「……早く、去れ」
この、自分でもどうにもならない姿を見られたくない。
泣き叫ばれるのは慣れていても、見慣れるものではない。
そう思ったけれど、急にクローディアは不思議そうな顔で近づいてきた。
ルシウスが自我を保つためにつけた怪我を見て、眉を下げる。
「回復だけ、させてください」
「……な、んで」
「……お願いします」
何故か魔獣の傷が気になるようだ。
回復なんてしたら、痛みで保っている自我が霧散してしまうかもしれない。
どうしてすぐに立ち去らずに、回復魔法など。
家からの指示で、自分に取り入ろうとしているのだろうか。
疑問が、苛立ちに変わり、衝動に変わりそうになる。
「綺麗な……手だわ……」
意味の分からないことを言って、優しい手つきで獣の手に触れた。
『回復』
暖かい光がルシウスを包んだ。同時にふと気分が軽くなる。
……なんだ?
先程までの衝動が、すっと引いた。まだ身体の大半を渦巻いてはいるけれど、酷い状態ではない。回復魔法なら、獣の姿でかけられたことがある。
最初の変態の時、気持ちがコントロールできず周りも自分も傷つけた。ダルバードが怪我をするのも構わず、ルシウスに回復魔法をかけ時間が過ぎるのをただ待った。
戻ることができたのは、単純に時間がたったからだ。
ダルバードの怪我は、人間に戻ったルシウスが回復魔法をかけた。
苦しかった。
それから何度か暴れ、回復魔法を何度もかけられた。
しかしこんな風になった事はない。
「どうして……こんなことをする」
「……放っておけません。ルシウス様は私の夫ですから」
馬鹿みたいなことを言って、クローディアは笑った。
「私は、どうしたらいいかずっとわかりませんでしたし、今もわかりません。わからない事を考えるより、ひとりでどうにかする方法を考えた方がいいと思っていました。それは、今でもそう思っています。でも、それでも、ひとりは時々……寂しいんです」
自傷するようにつぶやいた彼女は儚げで、全てを諦めたような顔をしていた。
彼女は、こんな婚姻にも縋らなければいけないほど、孤独なのだ。
……同じだ。
全てを押し込めて何も感じないように、何も感じないと信じるしかなかった。
きっと、彼女も……自分も。
獣の自分を見る彼女の目が、とても暖かい。
他の誰の目とも違う、ただ、獣であるルシウスをそのまま見ていた。
ぎゅっと目をつむる。
涙は流れていないのに、その悲しみが伝わってきて、だきしめたくなる。
……今、何を考えていた? 自分の考えにはっとする。
自分が分からなくなっていると、クローディアはルシウスに色が見えると言ってきた。
「……何を考えてる」
「家に住んでいた猫の事を」
どうやら彼女には、魔獣の自分が猫と同類に見えているらしい。誰もがおぞましいという魔獣の自分の事が。
どんなに戦場で活躍したところで、仲間でさえ自分を見る目は魔獣と同じなのに。
あまりの事に、笑いが漏れる。
クローディアに回復魔法をかけてもらうと、あんなに近くにあった獣の衝動がほとんどなくなったのを感じた。
「……自我を保つのがこんなに楽だったのは初めてだ」
限界が、絶望が、遠くにいる。
境界がはっきりとして、ルシウスという人間だと思える。
身体も、元に戻せそうだ。
意識さえしっかりとしてしまえば、変態は自分の意思でできる。
……今は、もう少しこのままでもいいかもしれない。
「……ゆっくりしていい。クローディア、私達は夫婦なのだから、見られても問題ないだろう?」
「もう、ルシウス様……!」
くすくすと楽しそうに、クローディアが魔獣の姿のルシウスに寄り掛かった。軽い。けれど、暖かい。
夫婦、といった自分の言葉がなんとも落ち着かないのに、気が付けば自分も笑っていた。
「この姿でこんなに寛いだ気持ちになるのは、初めてだ」
魔獣でいるときはいつも苦痛だ。
駄目な自分を見せつけられているような気分になる。しかし今は、クローディアが怖がらないのなら、しばらくこのままでいいと思っている。
一緒に居るのに、邪魔でも気づまりでもない不思議な時間が流れた。彼女の息遣いと温かさが、ゆっくりとした気持ちにさせる。
どれぐらいそうしていたか、いい加減戻らないといけないと人間の形に戻る。
「……着替えのお手伝いをさせていただきます」
嘘だろう?
人間に戻った途端、あんなに近くなったクローディアとの距離が戻っていた。
ルシウスに対しあからさまに緊張し、警戒している。
「問題ない。私は騎士だ、ひとりで準備ぐらいはできる。私の身体をみたいというのなら別だが」
ちょっと可笑しくなって揶揄うと、彼女は少しだけ緊張を解き慌てた姿を見せた。
『……私は、人間じゃないならその方がむしろ……』
さっき言っていたのは、この事か。
妙に納得するとともに、クローディアのこの緊張を解いていきたいと、ルシウスは思った。
……もっと、さっきみたいに一緒に……。
出ていこうとして、泣きそうな顔で迷子だと告白したクローディアは、とても可愛かった。
今度は素直に、可愛いと思った。
同時に、彼女を大事にしても、こんな自分が彼女の気持ちを求めてはいけないと強く思った。