家族は私のことを必要としていなかった。
結婚しているという事実の為というだけでも、人外公爵の役に立つ。
それならその方がずっといい。
馬車で毒の入った瓶を見つめながら、私はため息をついた。
もう考えない。
私は瓶をかばんの中にしまった。
どんどん、景色が変わっていき、王都の華やかさから遠ざかっていく。
「驚くほど、未練がないわ……」
自分が生まれ育った街なのに、まるで見知らぬ場所のように感じる。外に出ることがほとんどなかったせいかもしれない。
平野を超えると、また新たな街が見えてきた。
王都とは違うけれど、こちらも華やかだ。王都は色とりどりの建物が多かったけれど、こちらは赤が基調なっている建物が多い。
「いよいよビアライド公爵領にきたのね……」
魔物の森と隣国が近く、危険な場所だと学んでいた。しかし、文字でイメージした街よりもずっと活気がある。
街の中心地から少し奥に入ると、大きな門があった、
「ここが公爵家……凄い豪邸だわ」
馬車で門を通り過ぎてから見えた屋敷は、驚くべきものだった。
伯爵家の我が家も大きく豪華だと思っていたけれど、規模が違う。
まるで別世界だ。
こんな豪邸が本当にあるのかと目を疑ってしまう。
目の前に広がるのは、大きく全体を把握しきれないと思えるほどの大きな建物。まるでおとぎ話の中の城みたいに素敵だ。
庭は見渡す限り広がっていて、どこもかしこも手入れが行き届いている。花壇には見たこともないような色とりどりの花が咲き誇り、噴水の水がきらめいて流れている。
これが誰かが住んでいる家なのだと思うと、あまりに現実離れしているように感じる。
……更に、自分がここに嫁ぐなんて。
「クローディア様、お降りください」
私が降ろされたのは、庭園の真ん中にあるガゼボのそばだった。言われるままに降りたけれど、屋敷からは少し遠い。
「じゃあ、私はこれで。お荷物は降ろさせていただきました」
「えっ」
「ご主人様にもいいつけられておりますので」
少し気まずそうに、従者は礼をして馬車に乗り込んでいった。
我が家の馬車できたから、これはきっと地味な嫌がらせだ。
最後の最後まで、ひどい。
「お父様は公爵さまに失礼はしたくないはずだから、フラウよね。……こんな所に居て、不審がられたらどうするのよ……」
公爵家に侵入した不審者だと思われれば、大変な事態になる可能性だってある。
普通の令嬢だったら、このまま立ちすくんでしまいそうだ。
でも私は使用人として働いてきた。体力自体は問題ない。
まずは屋敷に行き、怪しい人物じゃないと伝えなくては。
「よいしょ。荷物がこれだけでよかったわ」
自分の服で公爵家の人間として着てよさそうなものは一つもなかったので、持ち物はほとんどなかった。これなら自分一人で運べる。
両手に荷物を抱え、ひとり屋敷へ向かう。
「わあ、本当に素敵……」
庭のお花が綺麗で、噴水の水の音が耳に心地よい。
こんな綺麗な所を自由に歩けるなんて、それだけでもう家を出れて良かった。
「この規模であれば、使用人もたくさんいるはず。表向きは婚姻して、実際はメイドとして雇ってもらうのも、できるかもしれない」
いい天気で、風が気持ちいい。お花からはいいにおいがしていて、なんだか気分が上がってくる。
働き口もある気もしてきた。
公爵様には、是非やる気を見せたい。
「……君がクローディアか」
遠くから声が聞こえ振り向くと、血まみれとしか言いようがない男性が居た。
黒い長髪が風に乱れ、全身は血と泥で汚れ、鎧や衣服は引き裂かれている。しかし、本人は気にした素振りもない。
血に染まった姿は恐ろしいはずなのに、どこか魅入られるような威圧感がある。彼が近づくと、冷たい空気が一瞬で張り詰め、自分の心臓がギュッと掴まれたように感じた。
そこにいるだけで、周囲の空気が変わるような魅力があった。
「は……はい。ドートン家から参りました、クローディア・ドートンと申します」
「君はもうドートンではない。ビアライドとなるので、その名を名乗らないように」
「あっ。申し訳ありません」
ドートンの名前に未練も愛着もない。
しかし、ビアライド公爵家の人に、もうこの姓を名乗っていいとは思っていなかった。
私の存在を、受け入れてくれている。
私が感動していると、血まみれの男性は礼を取った。
「魔物が国境近くに現れ参戦となっていた。迎えに残念ながらいけなかったが、無事にきたようだな。私がルシウス・ビアライドだ。討伐に行っていた為にこんな格好だが、気にしないでくれ」
「えっ。全然人外じゃない……」
名乗られて思わずつぶやいてしまい、慌てて口をつぐんだ。不敬すぎる。
ルシウス・ビアライド。
人外公爵その人だ。
目の前の彼は、よく見るととても整った顔をしている。
黒い髪は深い闇のようで、それでいて光を受けて輝いている。肩までの髪はさらりと動くたびに揺れる。瞳の透き通るような金色は、まるで宝石のようで、じっと見つめてしまいそうになる。
背が高く筋肉質の身体は芯が通ったように揺るぎなく、力強い。
凝った刺繍の服がとても似合っていて、優雅だ。
至る所に魔石の飾りがあるのが、確かに高位の貴族だと見て取れた。
見るもの誰もが目を奪われるだろう。
でも、人間だ。
目があって耳があって、後ろは見えないけれど尻尾もなさそう。
怒った様子もなくこちらを見ているので、私の失言は聞こえなかったようだ。
ほっとする。
失言が聞こえてたら、それこそ毒を飲むしかなかったかもしれない。