大丈夫、大丈夫。自分に言い聞かせるように私は胸を数回叩いた。
「こおりさん、わたくし達ならやれますわ。もっと自分とお祖父様に与えられたこの魔剣を信じてくださいまし」
「実際にショゴスは追い払ったもんね」
「そうですよ。わたくし達の力は深淵にも通ずる。前回の配信は救助の名目もあって、少し飛ばし気味でわたくし達の活躍シーンがおざなりでした。でも今回行く場所は本物の魔境。実力を試すにはもってこいです」
本当にそうなのか?
私は時期尚早じゃないのかとひかりちゃんに何度も嘆願した。
しかしそのいずれかも叶うことはなかった。
「それに、今日は実際に潜っている心強いAランクの方もお呼びしています。危なくなったら助けて下さる算段です」
「それは心強いんだけどさ、リスナーさん達にはご報告しないんでしょ?」
「現地リスナーということにしておきますわ。応援することしかできないファンと、実際に助けてくれるファン。同じファンなら応援にかける期待も高まります」
それもまたお祖父様の采配なんだろうね。
ひかりちゃんってば昔からお祖父様敷いたレールに乗って生きてきてるから、それ以外の考えを排除する方向で考えちゃうんだ。
危うい考えだ。
私がなんとか軌道修正しなきゃ、共倒れになっちゃう。
「今日一緒に来てくれるAランクの方々ですわ、こおりさんも知っている方も数名いると思いますよ」
「そりゃ、憧れてる存在もいるにはいるけどさ」
「ははは、信頼されないというのはなかなか傷つくものだね。俺は名久井五郎。クラン『セヴァンの岩壁』のリーダーをしているよ。タンクなので危ない時は駆けつけるつもりさ、よろしくね」
「名久井様の名は聞き及んでおりますわ。ですがダニッチでご活躍されているとはついぞ聞きませんでしたので」
「ある配信を見てから心惹かれてね。君たちより少し先輩なだけだよ。まだ浅い階層しか攻略できていないが、ショゴスくらいなら追い払える。ようやく【恐慌状態】を乗り越えることができたんだ」
「【恐慌状態】ですか」
「ああ、深淵種ってのはどいつもこいつも恐ろしく強い上に、見た者を強制的に精神的におかしくさせる異様さを持つ。実際にその場に住み着いてると、縄張りに入った途端にビビッとくるものさ」
「その時は頼りにさせてもらいますわね」
「それで、他の方は……?」
「あたしはクラン『セイバーマリオネット』のリーダー蓬莱美割よ。今日はよろしくね、ルーキー」
「よろしくお願いします」
「こうして同じランクになれたのに、ルーキーは酷いですわ」
「ははは、ランクに縋るだけのやつはいつまでたってもルーキーさ。Aにはね、Sに上がれる素養のあるやつか、それ以外かの分別があるんだよ」
「蓬莱様はSに至れる素質がおありと?」
「さてね。そのつもりで動いちゃいるが、生憎とそいつを決めるのはあたしじゃない。なのでいつお声がかかってもいいように振る舞ってるのさ。あんたにSに上がる覚悟はあるかい?」
「もちろんですわ」
「口だけじゃなく、態度で示しな。報酬分の働きはする。あんたはあたしの期待に添える動きをすればいい。あんたにゃ簡単だろ?」
Sに至れる気持ちがあれば、自ずとできると蓬莱さんは語る。
ひかりちゃんは自信家だから張り合えるけど、私には無理だ。
ファンやリスナーの応援があって今この場には立ってられるけど、自信ないよ〜。
「最後に俺だな。鶯谷義輝だ。クラン『スラッシュエッジ』のリーダーをさせてもらってる。うちのメンバーがあんた達のファンでな。どうしてもってことでうちはメンバー多めで参加してるぜ。そういう意味じゃ、Aの中じゃ一番緩い規則でやってる。蓬莱さんほど上目指しちゃいねーしな。よろしく頼むぜ」
こういう人、すごく落ち着くー。
純粋にファンの方もいてくれるクランだし、リーダーさんも優しそう。
「よろしくお願いします! ちょっと怖い方達で心の拠り所がなかったんです」
「ははは、こおりちゃんにそう言ってもらえて嬉しいな。メンバー共々応援させてもらうよ。もちろん、ピンチになったら真っ先に駆けつけるからね」
