかわからないので、色は見ないようにしている。けれど、それでも私に何かしないということが伝わってくる。
不思議だ。
「いい生徒ではないのが残念だわ」
魔力も少ないようだし、回復魔法をまずは出来るだけ覚えるという事で進みが遅い。
先生の期待に応えられるような生徒で、終わった後は少し落ち込んでしまう。
「……無能」
私を端的に示す言葉だ。
フラウは高貴な方から誘いがあったと言っていた。やはり彼女は魅力的なのだろう。
私は馬車でこの地に来た為に時間がかかったけれど、フラウの様子では移転陣を使ってきたのだろう。
移転陣の使用はとても高く、利用者も制限される。私が使うなどということは、考えつきもしなかった。
それだけの価値が、彼女にはあるのだ。
……無能である私は毒を飲むべきなのだろうか?
そこまで考え、目を伏せる。
ルシウス様は既婚という立場を買ったと言っていた。妻が毒を飲んだなんて事があったら、彼がさらにひどい噂にさらされるだろう。
生きていることに価値があるのだ。
大丈夫、大丈夫だ。
冷たい風がふき、思わず身体を抱き寄せる。部屋は暖炉があり、暖かい。戻ればいいだけ。寒いと感じた時に、戻る温かい部屋があるだけで凄く凄く、いいことだ。
……わかっているのに、今は部屋に一人になりたくなかった。
だからと言って、ミーミアを呼ぶわけにはいかない。
私はぼんやりと、空を見上げた。曇っていて、星は見えない。
「クローディア?」
「……ルシウス、さま?」
会いたくない人に会ってしまった。
夜の庭園になんて、誰も来ないと思っていたので油断してしまっていた。ルシウス様は夜も遅いというのに、かっちりとした服を着ていた。自分のすっかり寝る前だというような姿が恥ずかしい。薄いドレスに、羽織をかけただけだ。
「君はいつも眠れないのか?」
何か聞かれるかと身構えた私に、ルシウス様は端的に問うた。
「……そう、ですね」
「ここは冷えるだろう。眠れないのならば、部屋にもう戻った方がいい」
ルシウス様の言葉は私を責めるような響きではなかった。だから、私は素直な気持ちで答えることにした。
「一人でこもっていると、考えてしまうのです。……考えすぎて、眠れなくなる時があります」
「考えすぎる…それは何についてだ?」
フラウの事をそのまま答えるわけにはいかなくて、私は首をかしげて見せた。
「そうですね。自分がどうあるべきか、とかでしょうか……」
「どうあるべき、か。……君は、私は今のままでいいと思う」
「え……?」
「いや、何でもない。クローディアは、眠れずにここに居るのだな。一人でいると考えすぎてしまうから」
「はい。なので、もう少しここに居ようと思います。ルシウス様も冷えますので、気を付けてくださいね」
すぐに立ち去るだろうと思ったルシウス様は、口元に手を当て、考える仕草をした後驚くべきことを言った。
「……執務室で、本を読めばいい。私はもう少し、仕事がある」
「え……?」
「一人だと考えてしまうのだろう? 寝れないのであれば、私の執務室に居ればいい。暖かいし、私はまだ仕事があるから問題ないだろう」
言ったことが理解できなくて、私はパチパチと目を瞬いた。
答えない私を気にした様子もなく、ルシウス様はこちらだと言い、そのまま歩いて行ってしまった。
私は慌ててルシウス様の後を追う。
ちらりと私が付いてきたのを確認すると、ルシウス様は特に話しもせずそのまま歩いた。
何も言わないままに、それでもルシウス様はゆっくり歩いてくれて、なんだか凄く……嬉しかった。