今日は公爵様が迎えに来る日だ。
義母と義妹が来てから初めて、正式なドレスを着る事となった。
当然のように社交界にも出ず、デビュタントすらすませていない。
レースがふんだんに使われた青いドレスは、私から見ても豪奢で、鏡にうつる私はまるで知らない人の様だった。
ずっと薄汚れていた髪の毛も、洗われて元の色になった。
そうだ、こんな色だった。
細すぎる手も足も隠れ、鏡の中の私はまるで苦労を知らない令嬢に見えた。
……ドレスも髪型も、可愛い。
こんな時なのに、見とれてしまう。
フラウが私のドレス姿に不愉快な顔をしているのが、鏡越しに見えた。
「クローディアお姉さまには不相応だわ」
「そうね、私もそう思うわ、貧相で全然似合わないわ。でも、相手は公爵家だから仕方がないのよ。フラウは、この後もっといいものを頼みましょう。いいでしょう? 旦那様」
「そうだな、この結婚をまとめてくれたマーシャに感謝を込め、二人に新しいドレスを贈ろう。我が家はこれで安泰だ……素晴らし働きだった、マーシャ」
「お役に立ててうれしいですわ」
「わあ、ありがとう! お義父様」
父の腕につかまって嬉しそうにしたフラウは、私を見て口をゆがめた。
「もう一つお父様、お義姉さまがもっている魔石のブレスレットが欲しいの。お義姉さまが居なくなってしまうから、思い出に欲しいわ」
「え……」
魔石のブレスレット。
母が私の誕生を祝って作ってくれた、唯一の宝飾品。
ばれないように、引き出しの奥にしまっていたのに。
……どうして、フラウが知っているの?
言葉の出ない私に、甘えるように小首をかしげてフラウが囁く。
「お義姉さまにはもう必要ないでしょう? ……人外が宝飾品なんて、無駄でしかないわ」
目の前が真っ暗になる。
油断した。きっとこの時を待っていたのだ。
……ドレスに浮かれて、大事な宝物をつけてしまうなんて。
けれど、父も母も家も手に入れるフラウなのに。
思い出すらない私から、愛された証拠だと思って大事にしてきたものすら奪おうというのか。
あまりにも残酷で、苦しくて、息ができない。
「そうだな、クローディア、それを外して別のものをつけなさい」
父はなんて事もないように、私に指示した。
父が私にも母にすら興味がないのはわかっているけれど、酷すぎる。
「お父様! それはお母さまがくれたものなのです! お嫁にいくのは構いません。だからどうか、持って行かせてください! それだけなのです」
「魔石ならビアライド公爵家にあるだろう、フラウが欲しがっているんだからあげなさい」
「お父様……どうしてなんですか? 私がお母さまの形見で持っているのは、それだけなんです。お母様との思い出だって全然ないんです。だから……」
「あれは病弱すぎた。お前に何も残せなかったのは仕方がないだろう。特殊な魔法が使える家系だと期待していたが、全く役立たずだった。そんな女のものを持っていても仕方がないだろう」
私の抗議に、父は的外れな言葉をかえす。
父にとって役立たずだろうが何だろうが、私の母だったのだ。
いくら私のことに興味がなくても、あなたは私の父なのに。
私が母のことを思う気持ちさえ、こんな風に踏みにじるのか。
何故私の気持ちをまったくわかってくれないのか、悔しさとみじめさで涙が溢れる。
もう期待していないと思っていたけれど、それでもこんなのはあんまりだ。
苦しくて、それでも言わずにはいられない。
「そういうことを言っているんじゃないの! ねえフラウ、私が結婚したら公爵様にお願いするから、これは持っていかせて!」
「お義姉さまは馬鹿なのかしら……。いくら人外公爵と蔑まれているお相手とは言え、お義姉様の事を好きになるはずないでしょう? 何故願いをかなえてもらえると思えるの?」
フラウはすっと近づいてくる。
フラウが手を上げて近づいてくると、私の身体はこわばり動かなくなってしまった。
