その戦いはあまりにも一方的で、こちらには成す術もなかった。
殲滅、鏖殺、蹂躙。
力量差を見誤った、子犬が龍に立ち向かう暴挙。
いざ戦って、己の蒙昧さを知る。
:やばいやばいやばい
:ひかりちゃんしんじゃう
:誰か! 誰かいないか?
:なんだよあれ! ひかりちゃんの体に蛇のような紋様が
:あのでっかい蛇に噛みつかれてからどんどん顔色悪くしてる
「ひかりちゃん!」
もう精も根も尽きている。自分もまた、誰かを助けられる余裕がない。
動け、動いてよ私の体。
まだやれる。まだあの子を連れて逃げることさえできれば。
まだ立て直せる。対策を練って、準備を整えればあれは殺せる。
私たちにはその準備があまりにも足りてなかった。
準備さえあれば……
『え? ダニッチに行くだって? 俺としてはやめとけとしか言えないけどな』
思い出すのは空海くんの言葉。
彼の言葉は正しかった。
こんな化け物が出てくるなんて思いもしなかった。
せいぜいがショゴスくらいだろう。
ちょっと強いモンスターぐらいだろうと高を括っていた。
私は、どこで間違えたの?
大きな蛇の両手で首を絞められているひかりちゃん。
私はその尻尾に
一緒に来てくれたサポーターはショゴスの対応に当たってくれているけど、あまりにも多勢に無勢だった。
一匹ならともかく、五匹は流石に無理だよ。
せいぜい追い払う程度しかできなかった私たち。
初見だからこそ追い払うしかできなかったが、次やれば勝てると、どこかで思い込んでいた。あと一歩足りない手掛かりをようやく見つけたと思った矢先にそれは覆された。
私たちの作戦は、それぞれが自由に動けるのが前提だった。
高い同調率で、魔剣をコントロールできるのが前提だった。
からぁん。
なんの音だろうと意識を音のした方に向ければ、私は魔剣を取りこぼしていた。
違う、私はまだ魔剣を握っている。
感覚は曖昧だけど、確かに握っている。
では誰の?
:あぁああああああ!
:やだぁああ、こおりちゃん!
:腕が!
:そんな!
リスナーが騒がしい。
私が何をしたというのか。
体調が万全だったら、策が成っていれば、こんな大きいだけの蛇位どうってことないのに。
そんな考えは眼前の光景によって瓦解する。
「ひか……」
目の前でひかりちゃんが頭から丸呑みされてしまっている状況だった。
あんなに大きな蛇だ。人一人くらい丸呑みしてしまえる。
どうしてそんなことに気がつかなかったんだろう。
根源的恐怖に、今更恐ろしさを感じてくる。
しかし私はここで諦めることはできない。
この拘束を振り払って。
今助けに行くから、ちょっと待ってて!
「ちゃ、たす……」
どうして? 声が出ない。
なに? 私の体はどうなってしまっているの?
リスナーの声が聞こえない。
いやだ、誰か! 返事をして!
誰か!
こんなところで、死にたくな……
ボコボコボコボコッ
突如、地面に暗黒が広がった。
足元だった場所が闇に呑まれ、草木も枯れて沈んでいく。
:なんや?
:ここに来て新手とか勘弁してくれよ
:人間の登場の仕方じゃない定期
:そんなこと言ってる場合かよ
:極光最強! 極光最強!
:誰か! Aランクの人呼んできて!
:呼んだ、けどここがどこかの説明が難しくて
:何やってんだよAランクは!
:ひかりちゃん死んじゃう!
:丸呑みにされたんだぞ!
