焼けるまでの間部屋に居ると、静かなノックの音が聞こえた。
「クローディア様に、お客様がおいでです」
「……私に?」
突然の来客に驚いて出迎えると、そこには義妹のフラウがにっこりと立っていた。
「随分ぜいたくな生活をさせてもらっているのね」
フラウの冷たい声が部屋に響いた。
まるでここが自分の部屋だとでも言わんばかりに、椅子に深く腰掛け、あたりを見回すその姿は昔と変わらない。
フラウの変わらないその姿に、私は息苦しさを感じぐっと手を握る。
ミーミアにフラウと居る自分を見せたくなくて、ティーセットを置いて退出してもらった。
彼女は先程使っていた、私の好きなティーカップを用意してくれていた。優しい気遣いに、少しだけ気持ちが温かくなる。
「こんな遠くまで、一人できたの?」
「ええ、そうよ。話があるの。それよりも早くお茶を淹れてくれないかしら。遠くからきているのがわかっているのに、気が利かないわ」
「……まってて、今淹れるわ」
しかし、立って彼女の為にお茶を淹れていると、あっという間に生家に居た時のような気持ちになった。
「……どうぞ、お召し上がりください」
自然と出る言葉はメイドとして傅いていた時のものだ。
フラウは見定めるようにカップを目線まで上げた。それだけで、私の身体はさっと強張った。その姿に、フラウは口元を歪めた。
「お茶の説明もできないのは、相変わらずね。お姉さまはたって給仕をしているのがお似合いだわ」
「……メイドだって、大事な仕事だわ」
「そんな事ないわ。まあ、そう思いたい気持ちは理解するわ」
ここにミーミアが居なくて良かった。
心からそう思った。
貴族として扱われてから、私の心の支えになってくれた彼女を、フラウの言葉で傷つけたくなかった。
大丈夫だと思っていても、忘れたと思っていても、傷は確かについているのだ。
「今日は、ビアライド公爵様はどこに行っているの?」
「この時間は、訓練所だと思う」
「ビアライド公爵に、私に魔石を贈るように言ってよね。来週、王城で戦争の勝利を祝って盛大な舞踏会が開かれるでしょう? 素敵な魔石をつけたいのよ」
彼女の無邪気なようでいて、絶対的な命令に私は目を伏せた。
「……私じゃ、そんな事は言えないわ。私とルシウス様は、そういう事をお願いできる関係じゃないわ」
その言葉にフラウは苛立ちを露わにした。
「相変わらず、役立たずね。まさか舞踏会のことすら知らないんじゃないでしょうね?」
「……」
私が押し黙っていると、彼女は冷ややかな目を向け、肩をすくめた。
「ああ、やっぱりそうね。どんなに恵まれた立場にいても、結局はビアライド公爵に取り入ることすらできないのね。じゃあドレスだって、作ってもらっていないんでしょう?」
「……私は」
「生家の為に役に立とうとは思わないの? 何をしていたの? ……ああ、何もできないんだったわね、無能なクローディア」
フラウの目には軽蔑と侮蔑が浮かんでいる。私は何も言い返せず、ただ唇を噛みしめた。
今の現状と相まって、その言葉に私の心は深く沈んだ。
……無能の、何もできない、私。
「ビアライド公爵様は優しい方だわ。だからこそ、お義姉様が頼んでも何も言わないと思うわ。財力だって十分なのよ。人外公爵に使うところなんてないでしょうし」
「ルシウス様になんてことをいうの!」
人外公爵なんて馬鹿にした言い方にカッとなる。ルシウス様の苦しみを軽んじたフラウに、不快感が募っていく。
「それとも……自分から何も言わない方が楽なのかしら?」
私の怒りなど気にした素振りもなく、フラウは笑いながら意地の悪い視線を私に向けた。
「お姉さま、本当にそれでいいと思ってるの? せっかく手に入れた地位を、ただ無為に過ごすだけなんて……もったいないとは思わないの?」
「……そんなこと、ないわ……」
「まあ、どうせお姉さまには無理でしょうね。ビアライド公爵様に頭を下げるのが怖いんでしょう? あの人はあなたを助ける気なんてないもの。見てわかるわ。あなたをただ置いているだけ。道具みたいにね」