フラウはにこりと笑うと、動けない私の腕からすっとブレスレットをとった。
長年続いた主従関係で、私はブレスレットを奪われるのを見ている事しかできなかった。
「でも、でも……!」
それでも、フラウが喜ぶのはわかっていても、どうしても諦められない。
「そうよ。フラウはずっとあなたという義姉が居て不憫だったのよ。最後ぐらい役に立ってちょうだい。フラウに感謝の気持ちはないのかしら。愛されるかどうかなんて不確かな物には頼れないわ。……そんな事も当然ないでしょうし」
「そうだな。お前が愛されるかどうかなど、私達には関係がないし、意味がない」
「お父様……おねがい……」
涙を流すと、父はハンカチを出して私の涙をふいた。
「だが、この婚姻は我が家の役に立つ。素晴らしい働きだ、クローディア。良くやってくれた、お前が居てくれて、嬉しいぞ」
久しぶりに、父がまっすぐに私を見て微笑んだ。
心から嬉しそうなその笑みに、私はぞっとした。
こんなにも、何も通じない。
「今回の結婚は、本当に我が家にとていい話だった。良くやってくれた、マーシャ」
ハンカチをしまうと、義母にも同じように笑いかけた。呆然とする私をよそに、義母は私の肩を抱きにこりと笑った。
「旦那様のお役にたてて、私もクローディアも嬉しいですわ」
「クローディア。公爵の機嫌を損ねるような事だけはするな。公爵は今回の戦争の功績者で、領地も豊かだ。本来ならうちが縁づくことなどないお方なのだ。機嫌を損ねそうなら、グリアーラの瓶を渡すので、自分で考えるように。必ず家の為にどうするのが最善なのか考えるのだ」
父は私の手をとり、青い小さな瓶を握らせた。グリアーラ、私でも聞いたことのある毒だ。
ひやりと冷たい感触に、震える。
「まあ! お義父さま……グリアーラなんて猛毒……。でも、そうね。お義姉さまならそういうこともあり得ますものね」
「いい判断ですわ、旦那様。死んでしまえば離縁されることなどないですし、あちらにも負い目になるでしょうから」
笑顔で話される内容が理解できない。
……色を見るまでもない。
この人たちにとって私は、どこまでいっても道具でしかない。
命を懸けて、家の、彼らの役に立てと言われている。
三人の会話をぼんやりと見つめていると、家令がきて手紙を父に渡した。
父は手紙を開き、ため息をついた。
「ああ、残念ながら公爵は来ないようだ」
「あら……どうしたのかしら」
「領地の近くに、魔物が現れたようだ。公爵も参戦するということで、馬車を用意し来て欲しいとの事だ」
「あらあら、人外が魔物を倒しに行くのね。……まあ、いいわ。魔石が増えるのはいいことだもの」
「いや、今死んだら大変だ。まだ結婚の契約をしていないというのに。まったく、タイミングが悪い魔物だ。……契約さえ終わっていれば、死んでもらって構わないどころか歓迎だったのにな」
義母の言葉に父は首を振って、憎々し気に吐き捨てる。
「まあ、旦那さまったら。確かにそうしてもらえれば、一番良かったですわね。今は無事を祈るしかないですが」
「必ず帰ってきてもわらなければならない。だが、この時期に居ないなら面倒は減るな」
「そうですね。向こうも忙しいでしょうし、良かったわ」
「ああ、でもお義姉さまは一人で嫁ぐことになるのね。……おかわいそうに」
フラウが憐れみを込めた目で私を見つめる。
「大丈夫よ。それに気持ちの悪い人外が来なくてほっとしたわ。あなたもそうでしょう?」
「……ええお母様、実はそうなの」
「公爵が来ないのなら、こんな所に居ても仕方がない。準備も無駄だったな。馬車の用意をしろ、私は屋敷に戻る」
家令にいいつけると、父はあっという間に興味をなくし去って行った。
それに続き、義母もフラウも楽し気に振り返りながら屋敷に戻っていった。
私はひとり、馬車が来るまで毒の入った瓶を握りしめていた。