「……なんだ。珍しいな、ダルバード」
深夜の執務室。
控えめなノックとともに現れたのは、もう老人といってもいい年齢の男だった。
本人はいかにも事務方だという地味な風貌なのに、不思議と存在感がある。
こんな時間だというのに、ローブをまとっている。
王城の魔法師を、魔法師団長直前という場面で引退した謎の男だ。
どういう事情なのか、ルシウスが物心つく頃にはビアライド家に住み込みで働いていた。
小さいころから、ルシウスの魔法の講師をしていた。本業は父と一緒に行っていた事だとは思うが、教えてはくれない。
……あの時も、父と一緒だった。
そして、魔付きになったときに、制御方法を教えてくれたのもこの男だった。
「ルシウス様、クローディア様の事でお話が」
「なんだ」
ルシウスは自分の妻となった女を思い出した。
痩せていて、おどおどとしているのに意見ははっきりという、不思議な女だ。
金で買われたといっても、何も感じていないようだった。
だからといって、感情がなさそうでもない。
「クローディア様は、回復魔法が使えます」
「回復魔法が……! 戦争や討伐で役立ちそうか?」
「いえ、そこまでは。初級は習得されましたが、それまででしょう」
「……初級か。ほぼ役に立たないな」
回復魔法は貴重だが、初級では意味がない。
残念だがならば何故わざわざ報告を。
視線で先を促すと、この男にしては珍しくいい澱むようなしぐさを見せた。
「ただ、ドートン家は、フィラレンディ様が嫁いでいたお家かと」
「フィラレンディ様か……、そうだったな。彼女の持つ魔法は聖女という他なかった。しかし、ドードン家に嫁いでからは目に見える成果はなかった。娘であるクローディアに、他に何か使えそうなものはあるか」
「いえ、それはこれからです」
「わざわざ来て、この報告か?」
「本人はやる気があり、事前に聞いていた病弱だから浅学だということもありませんでした。実践は伴っていませんが、魔法についても基礎知識はありました。貴族としての振舞いも問題ありません。……ですが、差し出がましいとは思いますが、クローディア様の手は、貴族のそれではありませんでした」
「……どういうことだ」
「彼女は、家では貴族として扱われていなかったでしょう。普通の令嬢であれば、あんな手をしておりません。初期の回復魔法はすぐ使えるようになったので、本人が治しましたが」
「……そうか」
薄々わかっていたことだ。
健康に不安があるからと社交界には出さなかったけれど、今は問題ないからと義母は自信ありげだった。
クローディアの義母は、彼女を金に換えることに戸惑いはなく、実父も我が家と縁続きになる事にばかり目がいっていた。
彼女の痩せた姿を見て、確信に変わった。
……だが、そんなことは関係ない。
いや、それどころか人外と呼ばれる自分には、彼女はうってつけだった。
「実家で酷い目にあっていたのであれば、余計ここから逃げないだろう。それだけだ」
「……わかりました。魔法で進捗があれば、またお伝えします」
何かもの言いたげな瞳をしつつ、ダルバードは退出した。
「……だから、なんだというのだ。家族なんて、そういう存在だろう」
ルシウスは一人、目を閉じた。
まだ幼いころの自分に父親がかけた言葉を思い出す。
『魔物が憑けば、全てを覆す力が入る。ルシウス、お前は次男だから死んでも問題ない。だが、上手くいけば王家への影響力は計り知れない。必ず力を手に入れてこい、ルシウス』
襲い掛かる苦痛と絶望が思い出されては消えていく。
……行くところがないのは同じだ。彼女も、自分も。
まさにお似合いだ。