彼女の言葉が、私の心をえぐるように響いた。
「何も知らない、何もできない。そんな状況でビアライド公爵のもとに嫁いだなんて、愚かだわ」
私に選択権など与えられていなかった。けれど、この生活を与えられるままに過ごしていたのは間違いない。私なんかが。
「頼み込んで、魔石を贈るぐらいしなさいよ。私は高貴な方にお誘いを受けているの。家の為に働きなさいよ」
私はすっかりフラウの言葉に打ちのめされていた。それでも、何とか口を開く。
「……それは出来ないわ」
「……っ!」
断りの言葉を伝えた瞬間、彼女は手に持っていたグラスを私に向かって投げつけた。
反射的に顔を覆ったが、衝撃はなく音だけが鳴り響いた。
カップは私のすぐそばの床で割れ、散らばった破片が静かに転がった。
「早く毒でも飲んでしまえばいいのに」
「私の……!」
慌ててしゃがみこんだけれど、割れたカップは当然戻らない。
綺麗で、心が温まるカップ。優しさを感じるカップが無残に割れてしまっていた。
「あなたのカップじゃないわ。公爵夫人となったお義姉さまが借りているカップよ」
私の立場を教えるようにゆっくりと言い放ち、フラウはそのまま帰っていった。
フラウが帰ってから、ミーミアが遠慮がちに部屋に現れた。
彼女は、床の染みと私が集めたカップの欠片を見て顔を青くした。
「大丈夫。私が割ってしまったの。……だから、ミーミア、この事はルシウス様には黙っておいてもらえるかしら」
「クローディア様……」
彼女の声には心配と躊躇が混ざっていたが、私はそれを無視するしかなかった。
私はルシウス様にフラウがきたことを伝える事が嫌だった。
こんな扱いを受ける自分がみじめで、恥ずかしかった。知られたくない、と、何故か強く思った。
*****
「今日はいい天気ですね」
「ああ、訓練をするにも良かったよ」
訓練後のルシウス様と、庭にある東屋に向かい合って座った。
ミーミアがさり気なく、私が作ったパンケーキを二人の前に並べた。
「……」
「どうしたんだ? 食べないのか?」
いざパンケーキを前にすると、なんて言っていいかわからなくなってしまった。
パンケーキはヴァリアリと一緒に最後の仕上げをした。クリームを泡立てるのは、死にかけていた手が死んだ。
でも、一緒にいちごをハートの形にしたり可愛いベリーを置いたりと、絵を描いているみたいで楽しかった。
最後にヴァリアリが用意してくれていたソースをくるりと円を書くように置いたら、私でも驚く程に可愛い仕上がりだった。
……それでも。
「今日は具合が悪いのかな。部屋に戻るなら、一緒に行こう」
押し黙る私を具合悪いと勘違いしたらしいルシウス様が、立ち上がって手を出してくれた。
私はその手を、両手でぎゅっと握った。
「きょ、今日のパンケーキは、私が作ったのです!」
「クローディアが……?」
「はい……仕事を、していないと思って、なにかやってみたいと」
恥ずかしくて、手をぎゅうぎゅうと握りながらどんどん言葉を重ねる。ああ、ルシウス様は最低限のパーティー以外何も望んでいないと言っていたのに。
これでは、自分がやっている事を認めてほしくて、誉めてほしくて言っているようだ。
そして、それがきっと本心だから恥ずかしくて、息苦しくなる。
「ご、ごめんなさい……っ」
「何を謝るんだ。……こっちを向くんだ、クローディア」
ルシウス様の思いがけない優しい言葉に、ゆっくりと顔を上げる。透き通る金色の瞳が、じっとこちらを見ている。
ルシウス様は、私の頭をゆっくりと撫でた後、パンケーキを片手で器用に切り分けて口に入れた。
「……とても、美味しいよ」
とても嬉しそうに、目を細めゆっくりとほほ笑んだ。
ルシウス様のその笑顔に、私は見惚れてしまった。
『見てわかるわ。あなたをただ置いているだけ。道具みたいにね』
……フラウの事は、忘れることにした。