目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第30話 殺傷未遂事件一歩手前

 ドアを開けても現実は変わらない。夢であって欲しかった。何が悲しくて、大の男がくだらない喧嘩を見なければならないのか。


伴侶はんりょ? お前がか?」

「ええ。まあ、今のところ、私はしがない執事です。お嬢様には命と誇りを守っていただき、とても感謝しております。将来的には伴侶として迎えたいと考えておりますが、お嬢様には婚約者もおられるようなので、その男を失脚しっきゃくさせたのち、簒奪さんだつしようかと考えている所存です」

「執事と公爵令嬢ではずいぶんと身分さがあるのではないかな? んん?」

「身分差など、どうにでも出来ます。力こそ愛」

「ハハハッ。なに言っているんだろうねこの戦闘狂は、殺すぞ」

「いいですね。これ以上、愛しい人の傍に害虫が増えるのは看過かんか出来ません。ここで決着をつけて差し上げましょう」

(勝手に話が進んでいる。レオンハルトの壮大な計画に関して、私は何も了承していないのだけれど……)


 傍観ぼうかんしていた私は、盛大な溜息を吐いたのち声を上げた。


「二人とも何しているのですか!? やめてください!」

「お嬢様。おはようございます」

「いい笑顔で微笑まないでいいから、剣を下げなさい」

「嫌です」


 レオンハルトはニッコリとほほ笑むだけで、未だ剣を収めるつもりはないようだ。むしろ力をさらに入れている気がする。


「名前と……愛の言葉をいただきたいのですが?」


 あからさまにレオンハルトは、落胆らくたんした顔を見せた。


「……仕方ありませんね。貴女には嫌われたくありませんし」


 ようやく大剣を手元から消し去ると、壮年の男から離れた。レオンハルトの溺愛できあいレベルが更新されたと思うのは、私だけなのだろうか。交渉前に根こそぎ体力を奪われた気分だった。


「私の使用人がすみません。怪我はありませんか?」

「いやなんともないよ。それに拙者のように身元があやふやな者なら警戒して当然だ」


 極東の偉い人なのに、なんと謙虚けんきょなのだろう。私はこの人が喧嘩っ早い人でなかったことを感謝した。

 私は男に歩み寄ると手を差し伸べる。男はどこか戸惑いながらも、差し出した手を掴んでくれた。すでに色々と醜態しゅうたいをさらしているけれど、まだ交渉の余地はあると思いたい。


(握手してもらえたし、まだ挽回ばんかいできるはず!)


 昨日は気づかなかったが、彼はローワンのような筋骨隆々きんこつりゅうりゅうという感じではない。かといって細見という訳でもなく、肉体を絞りきたえ上げられた戦士という印象を覚えた。

 深淵しんえんのような無精髭ぶしょうひげが目立つが顔立ちは整っており、良く見ると左頬に刀傷かたなきずがある。真っ黒な髪をうなじあたりで一つにくくっており、外見は三十後半か四十代だろう。

 実に野性的ワイルド御仁ごじんだ。彼は立ち上がると思った以上に長身だったようで、私は彼を見上げる。威圧感はないが、改めて見ると存在感があった。

 私はスカートのすそまむと、頭を下げて挨拶あいさつする。


「改めて私はアイシャ=キャベンディッシュと申します。極東の方とお見受けしますが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」


 男は片膝を着いた。その姿勢は騎士にも似ており中々様になっている。


「拙者は名無志藍水ナナシ=ランスイ。ご推察の通り極東きょくとう武士もののふだ。知人の墓参りに来た途中で、まあ死にかけたんだが、姫さんのおかげで助かった。礼をいう」

「いえ、そんな……」


 帝国の公爵家筆頭のキャベンディッシュ家の近くで、「極東の人間の死体が見つかった」などという情報は、政治的側面においてに交渉材料になりかねない。正確に言えば「身分の高い極東の人間」となるが。

 私は自分の母親であるトリシャの名を出すかどうか悩んだが、やぶをつついて蛇を出す行為だけは避けた方が良いだろう。


「異国の方であれは、どんな些細ささいな事でさえ国際問題にされかねません。ですので公爵家を代表して、対応をさせて頂きました」

「ハハッ、面白いことをいう姫さんだ。大陸全土での戦争禁止条例が出ているご時世、旅人が一人野垂れ死にしようと大して気にしないと思うぞ」

「……国家間においての戦争は禁止されてしますが、魔物の襲撃が活発化した場合は状況が変わります。それに大事なのは「事実としてあったかどうか」です。経緯はどうあれ亡くなった方が、、それだけで国際問題の材料とされてしまう場合もあるのですから」


 壮年の男ナナシの目が鋭くなった。彼自身がただの旅人では無いという事、そして今後起こる出来事を婉曲えんきょくに伝えたのだが、どうやら伝わったようだ。察しが良くて助かる。

 黒い髪と同じその漆黒の双眸そうぼうは、私の心情を探るように見つめる。


「なるほど、なるほど。教皇聖下の救出云々と話されていたのも聞こえていたが、この国も色々と大変なんだな」


 どうやら私の状況をある程度は聞いていたようだ。どちらにしても仲間に引き入れるときに、話すつもりだったから手間がはぶけた。

 私は説得する内容を頭の中で改めて組み替える。ナナシという男ならどういえばいいのか、その性格を考慮こうりょした上で思考を巡らせ数秒でまとめた。

 ここからが、勝負時だと思ったのだが──。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?