「クローディア……とても、とても可愛い」
私の以前の部屋ぐらいあるのではないかと疑う程の、広いベッドの上。
私は、何故かベッドの端に追いやられていた。
すぐそばに、私の旦那様であるルシウス様の野性的な顔と大柄の身体が迫ってきている。
もう逃げ場がない。
……なにがまずいかは良くわからないけれど、このままでは絶対にまずい。
とりあえず気持ちを整える為に、距離を取りたい。
「あ、あの……」
「そんな怯えないで。ただ、このまま抱いて愛したい……君と本当の夫婦になりたいだけなんだ」
ため息とともに甘い言葉をささやかれ、頬を撫でられる。
闇のような深い黒色の髪がさらりと私の肩にかかった。
潤んだ金色の瞳が、情欲を湛えている。
ルシウス様の野性的に整った顔は魅力的で、こんなに近くにあることが信じられない気持ちになる。
見るものを引き付けてやまない瞳が、すぐ近くで自分だけを映している。
人外公爵と呼ばれ、誰とも心を通わせないなどと言われるルシウス様。仕事は有能で、彼の手腕によって領地は潤っている。そして、稀代の魔法師でもある。
何もかもを持っている、男性。
そんな彼に、求められている。
なにも持っていない自分が。
その甘い誘いに、私の心は揺れてしまう。
「で、でも駄目です! 私たち、白い結婚だと初日に聞きました! なぜこんな、急に……」
ぐっと引き込まれてしまいそうな自分を抑え、ついでに誘うルシウス様の目を押さえる。
どんな宝石よりも深い金色が視界からなくなると、それだけで少し緊張が解ける。
ほっと息をついたのもつかの間。
自分の目をふさぐ私の手をルシウス様がそっと握り、見せつけるように私の手に口付けた。
ぺろり、と指をなめられ、生生しい感触に思わず声が上がる。
「でも、クローディアと俺は夫婦なんだし……駄目じゃ、ないよね? もうとても、抑えられそうにないんだ」
「ル、ルシウスさま……」
握られていない用の手で、そっと肩を抱かれる。ルシウス様の体温を感じ、かあっと自分の頬も赤くなるのを感じた。
このままそうなっても……。
自分の考えに恥ずかしくなって目線を下げると、そこには見慣れた黒いもやが、薄くみえた。
まさか。
私は、さっと体が冷えるのを感じた。
舞い上がっていた気持ちがあっという間に消える。
色が見えるように目を凝らす。
色がないはずのルシウス様の周りに、やっぱり黒いもやが見える。
「クローディア……?」
不思議そうに首をかしげるルシウス様の腕から、するりと抜け出した。
やっぱり私の魅力なんかじゃなかった。こんな完璧で素敵な人に、好かれてるわけない。
私は馬鹿だ。
自分を叱咤して、回復魔法をもやに向ける。
「ルシウス様! しっかりしてください! 今の状態についてわかりますか」
魔法をかけつつ大きな声で呼びかけると、ルシウス様は信じられないというように目を見開いた。
「え……?」
「ルシウス様! おかしいです。ルシウス様に変な色が見えます!」
「……いろ……? っ……これは」
初めて今の状況に気が付いたように、ルシウス様はじっと私を見つめた。
先程のルシウス様からの誘いに、私の寝巻は胸元が大きく開き、足も露わになっていた。
汗で濡れていた銀色の髪が、肌にぴったりと張り付いている。
深い赤の寝巻にはだけた白い肌というあられもない姿が、ルシウス様の目に写る。
驚いた表情で私をじっと見た後、ルシウス様は顔を真っ赤にして顔を覆った。
私は我に返って、ばっとシーツで身体を隠した。
「ひ、酷い姿を見せてしまいました」
「酷い姿なんて、そんなこと……! ああ、すまないクローディア……。これは……きっと発情期、だ」
「発情期……。そ、そうだったのですね。大丈夫です私とは何もありません安心してください!」
それならば今の行動は説明が付く。回復魔法で状態が収まったことも。
ルシウス様に潔白を示すために、私は両手を上げた。
「何も……そうだね」
「発情期があるなんて、知りませんでした。こんなところに魔物付きの習性がでるんですね」
ルシウス様の甘い雰囲気に流されなくて良かった、とため息をついた。
あのままだったら……きっと。
私は、むしろ望んでいたかもしれない。
白い結婚を言い出したのはルシウス様だ。
いくらルシウスの発情期だとはいえ、彼の希望を無視してしまうところだった。
求められるはずなんてないのに。
「……そうなんだ。こんな風に出るのは初めてで、申し訳ない……」
ルシウス様は苦し気に謝ってくれる。でも、謝る必要なんてない。
一瞬の夢だ。
私が気を付けてみていれば、症状だって抑えられる。
「いえいえ、気にしていませんから! 心配しないでも、大丈夫ですよ」
私は気を取り直し、ルシウス様を安心させようとにこりと微笑んだ。
私の笑顔に、ルシウス様も息を吐き答えた。
「ああ、ありがとうクローディア。君は……、いや、君が居てくれて、助かった」
「ふふふ。こんな事にもお役に立てそうで良かったです」
私はルシウス様が既婚となる為だけに買われた、契約婚の妻だ。
ルシウス様からの愛情など、求められるはずもないと思っていた。
だから。
だから当然、我に返ったはずのルシウス様の瞳が、情欲のまま濡れていることに気が付かなかった。