:これが人間の死に方なのかよぉ
全ての地面を飲み込んだ闇は、やがて人の形を取り始めた。
しかし異形感は拭いきれない。
細長い頭。縦に避けた隙間から、覗き込むのは金色の瞳。
人としてあってはいけない造形が、理解のできない言葉で大型の蛇に呼びかけた。
私はそれをただ黙って見ることしかできなかった。
・ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー・
戦場に辿り着くと、そこは死屍累々だった。
だが、全員原型を残している。
これならば俺の能力で再生は可能だろう。
だが、それでめでたしとはいかないのがイグという存在だった。
彼にしてみれば怒りの矛先を奪う手段にしかならず、下手をすれば俺にその矛先が向かう。
それだけは勘弁願いたい。
ここには人助けできているからな。
なので一応交渉を図る。
一般人に聞かれても問題ないように、神様のルールに則って異界言語で話しかけた。
下手に翻訳されても困るし。
『お戯れのところを失礼する』
『何奴だ』
『スーラ様の手の者にございます、どうぞお見知りおきを』
『ふん、豊穣の神風情が今更なんの用向きだ。我は見ての通り機嫌が悪いぞ?』
『左様ですか。奥方様を完全に復元できるアテがあったのですが、必要ないとおっしゃられる。では私どもはこれにて。失礼した』
推してダメなら引いてみろ。
すぐに復活させないのは、相手に得をさせない為。
それと、こちらの力に興味を持ってもらうためだ。
『待て、その話は本当か?』
『私の身内の力でございます。飽食の女神の神子。彼女の力は時を操る。塵一つ残されていなかろうと関係なく復活が可能です。どうです? 試して行かれては』
『筋が通らぬぞ。それが罷り通れば、豊穣神に目をつけられる。いや、その先駆けが貴様ということか。豊穣の神のお墨付きの蘇生術。我が神子に使用してくれると?』
『はい。ですが条件がございます』
『良いだろう。神子が帰ってくるのなら、条件の一つや二つ飲んでくれる』
よし、言質はとったぞ。
神々に対して、この口約束が大事なのだ。
神の契約は書類を介さないからな。
魂の契約、盟約を結ぶのが常識だ。
なお、神達は気軽にこれを使ってくる。
かけられた人は総じてこれを呪いと呼んだ。
『ならば、これ以上イタズラに人間を害さないでいただきたい』
『ほう、地上に蔓延る羽虫を摘むなと申すか?』
神にとっての戯れ。それを中止するよう呼びかける権利などただの御使委である俺にはない。なので取引を持ちかけている。
それがこの死者蘇生。
『我が神が人類を使って実験中なのだ。その成果が出るまで手を加えるのは控えてもらいたい』
『豊穣の女神がな。アレが何を考えているかはわからん。だが借りを作ったままでは気分が悪い。あれの願いは我の身に余るゆえ、相わかった。羽虫を積むのはやめるとしよう。それで、もう一つの願いだが、それは神子の顔を見てからでも良いか?』
『かまいませぬ。では、頼むぞ』
『はーい』
みうはどこか空気を読まぬように、その力を盛大に振るった。
夢の中というのもあり、本来はこのくらいの力があるのだと見せつけるように【おすそ分け】によって
蘇生。回復。治癒。
それらが如何にちっぽけな現象かを知らしめるように、時間の逆行はスムーズにその場の人たちに適用され、失われた蛇たちの肉体が復元した。
けれど久藤川さんも威高さんもイグの手や尻尾によって縛り付けられたままである。
ショゴスに飲まれた人も復活したので俺の闇で飲み込んでおいた。
今起きてこられても面倒というのもあったが、単純にイグがさっきの約束を「気が変わった」と言って撤回する恐れがあったからだ。
『見事! さすがはスーラ様のお墨付きだ。よかろう、最後の願いを言うが良い』
『では、そこで痛めつけている二つの羽虫を解放していただけますか?』
『ほう? そんなことでいいのか? もっと蛇の言語を欲するとかでも我はかまわぬぞ? 貴様とは今後仲良くしておきたい』
やっぱりか。この願いを言わせるためにわざと二人を解放しなかったな?
人類への攻撃に、この二人をカウントしないのは、ただの当てずっぽうだったのかもしれないが、こちらの思惑をうまく読み込んだ結果だろう。
食えない神様だ。
それか、わざわざ人類を助けにきたと知ってカマをかけたか?
