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19【SIDEルシウス】笑えるという事

「……早く、去れ」


 この、自分でもどうにもならない姿を見られたくない。

 泣き叫ばれるのは慣れていても、見慣れるものではない。


 そう思ったけれど、急にクローディアは不思議そうな顔で近づいてきた。

 ルシウスが自我を保つためにつけた怪我を見て、眉を下げる。


「回復だけ、させてください」


「……な、んで」


「……お願いします」


 何故か魔獣の傷が気になるようだ。

 回復なんてしたら、痛みで保っている自我が霧散してしまうかもしれない。


 どうしてすぐに立ち去らずに、回復魔法など。


 家からの指示で、自分に取り入ろうとしているのだろうか。

 疑問が、苛立ちに変わり、衝動に変わりそうになる。


「綺麗な……手だわ……」


 意味の分からないことを言って、優しい手つきで獣の手に触れた。


『回復』


 暖かい光がルシウスを包んだ。同時にふと気分が軽くなる。


 ……なんだ?


 先程までの衝動が、すっと引いた。まだ身体の大半を渦巻いてはいるけれど、酷い状態ではない。回復魔法なら、獣の姿でかけられたことがある。


 最初の変態の時、気持ちがコントロールできず周りも自分も傷つけた。ダルバードが怪我をするのも構わず、ルシウスに回復魔法をかけ時間が過ぎるのをただ待った。


 戻ることができたのは、単純に時間がたったからだ。


 ダルバードの怪我は、人間に戻ったルシウスが回復魔法をかけた。

 苦しかった。

 それから何度か暴れ、回復魔法を何度もかけられた。


 しかしこんな風になった事はない。


「どうして……こんなことをする」


「……放っておけません。ルシウス様は私の夫ですから」


 馬鹿みたいなことを言って、クローディアは笑った。


「私は、どうしたらいいかずっとわかりませんでしたし、今もわかりません。わからない事を考えるより、ひとりでどうにかする方法を考えた方がいいと思っていました。それは、今でもそう思っています。でも、それでも、ひとりは時々……寂しいんです」


 自傷するようにつぶやいた彼女は儚げで、全てを諦めたような顔をしていた。

 彼女は、こんな婚姻にも縋らなければいけないほど、孤独なのだ。


 ……同じだ。


 全てを押し込めて何も感じないように、何も感じないと信じるしかなかった。

 きっと、彼女も……自分も。


 獣の自分を見る彼女の目が、とても暖かい。


 他の誰の目とも違う、ただ、獣であるルシウスをそのまま見ていた。


 ぎゅっと目をつむる。

 涙は流れていないのに、その悲しみが伝わってきて、だきしめたくなる。


 ……今、何を考えていた? 自分の考えにはっとする。


 自分が分からなくなっていると、クローディアはルシウスに色が見えると言ってきた。


「……何を考えてる」


「家に住んでいた猫の事を」


 どうやら彼女には、魔獣の自分が猫と同類に見えているらしい。誰もがおぞましいという魔獣の自分の事が。

 どんなに戦場で活躍したところで、仲間でさえ自分を見る目は魔獣と同じなのに。


 あまりの事に、笑いが漏れる。


 クローディアに回復魔法をかけてもらうと、あんなに近くにあった獣の衝動がほとんどなくなったのを感じた。


「……自我を保つのがこんなに楽だったのは初めてだ」


 限界が、絶望が、遠くにいる。

 境界がはっきりとして、ルシウスという人間だと思える。


 身体も、元に戻せそうだ。

 意識さえしっかりとしてしまえば、変態は自分の意思でできる。


 ……今は、もう少しこのままでもいいかもしれない。


「……ゆっくりしていい。クローディア、私達は夫婦なのだから、見られても問題ないだろう?」


「もう、ルシウス様……!」


 くすくすと楽しそうに、クローディアが魔獣の姿のルシウスに寄り掛かった。軽い。けれど、暖かい。


 夫婦、といった自分の言葉がなんとも落ち着かないのに、気が付けば自分も笑っていた。


「この姿でこんなに寛いだ気持ちになるのは、初めてだ」


 魔獣でいるときはいつも苦痛だ。

 駄目な自分を見せつけられているような気分になる。しかし今は、クローディアが怖がらないのなら、しばらくこのままでいいと思っている。


 一緒に居るのに、邪魔でも気づまりでもない不思議な時間が流れた。彼女の息遣いと温かさが、ゆっくりとした気持ちにさせる。


 どれぐらいそうしていたか、いい加減戻らないといけないと人間の形に戻る。


「……着替えのお手伝いをさせていただきます」


 嘘だろう?


 人間に戻った途端、あんなに近くなったクローディアとの距離が戻っていた。

 ルシウスに対しあからさまに緊張し、警戒している。


「問題ない。私は騎士だ、ひとりで準備ぐらいはできる。私の身体をみたいというのなら別だが」


 ちょっと可笑しくなって揶揄うと、彼女は少しだけ緊張を解き慌てた姿を見せた。


『……私は、人間じゃないならその方がむしろ……』


 さっき言っていたのは、この事か。

 妙に納得するとともに、クローディアのこの緊張を解いていきたいと、ルシウスは思った。


 ……もっと、さっきみたいに一緒に……。


 出ていこうとして、泣きそうな顔で迷子だと告白したクローディアは、とても可愛かった。


 今度は素直に、可愛いと思った。


 同時に、彼女を大事にしても、こんな自分が彼女の気持ちを求めてはいけないと強く思った。


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