きらりと白い歯が光っている。
爽やかな笑顔だ。
「こおりさん、殿方にそのような隙を見せるだなんて、少しは警戒なさい」
「鶯谷さんのご好意をそう無碍にするもんじゃないよ、ひかり‘ちゃん」
「全くこの子ときたら……」
呆れ顔のひかりちゃん。
だってー。
私って昔からこういう怖いところ苦手なんだもん。
モンスターがどうのこうのとかじゃなくて、昔から霊感が強くて見えちゃいけないものが見えちゃうんだよね。
モンスターだったら斬れるし倒せばいなくなるけど。
幽霊は斬れないし、いなくならない。
なんならずっと側にいるような感覚がもうだめだった。
「その子、大丈夫なの?」
蓬莱さんが心配そうに私を眺める。
明らかに場違いなんじゃないかと、そう訴えている。
そんなの誰に言われるでもなく、私が一番理解している。
「なんだかんだで魔剣の同調律が一番高いのがこおりさんなの。先頭になったら頼もしくなるのよ。普段はこんな感じだけど」
「へぇ、お手並み拝見と行こうかね。ここは地獄の一丁目さ、守ってもらうだけのお姫様じゃ生きて帰れないよ?」
「そこは実力でなんとかします」
「口だけはなんとでも言えるさね」
厳しい言葉だ。
けど、それだけ過去に散々同じようなことを言われたんだろうな。
蓬莱さんは口調こそ厳しいが、目元が優しい。
逃げたいなら今ここで逃げろ。
誰もあんたを責めたりしない。
そう、逃げ場を作ってくれてるんだ。
だからこそ私はその期待に応えなくちゃ。
「いいえ、やらせてください。この魔剣を上手く扱えるのは私だけですから」
「よく言ったわ、こおりさん。魔剣『ベルゼビュート』の同調律においてあなたに適うものなしです。続きは収録で見せておあげなさい」
「うん。カメラは回しちゃっていい?」
「そうですわね。では、わたくし達の華々しいデビュー戦にお付き合いくださいませ」
ひかりちゃんが英国式カーテシーのような振る舞いでバトルドレスの端をつまんで引き上げた。自信があるからサマになるんだよね、こういうの。
私はお辞儀するだけで精一杯だよ。
そんなこんなで私たちの配信史上最も過酷なダンジョンアタックが始まる。
この時はまだ、そう思っていた。
・ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー・
日曜日。
その日はみう達にとって初めての水場での収録があった。
場所はインスマス。
そのリゾート施設の一つを九頭竜の財力で貸し切ってのファッションショーである。
一人だけだったら絶対にやらないようなよそ行きの衣装を纏って、(主に瑠璃さんのために)開かれたショーを俺と敦弘は忙しなくカメラをパシャらせては感涙していた。
「いやぁ、空海さん。今日はお誘いくださってありがとうございます。一生の記念日になりますよ!」
暑苦しいまでの熱気を纏った男が、感涙で咽び泣く。
「アッくん、ずっと秋乃ちゃんのことが心配だったもんね」
「本当に。まさか喋れるだけでなく、こうして何かで着飾ることまで叶うなんて……俺はもうここで死んでいい!」
「それは秋乃ちゃんのためにもやめてやれ。せっかく拾った命、自ら捨ててどうする」
「すまねぇ、つい感情が爆発しちまった」
「お兄ちゃん、大袈裟だよ」
「秋乃ちゃん、私たちはわかる?」
幼馴染だった二人の少女が詰め寄った。
いつも一緒にいるからわかるだろうが、お互いをどう思ってるかまでは確認できないでいたのだ。
「美春お姉ちゃんに夏帆お姉ちゃんだよね? いつもお兄ちゃんが無理なこと言ってないか心配でした。お兄ちゃん、私のことになると見境なくなるから」
「う゛っ」
身に覚えがあるのか、敦弘は苦しそうに胸を掻きむしった。
まぁ、なすりつけからの絡みはマジでうざかったからな。
リスナーさんからの印象も最悪だったほどだ。
「アッくん、バレバレだね」
「あははー、あきちゃん容赦なさすぎ」
会話ができる。ただそれだけのことで全て報われてる気になってる三人。
だが驚くのはこれからだぜ!