人類を使っての実験だったら、今ここにいる存在を解放する必要はない。
何せ、地上には掃いて捨てるほどに人類は多いのだ。
だからこれは見逃せ、と暗に言っている。
『蛇の言語なら独自に持ち合わせています。ですのでそちらの条件を飲む必要はございません』
『ふん、余興すら残してくれぬか。これらは神子の餌にしようと思っていたのだがな』
『
復活した神子(白蛇)がシャーと言いながら否定の言葉を放つ。
『ほら、いらないって言ってますよ』
『本当に蛇の言語を理解しているか。いいだろう、この羽虫も解放してやる。が、事実は覆ったとしても腹が据えかねる。痛めつけてからで良いか?』
やおらイキってくるイグ。
願いは成就したが、二人をあっさりと解放する気はないようだ。
やはり、蘇生ぐらいじゃ納得してくれないか。
これだから祟り神は嫌なんだ。
『仕方ないですね。塵の一片ぐらいは残しておいてください。復元できなくなっても困りますから』
『ほう、情があるのかと思っていたが、違うようだな。もし其方の神子であると言うなら貸しの一つでも作れると思ったが』
『そう言うのではないです。ただ、女神様の指示に従って動いてるだけです。あれらの羽虫は我が神の計画に必要な駒であると。それを失うというのは非常に面倒だと』
『つまらぬな。ならばそちらの解釈通りにするがかまわぬか?』
『一片は残しておいてくださいね?』
とても酷いやりとりだ。
向こうだって塵一つ残さず消滅させてやりたいだろうに、肉体の一片だけにとどめてくれると言うのだからありがたい。
え、そこは普通に救助する場面じゃないのかって?
俺、あの二人を止めたんだけど、行くなって忠告した場所に勝手に行ったのあの二人なんだよね。
これくらいは社会経験で済ませてほしいもんだよ。
それに、この神様に限ってそんなぬるい約束を叶えてくれる期待をしてはいけない。
なんなら生きてること自体が不快としてちょっかいかけてくるタイプの神だ。理不尽の権化なのである。
宣言通り一片だけ残してくれたので闇のストレージに入れてその場を去った。
深淵を抜け、ダニッチに帰還。
ショゴスを取り込んで魔力に変換してから順次再生してやった。
『お兄たん、こおりお姉たん達を庇わなかったのはどうして?』
『多分、庇ったら気が変わったとか言って俺の条件を飲まない可能性があった。彼女達のやらかしは、いずれ俺たちに向かうぞ』
『そうなんだ。それでも庇って欲しかったな』
みうにとって俺はヒーローだ。
死力を尽くして、悪に立ち向かう活躍が見たかったのかもしれないが。
神に喧嘩を売ってタダで済むわけがないんだよなぁ。
あれは人間の常識で測れないものだ。
殺せば殺したで厄介な呪いがかけられる。
気づいてないだろ? あれからも白蛇がこちらを注視してるって。
あれ、隙あらば俺たちの情報を探ってこいって感じで放たれた密偵だぞ?
全く、厄介な奴に目をつけられたもんだぜ。
『世の中にはできることとできないことがあまりにも多すぎる。あれが普通のドラゴンだったら倒せばよかった。けど相手が邪神というタイプなら倒したら俺たちが呪われる。毎晩悪夢を見させられてうなされるし、白昼夢に襲われるなんてザラだ』
『うへぇ』
『そんな神様を穏便に撃退する方法が取引でな。向こうが納得する材料を提供、そして約束を交わすんだ』
『約束?』
『ああ、仮にみうに一日二食にしなさいって約束をしたとしよう』
『え、それは無理。絶対食べちゃうもん!』
『だろう? あの神様にとっての人間虐待はみうの食事と同義だった。相手にとって不利益な約束を取り付けるためにはそれなりに折れなきゃいけない要素もある』
『それがこおりお姉たんとひかりお姉たんを差し出すこと?』
『三食目はお腹いっぱいになるまで食べちゃダメだよって提示だ』
『それが駆け引きなんだー』
『今回のは特に大食いのみうに、三食目はカロリーはすごく高いけど、少量のクッキーで我慢しなさいって提案でもあった』
『え、それを神様は飲んでくれたの?』
驚くみう。
人間換算、自分換算に当てはめると相当な無茶振りをしたとようやく理解してくれたようだ。
『みうならどうした?』
『絶対飲まないよ、そんな約束』
『普通は飲まない。でもな、だからこそ約束事が必要なんだ。神子という存在が、あの神様にとっての空腹の原因だった。みうもお腹が空かなくなればそこまでいっぱい食べようとは思わないだろ?』
『え、どうだろ』
こいつ、腹も減ってないのにあの量の食事を?
