「あ。あっ、あああああああ!!」
ヴィンセントは従兄妹で、幼馴染みだった。嫌がらせばかりされたけれど、それでも私の母が亡くなった時、優しくしてくれた。
私が婚約破棄をしても、この未来は変わらないのね。
──現在が確定し、未来が更新されました──
それは詩を述べるように美しい声音で、誰かが
私には忌まわしい呪いの言葉だ。
ふと、私の目の前に、血濡れた黒い背表紙の本が目に入る。宙に浮いた本は突風が吹いたかのように、勝手にページがめくれ──赤い糸が文字となって紡がれる。
絶望という名の死神が、大鎌を手に近づいて来るようだ。
迫りくる
《審赦の預言書》の結末は止まらない。
駄目、駄目、駄目──! その未来を確定させてしまったら──ッ!
手を伸ばす。いくつもの赤い糸が紡がれていくのを阻止しようとするが、鎖で繋がれた腕はすでに自由を失っていた。
涙が零れ落ち、視界が歪んだ。
なんと無様なのだろう。今更なにが変わるというのか。
こんなにも私は諦めが悪くて、無力だ。紡がれていく赤い文字は、まるでそうあるべきだったかのように、すらすらと書き足されていく。
私は見ていることしか出来ない。
「次はお前の番だ、アイシャ=キャベンディッシュ」
低い男の声が私の耳に届いた。
深緑色の長い髪、逆光で顔は見えなかったが、
目が慣れると、その顔に見覚えがあった。
「貴方は……?」
「俺の名を忘れたのか? 魔物討伐大連合軍総督、ルーク=グレイ・イグレシアスだ」
ルーク? ああ、魔法学院で一緒だった……。チェスが得意で成績は学内一位。その程度の認識しかなかった。
「……悪いな。魔物を統べる
耳元で囁かれた声は、少しだけ
「吊るされた者たちは、自分たちが助かるため魔神王に与した──故に、苦痛の中で死に絶える。そして埋葬されず骨になるまで曝す。……だがお前は、一瞬で終わる」
「!?」
私はようやく自分の状況を理解して、
「また……
「お前がそういう立ち位置に居たのが悪い」
たまたま都合のいい人間がいたから、埋め合わせをした。そう彼は感情もなく淡々と答えた。
長い灰色の髪を鷲掴みにされて、私は処刑台に押し付けられる。足掻いてもそれ以上の力で頭を押さえられて、抜け出せなかった。
女神ブリガンティア。これも試練だというのですか……! こんなことになるなら……!
もっと自由に、
都合のいい願いだと分かっていても、願わずにはいられなかった。
もし時間が巻き戻るなら──今度こそ全ての
私の意識が途絶える瞬間、赤い糸が
帝国暦二〇七七年八月三一日。
処刑されたのはアイシャ、二十一歳。
キャベンディッシュ公爵の長女。しかし魔法学院卒業の際、キャベンディッシュ家から追い出され平民となる。そののち、辺境の地で生きるも聖女の力を失った彼女は《裏切りの大魔女》として生涯を終える。
──はずだった。
***
「………っあ!」
勢いよく瞼を開くと、薄暗い天井が飛び込んできた。
夜明け前だろうか、やけに薄暗い。
心臓の鼓動が未だ激しく、全身が汗ばんでいた。
悪夢──と言い切れない生々しい光景。
「はぁ……はぁ……」
落ち着いて呼吸を整える。
よく周りを見ると牢屋ではなく、かといって自分が住んでいる屋敷でもない。
布を引いたテントの中だ。
(ここは……? 私は処刑されたんじゃ?)
ゆっくり起き上がりと、後頭部に
頭を押さえているうちに、痛みは引いていく。改めて自分の両手を見つめると、思いのほか縮んだ気がする。幼い子どもの手。ふと視線を下に落とすと胸が──ない。元々は双丘があったはずだ。
(胸……というか、全体的に縮んでいる!?)