「それじゃ、みう。またな」
「うん、今度は
あたしは病室まで見送られて、お兄たんとお話しする。
「それまでいい子にしてるように」
「いつまでも子供じゃないですよー」
「言ってろ、ガキンチョめ。それでは安里さん、妹をよろしくお願いします」
「はい、毎日ご苦労様です」
「お兄たん、バイバーイ」
お兄たんと別れて、そのままお風呂へ。
お着替えを用意してもらい、沸かされたお湯をいただいた。
不思議な気持ちだ。
ダンジョンを出ると、急に動くのも億劫になる。
今まで当たり前のように動かせていた機能が急に泥沼に浸かったみたいに重くなるの。泥沼に浸かったことなんて一度もないのに、イメージばっかり先行しちゃう。
昔からそうなんだ。
見たこともない記憶が勝手に頭に入ってくることがあった。
きっと気のせい。
病室でずっと一人でいるから、どこかの誰かのお話が自分で体験したように勘違いしてしまったんじゃないか。
お兄たんはそう言ってあたしを落ち着かせてくれた。
あたしもそう思うことで、納得した。
けどそれは、ここ最近頻繁に起きていた。
──見つけた。
「え?」
そんな考えをしている矢先、誰かの声がした。
またか、という落胆と。
気をしっかり持たなくちゃという決意がみなぎる。
今のあたしは、単独でスライムにだって勝てるもん!
もう弱っちいあたしじゃないもんね!
「誰かいるのー?」
声の発生源を探して呼びかける。
しかし帰ってくるのはお風呂場の外で待機している看護師さんの声だった。
「空海さん、どうかしましたー?」
「なんでもないでーす」
空耳だったかな?
誰かの呼びかけが聞こえた気がするんだけど。
入院すると体が重くなるのと同時、何かの訴えが聞こえてくるようになった。
あたしがお兄たんに頼んでパソコンを見せてもらえるようにしたのは、この声と向き合いすぎたらヤバい、という直感が働いたからだ。
お兄たんも言ってた。よくわからない人を安易に助けちゃダメだって。
それはあたしの優しさに漬け込んだ詐欺だからって。
あたしは今もどこかで誰かに助けられている。それはこれからもずっとそうだって勘づいていた。
だからどこかの誰かでもいいから、あたしが助けられるんなら助けてあげたいって気持ちが募っていくの。
でもそうすると、体に痛みが走っちゃうんだよなぁ。
気分が高揚すると、毎回決まってこうなった。
ダンジョンの中だと違うのに、変なの。
それにしても、
「すごかったなぁ」
今でもスキルを使った感覚が腕の中に残っていた。
本当に探索者になったみたいだった。
自分でスキルが扱えたこともそうだったけど、モンスターに囲まれても不思議と怖くなかった。
「スラッシュ、なんちゃって」
浴槽に浸かりながらなんとなく腕を振るった。
そうしたら、身体中がしだいに
そう、これは……ダンジョンの中でスキルを使った感覚と似ている。
その直後、浴槽に小さな切り傷が入った。
弱い力でだけど、刃物で傷をつけたような、そんな傷。
「もしかして、あたし……」
今スキル使えちゃった?
ダンジョンの外で、スキルが使えてしまった。
もしそうだとしても、ダンジョンの中で使えたものより随分と威力が落ちる。
それはいい。
それは問題ではない。
問題なのはそれが原因でこの病院に居られなくなるかもしれないということだ。
お兄たんにまた迷惑かけちゃう。
「それだけは嫌だなぁ」
何かの拍子に使っちゃわないように気をつけなきゃ。
怖くなってお風呂から出た。
手を振るうのが怖くなる。
さっさとお風呂から出て病室に戻ろう。
「お風呂上がりました!」
「それでは病室に戻りましょうか」
「はい」
看護師さんとお話ししてるうちに、やっぱりあれは気のせいではないのかと思った。
まさか自分の腕からスキルが出てしまうなんて、ありえない。
そう思ったら気分がスッとする。
ご飯を食べる。
いつもよりお腹が空いてたのか、ペロリと食べてしまえた。
不思議だ。
食べ終わったのにまだお腹が空いてるや。
お兄たんが面会に来てくれた時のりんごが置いてあったので皮を剥いてもらって食べた。
こちらも完食してしまった。
自分でもびっくりするくらいの食欲だった。
これも外でスキルが使えてしまったことと関係あるのかな?
それはそうと、こんなにお腹いっぱいにご飯が食べられたのは初めてだ。
もっと食べたい気持ちに駆られた。
「看護師さんあたし、まだお腹が空いてるみたいなんです」
「そうなの? いつもだったらこのくらいの量でも残すのに。少し先生に掛け合って見ますね」
「お願いします。もう少し多めで。いっぱい動いたからお腹すいちゃったのかも」
「今は育ち盛りだものね。お残しをしないというなら、こっちも増やすのは賛成よ」
顔見知りの看護師さんだからか、あたしの意見は通りやすくなっている。
ご飯は今すぐに増量とはいかないけど、食べても大丈夫そうなヨーグルト製品などを持ってきてくれた。
それでも食欲は止むことなく、食べてはお腹が空かないようにベッドに潜り込む。
まだまだ消灯時間ではないけど、今日は早めに眠ることにした。
《──おきて、おきて!》
だれ?
