遊牧と狩人の民。
元々はドラーク竜王国の竜の血も引いており、大地を駆ける
エルドラド帝国の南にある平野、それが皇帝と教皇の両名によって賜った領土である。人を侵略せず、争いは一対一の決闘で決着をつける。強さこそが全て。
強さがあって初めて交渉のテーブルにつくことが許される。
今から数百年前、南の領土を広げようとした
女騎士と叔父は互いに愛し合い、夫婦の契りを交わした仲だった。叔父は魔人族にしては珍しく争いを嫌う人だったが、族長である私の父よりも
魔物との戦闘は昔からあったけれど、それでも帰る場所があった。夕暮れ時にコテージから飯炊きの湯気が上がる──その光景が、たまらなく好きだった。
私は空を見上げるのが好きだ。
なだらかな丘に、青々とした草原。大空には悠々とした雲が流れていく。風は心地よく頬を
私と叔父は剣の
「レオンハルト、
「一つの翼しか持たないから、片翼がいないと飛べないという鳥のこと?」
「そうだよ。……僕と彼女はどちらかが欠けたら、きっと生きていけない。それぐらい大事で、愛しい。彼女と出会って初めて世界が愛おしく、
叔父はいつも
そしてその言葉は真実となる。女騎士を殺された叔父は──生きてはいけなかった。絶望と憎悪が叔父を
キャベンディッシュ男爵は、魔王討伐という大義名分を得て、帝国軍をけしかけた。「魔人族が魔物を使役している」という大嘘を真実として人間社会に広めたゼロム=キャベンディッシュの
理性を失った魔王は、当時の教皇、皇帝、そして当時の聖女によって殺された。
彼らは私たち魔人族の存在が、魔物の抑止力になっていることを知っていたため、捕縛された私たち生き残りを、滅ぼそうとはしなかった。しかし一度火がついてしまった人々の恐怖心を簡単に
教皇は自身の能力を使って、霧と共に帝国中を巡り歩けるように魔法をかけてくれた。「時と共に安住の地を得るだろう」と予言をして。
それが嘘だったのか、本気だったのか。私には──よくわからない。
自分たちの帰る場所を失い、人間から隠れるように霧と魔物が出没する森を転々と移動する日々。数百年という時間は、復讐という怒りを
そうやって生きてきた──そんな時、私の前に白銀の騎士団が現れた。
騎士団と遭遇すれば
細い首を折れば死んでしまう弱者が、強者のような瞳で私の心を射抜いた。彼女は人間だというのに「魔人族は魔物を使役していない」と叫び、「人同士で争うのはよくない」と説き伏せたのだ。
それが彼女との出会い。
魔物討伐に同行していた、この国に一人しかいない聖女。
彼女は防御魔法と治癒魔法しか使えない弱者だ。けれど弱々しい目をしていない。私を
それから、魔物討伐で騎士団と遭遇することが増えた。そのたびに聖女は、殺し合わないようにどちらにも防御魔法をかけて、怪我をすれば治療魔法で私たちも癒した。
変な人間。
いや愚かな生き物だ。
かつての女騎士のように、
彼女が信仰するのは《女神ブリガンティア》だけ。魔人族は有史以前から天と地と海、そして過去と現在と未来を司る《三女神ブリード》を信仰していた。
信仰的な意味でも帝国と相いれなかったことが、戦争の火種にもなっていた。《三女神ブリード》の存在は帝国にとって葬りたい信仰だったのだろう。故にその教えも、伝承も全て焼き払った。
あの聖女もすぐに死ぬ。
それから、どのぐらいの時が経っただろうか。
百はいた同胞も三十もいないだろう。
帝国領の外には出られない。
皇族であり聖職者の
何一つ道を切り開く希望など見出せなかった。私は無様に、ただ生きるために必死で足掻いてきた。もはや戦士としての誇りが砕かれかける寸前だっただろう。
魔人族の寿命は長い。だからこそ、気を紛らわせるために魔物を狩って、狩って狩りつくしていった。
思えばこの時からすでに、私たちは幻術によって視野が狭く、思考が
喉が渇き、視界が狭く──暗い。
心が満たされない。霧と闇の世界など悪夢だ。
いつしか私たちは
かつて叔父が望んだ生き方。対象となるのは同族ではなく多種族で強き者。何より番を得れば、一族から離れ、番と共に生きる事ができるのではないか?
この地獄から救われる──なんとも安直な方法。
そんな夢物語を胸に、霧の中を彷徨い狂う寸前だった。人も魔物も同じに見えて来た時に、そう思った。
私たち魔人族だけが、おかしくて、狂っている。何もかもめちゃくちゃにしたいという衝動に支配されつつあった。
けれど最後の最後で《三女神ブリード》は、希望を残してくれていた。
霧に導かれて──私たちは再び出会った。
私の一撃を弾くほど強くなった聖女と。