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25 突然の来訪者

 焼けるまでの間部屋に居ると、静かなノックの音が聞こえた。


「クローディア様に、お客様がおいでです」


「……私に?」


 突然の来客に驚いて出迎えると、そこには義妹のフラウがにっこりと立っていた。

「随分ぜいたくな生活をさせてもらっているのね」


 フラウの冷たい声が部屋に響いた。

 まるでここが自分の部屋だとでも言わんばかりに、椅子に深く腰掛け、あたりを見回すその姿は昔と変わらない。


 フラウの変わらないその姿に、私は息苦しさを感じぐっと手を握る。


 ミーミアにフラウと居る自分を見せたくなくて、ティーセットを置いて退出してもらった。


 彼女は先程使っていた、私の好きなティーカップを用意してくれていた。優しい気遣いに、少しだけ気持ちが温かくなる。


「こんな遠くまで、一人できたの?」


「ええ、そうよ。話があるの。それよりも早くお茶を淹れてくれないかしら。遠くからきているのがわかっているのに、気が利かないわ」


「……まってて、今淹れるわ」


 しかし、立って彼女の為にお茶を淹れていると、あっという間に生家に居た時のような気持ちになった。


「……どうぞ、お召し上がりください」


 自然と出る言葉はメイドとして傅いていた時のものだ。


 フラウは見定めるようにカップを目線まで上げた。それだけで、私の身体はさっと強張った。その姿に、フラウは口元を歪めた。


「お茶の説明もできないのは、相変わらずね。お姉さまはたって給仕をしているのがお似合いだわ」


「……メイドだって、大事な仕事だわ」


「そんな事ないわ。まあ、そう思いたい気持ちは理解するわ」


 ここにミーミアが居なくて良かった。

 心からそう思った。


 貴族として扱われてから、私の心の支えになってくれた彼女を、フラウの言葉で傷つけたくなかった。

 大丈夫だと思っていても、忘れたと思っていても、傷は確かについているのだ。


「今日は、ビアライド公爵様はどこに行っているの?」


「この時間は、訓練所だと思う」


「ビアライド公爵に、私に魔石を贈るように言ってよね。来週、王城で戦争の勝利を祝って盛大な舞踏会が開かれるでしょう? 素敵な魔石をつけたいのよ」


 彼女の無邪気なようでいて、絶対的な命令に私は目を伏せた。


「……私じゃ、そんな事は言えないわ。私とルシウス様は、そういう事をお願いできる関係じゃないわ」


 その言葉にフラウは苛立ちを露わにした。


「相変わらず、役立たずね。まさか舞踏会のことすら知らないんじゃないでしょうね?」


「……」


 私が押し黙っていると、彼女は冷ややかな目を向け、肩をすくめた。


「ああ、やっぱりそうね。どんなに恵まれた立場にいても、結局はビアライド公爵に取り入ることすらできないのね。じゃあドレスだって、作ってもらっていないんでしょう?」


「……私は」


「生家の為に役に立とうとは思わないの? 何をしていたの? ……ああ、何もできないんだったわね、無能なクローディア」


 フラウの目には軽蔑と侮蔑が浮かんでいる。私は何も言い返せず、ただ唇を噛みしめた。


 今の現状と相まって、その言葉に私の心は深く沈んだ。

 ……無能の、何もできない、私。


「ビアライド公爵様は優しい方だわ。だからこそ、お義姉様が頼んでも何も言わないと思うわ。財力だって十分なのよ。人外公爵に使うところなんてないでしょうし」


「ルシウス様になんてことをいうの!」


 人外公爵なんて馬鹿にした言い方にカッとなる。ルシウス様の苦しみを軽んじたフラウに、不快感が募っていく。


「それとも……自分から何も言わない方が楽なのかしら?」


 私の怒りなど気にした素振りもなく、フラウは笑いながら意地の悪い視線を私に向けた。


「お姉さま、本当にそれでいいと思ってるの? せっかく手に入れた地位を、ただ無為に過ごすだけなんて……もったいないとは思わないの?」


「……そんなこと、ないわ……」


「まあ、どうせお姉さまには無理でしょうね。ビアライド公爵様に頭を下げるのが怖いんでしょう? あの人はあなたを助ける気なんてないもの。見てわかるわ。あなたをただ置いているだけ。道具みたいにね」


