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20 距離感

「クローディア様、公爵様が朝食を一緒に取られるそうです」


「えっ」


 昨日言っていた近くに居たいというのは、こういう事だったの……。


「公爵様が一緒という事であれば、髪は上げて、こちらのドレスにしましょう」


 なんだかうきうきとしたように、ミーミアが私の服を選んでいる。


「……どうしてそんなに楽しそうなの?」


「夫婦なのですから、一緒に食事をとるのは喜ばしいです。昨日もそうでしたし、今日もだなんて。……公爵様も……良かったです」


 噛みしめるように、ミーミアが微笑む。

 それは私の知らない何かがありそうで、でも聞く気も起きなくて私は曖昧に笑みを浮かべた。



「おはよう、クローディア」


「……おはようございます、ルシウス様。……!」


 食堂に行くと、すでにルシウス様が来ていて椅子をひいてくれた。なんだろう、と思った後に自分が座るのだと気が付いた。まるで私が普通の貴族の令嬢のように。


「君と食事ができるのを楽しみにしていたんだ」


「……私もです」


 お互いに嘘だけど、貴族的なやりとりだろうからこれがきっと正解の返事だ。


 貴族然としたルシウス様に丁寧に扱われることに、慣れることがあるようにはとても思えなかった。


 未だにミーミアが『おはようございます、奥様』と呼び掛けてくれるのにも慣れないというのに。


「クローディアは苦手なものはあるのか?」


「……いえ、どれも美味しくいただいています」


 実際どれも美味しいと思う。

 硬すぎたりもしないし、変な味もしないし、お腹もいっぱいになる。


「そうなんだな。……実は私は、野菜の中でこれは苦手なんだ。秘密だよ」


 後ろの従僕がハッとした顔をしている。

 どうやら本当に秘密らしい。ルシウス様はにこにこと機嫌が良さそうにしている。

 けれど、彼が何を考えているのか、何も読み取れない。


「ええと、もちろんです」


 ルシウス様がじっと私の事を見ていて、まるで私が何か間違っているかのような気がして、自然と口数が少なくなってしまう。


「どうしたのかな? 食が進まないのか?」


 唐突にかけられた声に、少し戸惑いながら答える。


「……いえ、大丈夫です。おいしいです」


 私が答えると、ルシウス様は軽く頷き、自分の皿に視線を戻した。

 ルシウス様は本当にただの世間話だとして、話したのだろうか。それとも、私がドートン家でどう過ごしていたのか知っていて、試したのだろうか。


 ……昨日の会話を思い出す。


 油断して、素直に話過ぎてしまった。

 目の前に居る男性は、貴族の人間だ。


 魔獣に変わる以外は、見目麗しく所作も美しい、実績もある完璧な貴族。


 私の心は、警戒でいっぱいだった。

 ルシウス様が何を考えているのか、少しもわからない。私に対して興味を持っていることは明らかだ。


 能力が必要だ、と言われたけれど、それに対して嬉しかったけれど。

 ……もしかして、もっと特別な意味があるのだろうか。


 色が見えるという能力を気付かれたのだろうか。

 それかこの能力を何かに利用できないか、考えているのかもしれない。

 あまり、近づきすぎないほうがいいだろう。


 必要とされることは、むずむずとして、温かい気持ちになったけれど……。


 食べ終わり紅茶を飲む。


「この紅茶は私が好きなものなんだ。ミルクとはちみつを入れて甘くするのが好きなんだ」


 また従僕がハッとしている。

 ……油断させるための嘘なのかな。


「美味しいです。甘くていい香り」


「そうなんだよ。これ私はミルクティーにあう茶葉だと思うんだよね。クローディアは甘いものは好きかな?」


「ええ、好きです」


「良かった! 私も好きだから、これから一緒に色々食べたりできると思うと、楽しみだな」


 胡散臭い言い回しに、私はにこりと笑い返した。


 ……もう、油断しない。


 ゆっくりとお茶を味わい、静かな時間が流れる。

 ルシウス様は口元にナプキンを軽く当て、私を見つめた。


 その眼差しは、何故かすごく優し気にみえ、私は落ち着かない気持ちになった。


「そうだな……今日は天気が良い。もし君がよければ、一緒に庭を散歩しないか?」


 公爵家の庭。

 ここに来た初日に一人で歩いたのを思い出す。自由になれるような予感がしたあの日。


「初めてここに来た時に少し歩きましたが、とても素晴らしいお庭でしたよね」


「君が気が乗らないなら断ってくれて構わない。ただ、奥に温室があって、私が好きな場所なんだ。それを、ただ知ってほしいと思った。考え事をするにはちょうどいい場所だし、安全だから君も一人になりたいときにいいと思う。好きに使ってくれて構わない」


「……ありがとうございます。楽しみです」


 自分でもぎこちない返事だと思ったけれど、ルシウス様は気にした様子もなく、口元に微笑を浮かべる。


「まあ、私がいるかもしれないけどね」


 気楽な口調の笑顔は自然で、まるで長い付き合いのような親しみを感じた。しかし、逆に心がざわざわとする。

 なにか、企んでいるのかもしれない。色が見えないから、彼の気持ちがわからない。


 そもそも私は貴族との会話に慣れていない。……いや、貴族以外もだ。


 生家で私に話しかける人などいなかったから。

 悪意のある言葉を投げつけられるだけ。私の言葉を、嘆きや苦しみ以外の私の言葉を待っている人なんていなかった。


「今は結構花が咲いているんだ。残念ながら花の名前は詳しくないけど」


 そう言うと、ルシウス様は立ち上がり、私の方に手を差し出した。

 どうして、という言葉を飲み込んだ。


 どうせ今の私はお金で買われた身だ。ルシウス様と一緒に歩くという、何でもない行動が、まるで試されているような気がしてならなかった。


「……楽しみです」


 私は手を伸ばし、彼の手に自分の手を重ねた。

 あの魔獣と同じく、ルシウス様の手はかさかさとしていた。

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