「……私、全く働いていないわ」
大変な事に気が付いてしまった。
図書室には膨大な量の本があり、楽しい。マナーについても読まなければいけない本が山積みになっている。
実践として、刺繍をしたりもしている。
……殆ど、趣味のようなものだ。
かつては、毎日家事や雑用に追われ、休む暇もなかった。働かないと叱られ、常に緊張していた日々。
それに比べて今は、あまりに怠惰に感じられる。
魔術の練習もしているが、今はルシウス様の魔獣化があった場合に備え回復魔法が中心だ。メイドの能力をあげたいと思っていた生活魔法については、まだ取り掛かれていない。
「クローディア様、お茶が入りました。今日はビアライド公爵領で育てたハーブのブレンドに、薔薇の花びらを浮かべたものになります」
ミーミアの説明と共に、私の目の前に、深い赤のハーブティーが置かれる。
ディーカップは薄くて口当たりのいいもので、淡いピンク色の花の絵柄だ。
色合いが可愛くてこれで飲む紅茶は嬉しい。
そんな気持ちを知っているのか、ミーミアは最近このカップで淹れてくれることが多い。
ハーブティーは一口飲むと甘酸っぱく、薔薇の優雅で華やかな香りが口に広がった。
身体がじんわりと温かくなる。
「美味しい……ありがとう……」
「クローディア様は、香りのいい紅茶が好きですね」
にこりと笑い、一礼をしてミーミアが下がった。
……これだ。
このミーミアの完璧な仕事。
それに溺れ堕落している私。
日々、贅沢な生活を送っている。本当にこれでいいのだろうか。
何もしていないのに、こんなに甘やかされていていいのだろうか。
いつかこの代償を支払わされるような不安がある。
それなのに、恐ろしい事に、私はこの生活に慣れつつあった。
喉が渇けばミーミアが美味しい紅茶を淹れてくれ、本を読み、刺繍をして、講師から色々な事を教わる。
今まで泥水と間違うようなものを飲んだこともあったのに、今やこれだ。
凝った彫りのあるテーブルには、庭で咲いた薔薇が置かれ、いい香りが部屋に満たされている。私も毎日湯あみをすることができ、更にはクリームをミーミアが塗ってくれるのだ。
こんな生活って、ある?
私は本当にメイドに戻れるのだろうか。その考えにぞっとする。
「ミーミア、私、何か仕事がしたいわ……」
「えっ。クローディア様がですか?」
「ええ、何かしていないと落ち着かなくて」
「クローディア様がしていることは、公爵夫人として大事な事だと思います。領地や魔術についての本を熱心に読んでおられますし、貴婦人として必要な刺繍も学んでいらっしゃいます。加えて講義もあり……どちらかといえば、お忙しいかと」
遠慮がちにミーミアが私がしていることをあげてくれるが、全然駄目だ。私はいつまでもここに居られるかはわからない。
……居ていいのかどうかも。
「ありがとう気を使ってくれて。でも、今だってすっかり休憩してしまっていたわ。魔術も、知識を身につければ身につけるほど強くなるそうよ。魔力が少ない私は、知識をつけるしかない……」
ミーミアは首を傾げ、眉を寄せる。
「あっ。ごめんなさい無理な事を聞いてしまったわ」
「……それならば、公爵様にお菓子の差し入れはいかがでしょうか? 訓練後に軽食を出すのですが、それをクローディア様が作られれば喜ばれるのではないかと」
「私が作ったお菓子を差し入れ……?」
思わぬ提案に驚いたけれど、その考えはとても良く思えた。
ルシウス様は魔獣化の可能性から、出来るだけ私と一緒に居た方がいいという考えだし、一緒にお茶会をしている限り、お菓子も好きだと思う。
「どうでしょうか?」
「私、お菓子を作ってみたいと思うわ。迷惑じゃなければ、一緒に頼めるかしら」
ミーミアは嬉しそうに頷き、微笑みを浮かべた。
「ええ、もちろん。それならば、調理場にご案内いたしますね。まずは、お着替えが必要ですので、お手伝いさせていただきます」
簡素なドレスに着替えミーミアと一緒に広々とした調理場へ向かう。
調理場ではすでに温かい香りが漂っていた。次の食事の準備だ。
料理人たちは忙しそうに働いていたけれど、お菓子を作りたいと伝えると、私のためにスペースを作ってくれた。
「クローディア様、どんなお菓子にしましょう」
「ええと……何がいいかしら。ルシウス様は、どれも微笑んで食べていらっしゃるから、好みがわからないわ」
いつも美味しそうに食べていると思っていたけれど、好みを言わない事に気が付いた。
聞けば答えてくれるものの、私に合わせてくれている気もする。
……こういうのも、色が見えない原因なのだろうか。
「簡単なもので、お願いしたいの。私が作れそうなものは、どんなものがあるかしら」
「料理人がお手伝いしますので、どんなものでも大丈夫ですよ」
ミーミアは優しく微笑んでくれたけれど、私は出来るだけ一人で作りたかった。首を振った私に、ミーミアは料理人と相談してくれた。
「ではパンケーキにいたしましょう。クリームとフルーツを載せればとても華やかですし、それほど難しくないようです」
「ええ、大丈夫だと思います」
料理長だという髭の多い優しい顔をしたおじいさんが、力づけるように頷いてくれた。
「ありがとうございます! 精一杯頑張りますので、どうぞよろしくお願いします!」