『おおよその原因はその飢餓間から行われる。みうの場合は食事。あの神様は殺戮だった。そんなところさ』
『いろいろあるんだねー』
そう、人間生きてりゃ色々ある。
『あんな見た目でも神様だからな。神同士の横のつながりは馬鹿にできないんだよ。とはいえ、今回は俺も少し選択肢を間違えたと思ってる。もしあそこで威高さんを救出する選択肢をとってたら、死ぬのは彼女だけで良かったかもしれないんだよな』
『どうして?』
『どうもあの神様は、俺が神子という弱点を持っているのを知っておきたかったような振る舞いをしてたんだ。まぁそれが露呈したら、何度も威高さんが狙われるようになるから、今回の兄ちゃんは結構なファインプレイをしたと思うぞ?』
『結局死なせちゃってるのはダメじゃん。女の子的には無傷で助けてほしいところだよ?』
『可能であれば俺もそちらを選択したかったが、あの神様は特別に執念深くてな。もしあそこで弱みを見せる選択をしてたら、この場凌ぎどころか孫の代まで祟られる可能性がなきにしもあらずで』
『こおりお姉たんとはそう言う関係じゃないから助けなかったってこと?』
それもある。
けど、それは論点じゃない。
如何に人類に敵意を向けずに、こちらへの被害を出さないで手を引いてもらうかを選択したんだよな。
『今回はみうのほかに俺も復活させられるって強みがあるからいいんだよ。それに一回死ぬと前後の記憶は曖昧になるし』
『どこ情報?』
ソースは俺、なんて妹には言えないのでお口チャックだ。
『さて、復活させたら、俺たちはお邪魔だ。さっさと元の世界で起きあがろうぜ。すっかり朝までかかっちまったぜ』
『そうだね。途中でモンスターにやられなきゃいいけど』
『ショゴスやビヤーキー、ダゴンやハイドラなんかは通りがかりに俺が全部食ったし、問題ないだろ』
『お腹空いてたの?』
『魔力が底をつきそうだったんで補充したんだ。どうも今の俺はモンスターを捕食して魔力に置き換えることができるらしい』
『スライムさんの能力を持ってるんだっけ?』
『表のお前と一緒だな』
『なんかそう思ったら嬉しいかも。仲間ができたって!』
『志谷さんだけじゃ不服か?』
『んーん、そう言うことじゃないんだけど。あたしがいっぱい食べるから、お兄たんに負担かけてないかなって』
『ばーか』
俺は妖精モードの妹のおでこを触手で弾いた。
『いたっ』
『痛覚ないだろ?』
『心が痛いんだよ! それにバカっていう方が馬鹿なんだからね! お兄たんのばか』
『ぐぁあああ! 兄ちゃんは9999のダメージ。兄ちゃんは死んだ』
その場で溶けてドロドロになり、地面に染み込んでいく。
後には泡立つ玉虫色の液体が残るばかりだ。
『お兄たーーん!』
『なんてな、嘘だよ!』
染み込んだ地面からみうを捕獲して、そのまま深淵に戻った。
深淵だと魔力を減らさなくていいな。
なんだかんだこっちの形態も慣れておこうと思った。
・ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー・
「う、ううん……ここは?」
私は暗がりの中で目を覚ました。
「起きましたか、こおりさん」
「ひかりちゃ! 丸呑みされたんじゃ?」
「なんのことですの? それよりも今日の探索はどうしましょう? すっかり朝になってしまいましたが」
「え、もうそんな時間?」
「どうやら集団で夢の中に閉じ込められたようだな。全員が同じ場所で起きたんだよ」
サポーターの一人、名久井五郎さんが呼びかけてくる。
「集団睡眠、ですか?」
確かに前後の記憶が曖昧だ。その夢の中で、私たちは酷い目にあった。
:良かった、助かって本当によかった!
:生きててくれた! 本当に絶望的だったんだよ!
コメント欄は阿鼻叫喚で、あれは本当に夢だったのかと疑問に思った。
「どうやらコメント欄では私たちの夢の中での状況が流れていたようですわね」
「まさかカメラが夢の中にまで?」
「そう言うこともあるのがダニッチらしいですわよ」
「俺たち、本当に足手纏いで済まないと思ってる」
「無理もない。ショゴスがあんなに群れで襲いかかってきたのなら、成す術なくやられてしまっても仕方のないことだ」
皆が皆、自分の無力さを噛み締める。
この土地は、私たちはただの思い上がりで歩けるような場所ではなかったことを思い知らされた。
ここは本当に魔境だったのだ。
私は自分の体の代わりに身代わりになってくれたボロボロの魔剣を抱きしめて、地上に帰還した。
帰ったら空海くんに語りたいことがいっぱいあるから。
自分が如何に愚かで、自分勝手なやつだったことを反省しながら、またみうちゃんとお食事したいなって。
なぜかそう思った。