「奥様、私のことは、どうぞヴァリアリと」
「はい、ヴァリアリ。……なんだかすごくどきどきとしてきたわ」
料理に触れるのは初めてだ。
以前は盗み食いをすると言われ、調理場には近寄れなかった。色々な食材があり、いいにおいがする調理場は、なんだかとてもわくわくとした。
ヴァリアリは、私の前に説明しながら一つずつ材料を置いた。
「粉と卵と。牛乳と砂糖、それにふくらまし粉が必要です。後はバターですね」
「意外と材料自体は多くないのね」
はかりを使って、慎重に粉を計る。
ほんの少しでも多すぎたり少なすぎたりすれば失敗してしまいそうな気がして、慎重にスプーンで量を調整していく。
「……出来たわ!」
ゆっくりゆっくり粉を落として、やっとぴったりになった。
「この粉は、ふくらし粉と一緒にふるっておきましょう」
小麦粉とふくらし粉を、ふるい機に一緒にいれてとんとんと落としていく。
「だまがある場合は指でぎゅっと潰してください。こういう、大きい塊で残っている部分の事です」
「あわわ、粉が舞ってしまったわ」
「大丈夫です! 落ち着いてください!」
無事に粉は空気を含んで、ふかふかそうな見た目になった。白くて、これだけでなんだかとってもやり遂げた感がある。
「次に、卵を割ってください。殻をこう、平らなところでこつこつと叩いて割ります。その割れ目に指を入れ、割ってください」
「はい。……わ、ちゃんと割れたわ!」
ひびが入ったところに指を入れると、自然にぱかりと開いた。つるんとした白身と黄身がぴかぴかとしている。
「良かったです、とても上手ですよ」
目を細め優し気に見つめられると、なんだかとてもこそばゆい。
「あ、ありがとう」
「これに油と砂糖を入れてください。スプーンで計って入れてくださいね」
「砂糖……この粉が甘いのよね?」
「はい。舐めてみますか?」
「えっ。いいんですか?」
「ええ、もちろん。材料の味を知ることは大事です。粉はお腹が痛くなるので駄目ですけれど」
紅茶で使うことはあるが、そのものを口に入れたことはない。淑女として駄目な行動だとわかっていたので、試すことはなかった。
スプーンを渡され、ゆっくりと口に入れる。
「あ、甘い! 凄く甘いわ! 他の味も何にもしなくて、ただただ甘いのね……」
甘くてすごくおいしいのかと思っていたけれど、甘いながらに次から次へと欲しくなる味ではなかった事に驚いた。
「そうですね。単体では、美味しいとはちょっと違う気がします。さて、ここでしっかりと混ぜ合わせてください。これが泡だて器です」
針金を曲げたようなものを渡され、見よう見まねで混ぜてみる。ヴァリアリがお手本を見せてくれ、その後に私が混ぜる。
全然駄目で、もう一度お手本を見せてもらい、また試して……。
殆どヴァリアリが混ぜてしまったような気がするけれど、忘れよう。
「これに粉を入れて、もう一度混ぜましょう」
「……意外と、重労働だったのね。知らなかったわ」
すでに腕がちょっとぷるぷるしている。しかし、今度こそ、と自分で混ぜる。
「ふふふ、大分上達しましたね。これで大丈夫ですよ」
とろりとした優しい色合いの生地が出来上がった。色は均一だし、ちゃんと混ざったように見える。
「では、焼いてみましょう」
ヴァリアリがフライパンを出し、バターを用意した。火にかけると、甘いようなとてもいい香りがしてくる。
「これだけで、美味しそうだわ……」
甘いものはここに来てから食べさせてもらえるようになったけれど、色々な味があって楽しい。それに、いい香りがするとそれだけで幸せになる。
「ではまずは私が一枚焼いてみますね」
フライパンを一度あげ、濡れた布巾に置いた。じゅうううと大きな音がして、思わずびくりとする。
「ああっ、失礼しました。驚かせてしまいましたね。こうすると、フライパンの熱が落ち着いて、きれいに焼けるんです」
「そうだったのね。焼くにも色々な技があるのね。凄いわ」
「……ありがとうございます、奥様」
感心していると、ヴァリアリが嬉しそうに微笑んだ。
……人間は皆、悪い人じゃないのかな、とちょっとだけ思う。
色は見ない。
落胆はしたくない。
とろりと生地をフライパンに入れていく。綺麗な小さい円になった。
「この辺がぷつぷつしてきたらひっくり返します」
ぽんと軽い動作で、パンケーキが反対になる。均一な茶色になっていて、とても美味しそうに見える。
「じゃあ、出来上がりです。……味見してみますか?」
「ええ、ありがとう」
ひと口大に切ってくれ、フォークに差したものを渡される。
「ふんわりとしていて、優しい甘さでとても美味しいわ。……でも、焼くのは簡単そうに見えたけれどとても難しそうだった。頑張らなくっちゃ」
焦げたものはあげるわけにはいかない。
失敗におびえる私に、ヴァリアリはにっこりと笑った。
「オーブンに入れて焼くこともできます。味も問題なかったようなので、そっちにしましょう」
どうやら私の作ったものの味の確認の為に焼いてくれたようだった。
「親切にありがとう。……焼けるのが楽しみだわ」
ミーミアは優しく微笑み、作業を見守ってくれた。
「クローディア様は、どんなことでも一生懸命取り組まれるのですね」
部屋の甘い香りを感じながら、私はふと、訓練から戻ったルシウス様の顔を思い浮かべた。
彼がこれをどう思うだろうか。余計な事だったと思われないだろうか。
「きっと、公爵様も喜ばれることでしょう」
「ええ、多分」
ルシウス様はきっと褒めてくれるだろう。
彼は貴族紳士だから。
でも、それが本心じゃなかったとしても、結局楽しみにしている事に気が付いた。
ミーミアが優しく励ましてくれる。私は小さく頷きながら、ルシウス様にパンケーキをふるまうところを想像した。
……料理は、いいかもしれない。
私は思いがけず楽しい時間が過ごせて、嬉しかった。