うちには大食いタレントが二人もいるのだ!
なのでランチは豪勢になっている。
その中に、ジュレはない。
それが何を意味するのか、まだまだ敦弘達にはわからないだろう。
今回は立食スタイルで、好きなメニューを好きなだけ食べれる仕組みである。
当然、ファッションショーのモデルも小腹をすかして壇上から降りてきては食べるゆるいシステムである。
こういうのはカメラの前でだけ真剣になってもらえればいいのだ。
そこで、ついに秋乃ちゃんは普通に食事ができることを明かした。
「秋乃、お前……喋れる、立てるだけじゃなく」
「うん、こうしてご飯もゆっくりとなら食べられるようになったんだ」
「!」
敦弘は感無量になって秋乃ちゃんを抱き留めていた。
「苦しいよ、お兄ちゃん」
「ごめん、だけどもう少しこのままでいさせてくれ」
「うん、痛がってごめんね。私も、ずっとこのままでいたい。お兄ちゃんの体、すごく硬い。鍛えて私を支えてくれてたんだ」
「そ、そうか? 自分では実感は湧かないが」
「頼り甲斐がある、男の人の体だよ。いつもありがとうね、お兄ちゃん」
「おう、これからもガンガン頼ってくれていいからな!」
こうして二人の兄妹の絆は深く、強く結ばれていった。
またどこかで無茶しなきゃいいがな。
敦弘はどこか昔の俺ににすぎている。
今は似てないのかって聞かれたら、まぁさっきのカメラの激写っぷりを鑑みてもそっくりな面はあるが。俺は方々にあんな横暴な真似はしないからな。
そこで一人静かにライブ配信を閲覧している理衣さんが音量を上げた。
何やら配信の向こう側でパニックになっているような、状況らしい。
「何かあったんです?」
「そういえば、と気になってあの子の配信を見ていたのよ。ほら、私がいない時にコラボしたっていう相手」
「威高さん?」
「そうその子、ダニッチに挑んで大変なことになってるみたいよ」
「まさかアタック日が今日だったとはな」
昨日の今日とか、死にたいのか?
準備期間が少なすぎる。
まさかたった二人でアタックしてやしないだろうな?
いや、人数がいる方が戦力ばかりが上がってとんでもないやつを引き寄せそうだ。
まさかな。
「でも、どうにかなりそうよ」
理衣さんは俺に画面を見るように促した。
そこでは、緑色に発光しながらショゴスを切り刻む威高さんの姿があった。
すごいな、これが魔剣の力か。
確かにこれがあるならある程度は対処もできそうだ。
ただこれは深淵の洗礼ってだけで最高戦力じゃないからな。
その露払い程度で油断してたら足を救われそうでもあった。
「あんまり奥いかなきゃいいですけどね」
「無理よ。借り物でも力を覚えたら試したくなる。それが人間のサガだもの」
かつての自分も、過剰にその力の行使を求められたものだと自供する。
威高さんの今の姿に、過去の自分を投影したのか理衣さんはどこか悲しそうな瞳を寄せていた。
「うぉおおおおお! 今日こそは明日香お姉ちゃんに負けないよ!」
「甘いよ、みうちゃん。私はこの前満腹飯店でギガお子様ランチ大盛りを完食したもんね! その私に適うとでも?」
「叶わなくても、勝つ!」
「その粋やヨシ! 相手にとって不足無し! 堂々と勝負を決めるよ!」
一方、そのすぐ横ではみうと志谷さんの苛烈な大食いバトルが勃発していた。
「あーダニッチだ。懐かしいね!」
俺の横にウィルがやってきて、理衣さんの間に割って入ってくる。
「そういえばウィルと遊んだのもここだったな。あれから一人でお家に帰れたか?」
「うん! あ、でも」
ウィルは元気よく返事をした後、口籠る。
「でもあそこって別の神様の神域だった気がするんだよね。蛇の!」
「蛇の神様?」
「うん、昔は僕のお母さんが住んでたって聞いてたけど、今は違う神様の根城みたい。お上りさんだから僕は挨拶ぐらいしかしてないけどね。お母さんは仲良くしなさいって言ってたっけ」
「そっか」
蛇の神様か。何がいたっけ?
まさかイグとかじゃないよな?