《──ねちゃった?》
おきてるよ。
《──よかった、だいじなおはなしがあるの》
その前に、あなたはだあれ?
《──わたしはアトゥ。食欲を司る神の一柱。こことはちがう世界からはなしかけてるの》
名前が聞き取れない。
どうやら神様の一人みたいで、ずっとあたしを見守ってくれたらしい。
ようやくパスが繋がって、こうやってお話できる様になったんだって。
不思議だね。
どうせ暇は持て余しているし、他のだれにも聞こえてないみたい。
目を瞑っているだけでいいので、これほど楽なこともないや。
話を聞けば、神様は魔力? というのが尽きていて身動きが取れないみたい。
あたしも一緒だ。
そのあと病気あるあるで意気投合して、なんだかわからないうちに『契約』というのをすることになった。
神様はご飯をたくさん食べる『権能』を持っていて、あたしが『魔力』を捧げることであたしにその『権能』のいくつかが『継承』されるって言ってた。
話はよくわからなかったけど、あたしはどうやらその神様に好かれたみたい。
あたしには神様が欲しくてたまらない魔力がたくさんあって、でもそれを活かすための蛇口がない。その蛇口替わりに『権能』を与えるから、定期的に『魔力』を送ってほしいって言う。
翌日お兄たんにこんな夢を見たんだーって言ったら無言でおでこを抑えてきた。
「お前、熱でもあるんじゃないか?」
「ないよー」
熱があったらこうして体を起こすことも億劫だし。
ないと思うんだけど。
「昨日はしゃぎすぎた結果ということか。そういえばコアは?」
「ここ」
あたしは手の甲を差し出した。
そこにはルビーが手術によって埋め込められたような痕跡があった。
気がついたらこうなっていたと説明する。
『契約』する前は確かに『大事なもの入れ』にしまっておいたはずなんだけどな。不思議だね!
「夢じゃなくて、本当にそのコアが語りかけてきたのか?」
「うん、かみさま曰く?」
「なんだそれは」
要領を得ない、という顔。
あたしだって夢の中で言われたそのまんまを言っただけだし、よくわかってないのも一緒。
馬鹿げた話だと思った。
でも確かなことが一つだけある。
「お兄たん、あたし外の世界でも微量だけどスキル使えるようになったんだよ!」
またもおでこを押さえつけられた。
「もー、熱はないってば。今からその証拠を見せるね」
あたしはお兄たんがお土産で持ってきたりんごを持ち上げる。
「スラッシュ」
スキルの発動。するとあたしの手の中のりんごの皮が一瞬で剥けた。
お兄たんほど綺麗に、うさぎの形は作れなかったけど、頑張って剥いた形跡が残った。
ドヤァ!
「お前……」
「信じてくれた?」
「マジックにしてはできすぎだ。初めから皮を剥いていて、すり替えたか?」
「もー、信じてよ!」
「俺もダンジョンについて詳しい方だと思ってたが、こればっかりは有識者に聞いてみないことにはな。今度九頭竜さんに連絡を取ってみる。その時また今の話をしてみてくれないか?」
「うん。それとね? この『契約』というのをしてから外でもダンジョンの中と同じように元気いっぱいでいられるようになったんだ! 体の痛みもへっちゃら」
「そっちは先生とお話ししてみないことにはな」
お兄たんはあたしのいうことは疑ってなかったけど、病院の意向を聞かないことには退院は難しいだろうと話した。
いくら本人が元気です! と主張したって、検査をして健康であると認めないと退院できないんだって。
入院するのも大変だけど、退院するのはもっと大変なんだ。
あたしはずっとお兄たんのお世話になってばかりだから、そういうことがわからないでいる。
「あとね、あとね」
『契約』を交わしてからの変化はたくさんある。
食欲の増加。
この状態ならお外でお食事を摂ることも可能になるかもしれないと、先生も許可してくれるんじゃないかって。
朝ごはんを食べ切った後に看護師さんから言われたんだよ!
「お、すごいな。どこからどこまで食べられるか兄ちゃんの方でも聞いておくな?」
「おねがーい」
こればっかりはあたしもわからない。
出された料理を食べてるだけのあたしには。
「それとねそれとね」
できることが増えた、というのが地味に嬉しくて。
あれもこれも話したいことは尽きない
お兄たんは聞ききれないから、整理してから話してくれと困り気味だった。
再検査があるから、とそのまま別れた。
確かにそうだ。あたしは順序立てて話をするのが苦手な方だから、いつも会話が渋滞しちゃうの。
時間に制限があるお兄たんと、時間を持て余してるあたし。
いつか退院するまでに、そう言ったトーク術みたいなのは覚えておかなくちゃ。
検査結果は後日教えてくれると言ったが、数値は良さそうだって他の先生からお墨付きをもらった。
その日のご飯は今までよりも一層美味しく感じた。