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21 悪意があるのは

 少し歩いたところに、ガラス貼りの建物があった。中には外とは違う植物が生い茂っているのが見える。緑の視界に、中までは良く見えないが広そうだ。


「……ここが、温室ですか?」


「この国でも、温室を持っている屋敷はそう多くない。うちにいる魔術師の趣味だね。君を教えているあの彼だ」


「趣味……」


 趣味という言葉から連想される規模とは全く違うその建物に圧倒される。

 財力って凄い。


「でも、彼が利用しているのは早朝の世話だけだ。色々自動化しているらしく、日中いるときはほとんどない。安心してくれ。さあ、入ろう」


 ルシウス様は私が人と会いたくないということに、どうやら気が付いているらしい。

 私はあいまいに頷いて、招かれるままに中に入った。


「……あったかい!」


 踏み入れた先に広がった光景に驚く。ガラス張りの天井からは柔らかい光が差し込み、植物たちが伸び伸びと育っている。暖かな空気と甘く漂う花の香り。


 外とはまるで別の場所のようだ。


 先程までは少し肌寒い気温だったのに、部屋の中は汗が出るくらいに、暖かい。

 本当に別世界に入ったかのように不思議だ。


「ここでは、こうした気温で育つ植物が植えてあるんだ。見たこともないものが多いと思う」


「そうなんですね……! あ、フィラギスの花だわ! 絵本で見たものと同じ! 凄い……繊細で綺麗……。本物は、こんな色だったのね」


 私の部屋にいくつかあった絵本に乗っていた花。擦り切れるほどに読んでしまったそれと同じものがあった。

 嬉しくなって駆け寄って近くで見る。


 ピンク色の花弁が丸く幾重にも重なっていて、繊細な花。このイラストがすごく綺麗で、家の図書室からお父様に頼んで貰ったのだ。


 ……あの時は、お父様の事が大好きで、疑ってもいなかった。


「この花が好きならば、クローディアの部屋に飾っておくように頼んでおこう」


 後ろから声が聞こえ、ルシウス様と来ていたことを思い出した。


「いえ、大丈夫です。せっかく綺麗に咲いているから、切っちゃったらダルバード先生が残念がりそうです」


 部屋に飾ったら綺麗だろうけれど、花を咲かせるのはきっと大変だ。


「問題ない。ダルバードは花には興味がないから」


「だ、大丈夫なんでしょうか……」


「ああ、それにこうすれば……」


 ルシウス様は花を手折ると、どうなっているかわからない程に複雑な魔法陣を描いた。


「これは時間が遅く流れるようになる魔法だ。これで一か月ほど持つようになる。これならいいだろう?」


「ルシウス様は、魔法が得意なんですね……」


 素人目にもわかるほどに高度な魔法だ。

 少しだけ習った今なら、更にわかる。驚いた私に、ルシウス様はふっと笑った。


「そうなんだ。案外魔法は得意なんだ」


「案外っていうレベルではなさそうな気がします」


「クローディアはまだ魔法を習い始めたばかりだから、わからないだけかもしれないよ」

「流石に高度すぎてわかります」


 ちょっと得意という風に言うルシウス様に、呆れた気持ちでいるとふわりと頭を撫でられた。


「クローディアは賢いな」


 がしがしと撫でるルシウス様は楽しそうなのに、私の身体は一気にこわばる。


「大丈夫だ。何もしない。……お茶を用意してある。こっちにおいで」


「ありがとうございます」


 私が警戒しているのをわかっても、ルシウス様はそのままテーブルに案内してくれた。

 温室の真ん中にあるテーブルにはティーセットと焼き菓子が並んでいた。給仕してくれる人はいない。


「お茶を淹れましょう」


「いや、私がやろう」


 当然私が淹れるものだと思ったのに、私を座らせルシウス様は手慣れた様子で茶葉とお湯を入れ、カップに注いでくれた。


「……ここは人がいないって、言ったよな」


「え? ……!」


 ルシウス様はぐっと目をつむった。

 鋭い痛みを我慢するかのように眉間に皺を寄せると、身体がゆっくりと拡大していく。大きな耳が生え、手が獣のそれに変わる。


 顔はルシウス様だが、その姿は明らかに人間とは違う。

 私は、自分の緊張がふとゆるむのを感じた。


「この姿の方が、君は安心するんだろう」


 ルシウス様の声はいつものように低いが、不思議な響きを帯びている。


「……魔獣の姿は、ルシウス様に負担をかけるのでは?」


 あの時、魔獣になっていたルシウス様は苦しそうだった。自分の身体の形が変わるのだ。負担は大きいだろう。


「この程度なら大丈夫だ。戦うときも、この姿の時もある。だから、この姿はこの城に所属しているものなら見たことがあるはずだ。その分、噂もあるのだろうが。人外公爵などと言われるが、まあこの姿なら仕方がないと思っている」


「どんな姿だろうが前線で戦うルシウス様を、そんな風に言うなんて」


 戦争は怖いだろう。少なくとも、私には戦う力もないし、恐怖心で動けるかどうかもわからない。


 それなのに。


「仕方がない。……第三王女は私の姿を聞いて泣き叫んでいたと聞いた」


 第三王女は、ルシウス様のお相手に上がっていた方だ。


 誰がそんな事をルシウス様に告げたのだろう。


 どんな思いで、ルシウス様はそれを聞いたのだろう。


 胸がぎゅっとなる。

 ……それで、私と結婚することにした。


 何が人外公爵だ。心は人間である彼らよりもずっと優しい。

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