喉の渇きを感じ、ソファから身体を起こす。
魔法の講義のための本を読んでいたのだが、すっかり没頭してしまっていた。
快適なふわふわとしたソファの感触に、まだ違和感がある。自分が思うよりもずっと、時間がたつのが早い。
どうにも集中しすぎてしまうのだ。
硬い床で過ごす生活に戻りたいわけでは、決してないけれど。
身体が痛くて集中が切れるのが定番だった。
「お水……は、もうないわね」
ミーミアが用意してくれていた水はもう飲みほしてしまっていた。
普段はこんなに飲むことはないが、今日は少し食事がしょっぱかったからかもしれない。
窓の外は薄暗い。
ベルを鳴らせばいつでも彼女が来てくれると知ってはいたけれど、夕食までのわずかな休憩時間を邪魔する気になれなかった。
「……飲み物、取りに行こうかしら」
ミーミアが居ない間は部屋の外に出るのははばかられ、ずっと部屋で過ごしていた。
しかし、何かあるたびに彼女を呼ぶのも気が咎める。
……少しぐらい、屋敷を歩いても怒られないわよね。
少なくとも、ルシウス様にはそうするなとは言われなかった。
勇気を出して、扉を開ける。
いつも食事を取っている食堂まで行ってみよう。そこにいるメイドに、飲み物をもらうだけ。
……それだけの事が、難しい。
貴族として、この家の一員として振舞う。昔は出来ていたようなことが、もう遠い。
……メイドとしてなら、大丈夫なのに。
息苦しさを感じつつも、ここに嫁いだのは現実なのだ。ずっとこのままでいるわけにはいかない。
きっと、今日がその時だ。
ぱちぱちと頬を叩く。
そろそろと、外に出てみる。出来るだけ背筋を伸ばし、歩き方にも気を付ける。
ドートン家とはまったく違う、広く重厚な城。
金銭的な余裕を感じる作りは、見るだけでも心が弾む。しかし、今の私には場違い感の方が強い。
どこも広々としているけれど、この広さが心に重くのしかかってくるように感じられる。
ルシウスの城は広さも安全も、以前とは桁違いなのに同じように居場所がなく感じる。
しばらく歩くと、メイドたちが掃除をしている姿が見えた。
仕事をしつつ、何か話をしている。
「あの人は……あの家……」
「……いくらなんでも家格が……」
会話の端が聞こえ、息苦しくなる。
きっと、私の事だ。
気が付かれないようにきゅっと手を握り、その前を通り過ぎる。
しかし、通りざまに長年の癖で色を見てしまった。
青色。
……私に敵意や不快な気持ちがあるときに見える色、だろう。
実家でもいつも見ていた、馴染みのある色だ。
「……やっぱり、そうよね」
ミーミアに見たことのない色を見て、少し期待してしまっていたのかもしれない。
悪意ばかりがある、あの家が異常だったのではないかと。
見ないようにしていたのに、どうして見てしまったんだろう。
……きっと、自分の心の弱さのせだ。
「……人間は、皆同じよ……私に危害を加えるか、無関心かだけの違いよ……」
途端に以前の自分に戻ってしまいそうで、目を背けた。
誰にも必要とされず、邪魔だと思われていた自分に。
「何か御用でしょうか」
「いえ、大丈夫です」
青い色をまとっていたメイドに声をかけられ、私は思わず逃げ出した。
わき目もふらず、しかし、ゆっくり淑女の速さで。
弱みは決して見せてはいけない。
弱みを見せたらつけ込まれる、距離を保って自分を見せてはいけない。
それがこんな時にも、自分に染みついていた。
「……はぁ、はぁ」
何も見ないように、無心で歩いていた。
息苦しさに我に返り、止まった。
どこにいたって、結局、変わらないって知っているのに……。
自分の居場所がない。
そう感じることに慣れている、それでもふとした瞬間に寂しさが胸に押し寄せる。
馬鹿みたいな感情に振り回される自分が嫌だ。
「……喉が渇いただけだったのに」
勇気を出したと思って、これだ。色を見ても、見なくても、気にしないで生きていけるようになりたい。
「それにしても、ここはどこかしら……」
結構な距離を歩いた気がする。
ドートン家は広い屋敷ではあったけれど、こことは比べようがない。全くわからない。
まずはとりあえず引き返そう。
そう踵を返したところで、何か声のようなものが聞こえた気がした。
「……まさか、幽霊……!」
今まで霊感があるとかは気にしたことがなかったけれど、歴史ある建物。幽霊ぐらいいる気がしてきた。
広い廊下も重厚な扉も、歴史のありそうな置物も、雰囲気がありすぎてぞっとする。
ぞくり、と寒気がする。
怖い。
「……ぐ……ぁ……」
遠くから同じように、今度はもっとはっきりと聞こえた。
これは幽霊じゃなさそうだ。
「……間違いなく、聞こえたわよね」
苦しんでいる人の声のような気がした。
幽霊の声も人の声で同じかもしれないけれど、誰かが倒れているかもしれない。
これでは探さないわけにはいかない。
私は一つ一つ扉に耳を付け、そっと気配を窺った。
どれも静かな中、一番奥の扉で、苦し気な息遣いが聞こえてきた。
「失礼します! クローディアです。何か問題がありますか、大丈夫ですか」