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14 魔獣の正体

「……」


 大きな声で扉の前から呼びかける。

 何かしら答えようとした気配はするものの、言葉としては聞こえてこない。


 開けるべきではない、そう直感する。しかし、そうもいかない。


 意を決して、私は重たい扉に手をかけた。


「大丈夫ですか。……え……?」


 扉がわずかに開き、冷たい空気が漏れ出す。


 そこに居たのは、想像もしないものだった。


 ゆっくりと開けたドアの隙間から私の視界に飛び込んできたのは、巨大な魔獣だ。

 大きな執務机の前で、黒くて美しい魔獣がこちらを向いている。


 通常ならば整然としているだろう執務室の机の上が乱れ、書類が床に散らばっていた。


 魔獣は贅沢な厚みのある絨毯に爪を立て、警戒するように低い体勢で毛を逆立てている。

 大型の狼のようなその姿は、明らかに大きな魔力を持っていた。

 肌がびりびりとする。


 ……私、ここで死ぬのかしら。


 あまりの事に呆然とそう思った時、目が合った。


 金色の瞳。


 獣の目は、確かな感情を映していた。

 思わず声をかける。


「もしかして……ルシウス様……?」


 全然違う姿かたちなのに、苦しげな金色の瞳は彼を連想させた。


 私は魔獣の色を見た。


 感情の色は見えないが、紫と赤が混ざった渦のようなものが、身体から揺らいでいるのが見えた。

 初めて見える禍々しさに、思わず目開く。


「……クローディア」


 苦しそうな声が、確かに私の名前を呼んだ。


「やっぱり、ルシウス様なのですね……!」


「……ぐあぁ……そう、だ」


「魔物付きとは、こういうことだったのね……」


 思わず納得の声が出る。


 ルシウス様だと思ったとたん、不思議なくらい怖くなくなった。


 魔物付き。

 忌み嫌われているのは、魔獣だということだったのか。


 それなら今までの事は納得できる。


 完璧だと思われたルシウス様だけれど、魔獣の形になるならば、普通の令嬢では敬遠されるだろう。


「……早く、去れ」


 押し殺すような声ではっとなる。

 ルシウス様は自分を保つのが難しいのかもしれない。


 まるで私を傷つけるのを恐れているかのように、弱弱しいながらもきっぱりと言う。


 本当ならすぐに見なかった振りをして、出て行くのがいいのだろう。


 それでも、こちらを見た金色の瞳は苦しそうで孤独が透けて見える気がして、どうしても立ち去る気にはなれなかった。


 ふと血の匂いを感じルシウス様を見ると、絨毯に食い込んだ爪が傷ついている。


 理性はある。

 書類が散らばっているのは、きっと苦しんだからだ。


「回復だけ、させてください」


「……な、んで」


「……お願いします」


 私は断る隙を与えないよう素早くルシウス様に近付いた。

 向かい合うように床にぺたりと座り、じゅうたんに手をついて、彼の手を見た。


 私が寝ていたのと同じ床でも、柔らかく快適そうなのでルシウス様も問題ないだろう。


 黒く大きく、毛が生えている手は獣そのものだ。爪は大きく、鋭い。

 今も爪を立て、静かに震えていた。


「綺麗な……手だわ……」


 こんな時なのに、見入ってしまう。力が入りすぎているのか、自分で傷をつけたのか、爪の近くの黒い毛が削れ血が流れていた。


 そっと撫でると、するりとした手触りはふわふわとしていて温かい。


 心の中にわずかに残っていた恐怖が、消え去っていくのがわかる。


「回復をかけます。少しだけ我慢してください……」


 ルシウス様は何も言わなかったけれど、私の行動を阻む気配はない。むしろ、先ほどの荒々しい気配が少しずつ和らいでいるように感じられた。


 大きな獣の息遣いが近くで聞こえる。なんだかそれがとても安心感があった。


 私は手のひらに魔力を集め、そっと傷口に触れた。


『回復』


 温かい光が滲み出て、血がゆっくりと止まり傷口がふさがっていく。それと共に傷口近くに見えた赤紫の渦がその部分から引いたのが見えた。


「……?」


 不思議に思いつつ見ていると、また少しずつ渦が手に戻ってくる。


 まるで呪いの様で、気持ち悪い。

 もしかしたらルシウス様もこの赤紫が不快なのではないだろうか。


「どうして……こんなことをする」


 低く、掠れた声が響く。ルシウス様の声は苦しげなままだけれど、先程よりははっきりと聞き取れた。


「……放っておけません。ルシウス様は私の夫ですから」


 自分の気持ちが上手く説明できない気がして、冗談めかして言う。


 自分で言った私の夫、という言葉にどうしてか温かさを感じた。

 夫婦であることは契約で結ばれたものに過ぎないはずなのに。


 ルシウス様は黙っていたけれど、金色の瞳が静かに私を見つめていた。


「私は……」


 私は思わず呟いてしまった。


「私は、どうしたらいいかずっとわかりませんでしたし、今もわかりません。わからない事を考えるより、ひとりでどうにかする方法を考えた方がいいと思っていました。それは、今でもそう思っています。でも、それでも、ひとりは時々……寂しいんです」


 その言葉は、誰に向けたものかさえ分からなかった。


 ルシウス様に伝えたかったのか、それとも自分自身に言い聞かせたかったのか。

 ただ、ルシウス様も私の気持ちを、孤独を、同じように感じている気がした。


 ……これ、希望的観測ってやつだわ。


 人間じゃない彼なら、私と同じような気持ちを感じているんじゃないかと勝手に想像してしまっている。


 図々しい願いだ。


「……気にしないでください。意味の分からない事を言ってしまいました」


「……いや、いい」

 ルシウス様は私の言葉を、流してくれた。

「それよりも、ルシウス様は気分が悪くないですか? 気になる事があって」

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