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第28話 愚かな家族の日常

 翌日の夜八時過ぎに馬車が屋敷に到着する。

 降りてきたのは五十代の厳格そうな男だった。立派なひげを生やし、貴族らしい振る舞いで自分の屋敷に足を踏み入れる。

 キャベンディッシュ公の前に、妻のヘレンとリリーが出迎える。いつもなら晩餐ばんさんの時間だが、それを遅らせてまで出迎えた、愛する二人を抱きしめると、頬にキスを落とす。

 絵に描いたかのような幸福そうな家族。しかし──。


「旦那様! 聞いてくださいませ。アイシャが、アイシャが私をいじめるのです」

「父様! お姉様は増長しておりますわ! きっと近いうちに殿下との婚約も破棄させましょう。そしたら私が婚約を!」


 貴族にあるまじき品のない言動に、周囲の使用人たちはげんなりとした様子で見守っていた。キャベンディッシュ公も本来ならばたしなめるのだが、愛する妻と娘の姿には色眼鏡フィルターがかかっているのか「そうか。しょうがないな」と甘い態度を返すのだ。おそらくリリーは父親にたしなめられることなど、一度もないだろう。


「愛する妻、そして娘。二人とも玄関先でどうしたんだい。ほら、体もすっかり冷え切ってしまって」

「だって」

「でも」

「わかった、わかった。話は食事をしながら聞こう。それでいいね」


 食事中に二人は気品の欠片もなく、のべつ幕無しに昨晩のアイシャとの出来事を話した。もちろん、アイシャに圧倒的に非があるという形で吹き込む。いつもなら全面的にアイシャが悪いということで話が終わるのだが、今日に限ってそうはならなかった。


「な、アイシャがここを出ていくだと!? 誰かアイシャをここに連れてこい」

「かしこまりました」


 部屋のすみひかえていた執事は、一礼して部屋から出て行った。

 キャベンディッシュ公にとってアイシャは皇族とのパイプであり、教会から出る多額の報奨金ほうしょうきんを得るための大事な金の卵だ。前妻の形見をちらつかせて十八歳までは家に縛りつけたのち、結婚によってキャベンディッシュ家の名をさらに広める計画だった。

 皇族との結婚はリリーでも可能だろうが、その責務の重さを考えると難しい。だからこそアイシャが適任だったというのに……。さらにヘレナとリリーの豪遊ごうゆうぶりもまた公爵の悩みの一つでもあった。今まではアイシャの活躍によりなんとかまかなっていたが、それも今後無理だとなるとキャベンディッシュ家の財は半年で尽きるだろう。


(チッ、妻と娘の手前、あの娘の風当たりを少し弱めてやるべきだったか。ここで皇帝ににらまれるのは非常にまずい。閣下は姪であるアイシャに対してかなり甘い。それをぞんざいに扱ったと知られた以上、皇族との婚姻など絶望的ではないか。やはり目先の欲にかられて、幻狼騎士団抹殺の計画に加担かたんすべきではなかったか)

「旦那様、お嬢様なのですが……」

「なんだ!? さっさと部屋に通せ」

「いえ……。申し訳ありません。置手紙だけで、アイシャさまの姿はもちろん、部屋にも何もありませんでした」

「な──ッツ!」


 万事休ばんじきゅうす。

 手紙には新しい屋敷の住所が書かれているだけだった。執事に調べさせたところ、帝都外れの一軒家で、長年使われていなかった廃墟のような場所のようだ。


(くっ、早々にアイシャと話をしなければ……! 商人に売った遺品を一度買い戻してでも、今は繋ぎ止めなければまずい!)

「父様。お姉様が出て行ったのなら、それはそれでいいではありませんか」

「いや、しかしだな……」

「私にも教会で枢機卿すうききょうの方々とお話しする機会がありました。そこでお姉様が傲慢ごうまんになっていることも伺いましたわ。福音書にもお姉様が出てくることはなく、新しい聖女である私がこの国を救うというのです!」


 リリーは嬉々として語るが、キャベンディッシュ公にはどうにも嫌な予感がつのる。末の妹がいかに優秀で愛くるしい存在だったとしても、聖女として責務を果たせるかどうか不安でしょうがなかった。


「それに私が枢機卿にわざわざ連絡を入れて、お姉様の場所を教えましたの。彼らはきっと良いようにしてくださるはずです」

「むう……」

「アナタ。リリーが言うのですから、やらせてみてはどうですか?」

「しかし」

「それに今回、遠征から戻ったアイシャは指輪や金品など一切差し出さなかったのですよ。私、新しい宝石が欲しかったですのに……」

「わかった。今回の件はリリーに任せるとしよう」

「ふふ、ありがとうございます。父様」

(まあ、どちらにしても、今後の資金集めをどうにか考えなければならないな)


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