 彼女の言葉が、私の心をえぐるように響いた。


「何も知らない、何もできない。そんな状況でビアライド公爵のもとに嫁いだなんて、愚かだわ」


 私に選択権など与えられていなかった。けれど、この生活を与えられるままに過ごしていたのは間違いない。私なんかが。


「頼み込んで、魔石を贈るぐらいしなさいよ。私は高貴な方にお誘いを受けているの。家の為に働きなさいよ」


 私はすっかりフラウの言葉に打ちのめされていた。それでも、何とか口を開く。

「……それは出来ないわ」

「……っ!」

 断りの言葉を伝えた瞬間、彼女は手に持っていたグラスを私に向かって投げつけた。

 反射的に顔を覆ったが、衝撃はなく音だけが鳴り響いた。

 カップは私のすぐそばの床で割れ、散らばった破片が静かに転がった。


「早く毒でも飲んでしまえばいいのに」


「私の……!」


 慌ててしゃがみこんだけれど、割れたカップは当然戻らない。

 綺麗で、心が温まるカップ。優しさを感じるカップが無残に割れてしまっていた。


「あなたのカップじゃないわ。公爵夫人となったお義姉さまが借りているカップよ」


 私の立場を教えるようにゆっくりと言い放ち、フラウはそのまま帰っていった。



 フラウが帰ってから、ミーミアが遠慮がちに部屋に現れた。

 彼女は、床の染みと私が集めたカップの欠片を見て顔を青くした。


「大丈夫。私が割ってしまったの。……だから、ミーミア、この事はルシウス様には黙っておいてもらえるかしら」


「クローディア様……」


 彼女の声には心配と躊躇が混ざっていたが、私はそれを無視するしかなかった。

 私はルシウス様にフラウがきたことを伝える事が嫌だった。


 こんな扱いを受ける自分がみじめで、恥ずかしかった。知られたくない、と、何故か強く思った。


 *****


「今日はいい天気ですね」


「ああ、訓練をするにも良かったよ」


 訓練後のルシウス様と、庭にある東屋に向かい合って座った。

 ミーミアがさり気なく、私が作ったパンケーキを二人の前に並べた。


「……」


「どうしたんだ? 食べないのか?」


 いざパンケーキを前にすると、なんて言っていいかわからなくなってしまった。

 パンケーキはヴァリアリと一緒に最後の仕上げをした。クリームを泡立てるのは、死にかけていた手が死んだ。


 でも、一緒にいちごをハートの形にしたり可愛いベリーを置いたりと、絵を描いているみたいで楽しかった。

 最後にヴァリアリが用意してくれていたソースをくるりと円を書くように置いたら、私でも驚く程に可愛い仕上がりだった。


 ……それでも。


「今日は具合が悪いのかな。部屋に戻るなら、一緒に行こう」


 押し黙る私を具合悪いと勘違いしたらしいルシウス様が、立ち上がって手を出してくれた。

 私はその手を、両手でぎゅっと握った。


「きょ、今日のパンケーキは、私が作ったのです!」


「クローディアが……?」


「はい……仕事を、していないと思って、なにかやってみたいと」


 恥ずかしくて、手をぎゅうぎゅうと握りながらどんどん言葉を重ねる。ああ、ルシウス様は最低限のパーティー以外何も望んでいないと言っていたのに。

 これでは、自分がやっている事を認めてほしくて、誉めてほしくて言っているようだ。


 そして、それがきっと本心だから恥ずかしくて、息苦しくなる。


「ご、ごめんなさい……っ」


「何を謝るんだ。……こっちを向くんだ、クローディア」


 ルシウス様の思いがけない優しい言葉に、ゆっくりと顔を上げる。透き通る金色の瞳が、じっとこちらを見ている。

 ルシウス様は、私の頭をゆっくりと撫でた後、パンケーキを片手で器用に切り分けて口に入れた。


「……とても、美味しいよ」


 とても嬉しそうに、目を細めゆっくりとほほ笑んだ。

 ルシウス様のその笑顔に、私は見惚れてしまった。


『見てわかるわ。あなたをただ置いているだけ。道具みたいにね』


 ……フラウの事は、忘れることにした。

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