「クローディア嬢。きちんとビアライドを名乗ってくれ。この後、いつ誰に会うかわからない。名前を間違えることは許されない」
ルシウス様はまっすぐにこちらを見て告げた。
私は気を取り直してスカートのすそを持ち上げ、再度挨拶をした。
「クローディア・ビアライドです。ルシウス様、お気遣いありがとうございます。私のこともどうぞクローディアと」
「……わかった。君は病弱で、教育を受ける機会が少なくマナーには問題があると聞いていたが、そこまでではなさそうだな」
「病弱で社交界に出る機会はございませんでしたが、今は健康に問題はありません。淑女教育自体も、ある程度は受けておりました。……社交界には出ていませんでしたので、人間関係には問題があります」
「……そうか。最低限出来ているのならいい」
病弱は初めて聞いた話だが、嘘だ。きっと社交界に出ていない理由として使われたのだろう。
私は十歳までは厳しい淑女教育を受けていた。
父は、義母とフラウにメイドとして扱われていても興味はなさそうだった。しかしその反面、私はずっと淑女教育も続けさせられていた。
フラウは気が付いていないようだが、週に三度部屋に講師が来ていた。彼女に何かあったときの為だろう。
父は本当にどっちでも良かったと思われる。娘は彼のための駒だ。
「お褒め頂き、光栄です。精一杯頑張らせていただきます」
風に乗って血の匂いがしてくる。ルシウス様からだろう。
やっぱり人間だし、生肉を食べたとかじゃなさそうだ。父に連絡が来ていた討伐だろう。
……残念だ。
人間の姿は影武者だ! とか言って人外が現れたりしないだろうか。
「クローディア嬢は、私が人間かどうか疑っているのかな」
「えっ。いえ、そんなことは」
「先程のつぶやきは聞こえていた」
ごまかそうとしたけれど、もう遅かったようだ。
心臓が早鐘を打つ。ルシウス様の視線が冷静であるほど、逆に怖い。
叩かれたり、馬車に押し戻されて追い返されるかもしれない。
そう考えただけで、血の気が引いていくのがわかる。暴力の予感に、身体が強張っていく。
すぐに頭を下げて、震える声で謝った。
「大変申し訳ありません!」
「頭を上げていい。問題ない。君は私の妻になるのだから、私のことについて知っておきたいというのは当然だ」
「……ありがとうございます」
予想していた怒りはなく、ルシウス様は静かに私を見下ろしているだけだった。
私がおそるおそる顔を上げると、その金色の瞳が無感情にこちらを捉えていた。
ほっと息を吐いたが、体はまだ緊張して震えている。
どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。きっと家の外に出て気が緩んだのだ。
ここがどういうところだかわからないのに、迂闊で馬鹿だ。
ルシウス様がこれ以上不敬について追及する様子はないことに、ほんの少し安堵する。
少し話しただけでも、ルシウス様はかなり親切で紳士的だ。
見た目も格好良く売られる側のデメリットも見いだせない。何故わざわざ私を、とも思ってしまう。
その親切な態度の裏にある本当の感情は見えない。それがまた、不安を掻き立てた。
彼の本心は一体どうなのだろう。 私は彼の色を確認しようと、目に魔力を宿した。
「……!」
驚きで声が出そうになるのを、今度こそこらえる。
ルシウス様には色が見えなかった。
こんなことは初めてだ。
もしかしたら本当に彼が人外だからだろうか。それとも別の理由があるのか。
感情がわからない。
途端に不安になる。
家族の機嫌を見てから、覚悟をするのが常だった。なにをしたらより酷い目に合うのかを、常に探っていた。
頼っていたつもりはなかったのに、いつの間にかすっかり依存していたようだ。
彼が何を考えているのかわからず、怖くなる。
「何か疑問はあるか。今であれば、質問に答えよう」
この後はそもそも関わらない、ということだろう。
先程の失言もあり、今後の為に怒られるのを覚悟で質問をする。
「……あの、ルシウス様は何故人外、と呼ばれているのでしょうか。ルシウス様の領地は獣人の国なのでしょうか」
一番気になっていたことだ。人外公爵などと呼ばれているから、すっかり人外だと思ってしまっていた。
ルシウス様は人外どころか、とても魅力的な男性に見える。少なくとも、蔑むように言われるような人ではない。
私の質問に、ルシウス様はは目を眇めてこちらを見た。
「クローディア嬢はなにも知らないのだな。噂通り、人外なのは本当だ。……私は魔物付きだ」
「魔物付き……そうだったのですね。話して頂きありがとうございます」
魔物付きは聞いたことのない言葉だった。
しかし、ルシウス様からは拒絶を感じたので、私はそのまま言葉を飲み込んだ。
……魔物付きは忌み嫌われることらしい。
けれど私にとっては、むしろ良かった。
少しだけ、人間だという警戒が解ける。人間はこわい。
「これ以上疑問がないなら、まずは質問は終わりだ。屋敷に行き、これからの説明と部屋への案内をする。私は公務で忙しいので、これからも結婚式は行う予定はない。君の両親も問題ないようだ」
「わかりました」
全てに問題なく、私は頷いだ。
ルシウス様は私のことをじっと見つめた。その目は何の感情も籠っていないように見える。
父とは違う、全ての感情を抑えたような瞳。
……彼の色が見えないのは、感情を抑え込んでいるからかもしれない。
何故か、そう思った。