部室には鉛筆と400文字詰め原稿用紙が擦れ合うことで起きる音楽が奏でられていた。
早乙女先輩とぼくだけのふたりっきりの文芸部。
今日の三題噺のお題は「チョコレート」、「えんぴつ」、「すっぽん」だ。しかもこれでラブレターを書けとむちゃくちゃなことを言われた。
それでもぼくはやり遂げなければならない。何故ならば、自分とお付き合いしたければ、文芸部らしく、ラブレターで口説き落としてみろという条件が与えられた。
ぼくはああでもこうでもないと、頭をひねらせながら原稿用紙のマスを埋めていく。対して、早乙女先輩は流れる黒髪のようにさらさらと原稿用紙を埋めていく。
「さて約束の時間よ。どちらのラブレターがより出来が良いか、勝負ね」
「笑わないでくださいよ……」
机の上でぼくと早乙女先輩はラブレターを交換し合う。先輩の書いた文字を見ているだけで先輩を抱きしめたくなるくらい美しい文字だ。対して、ぼくは悩みながら書いたために文字が不規則に並んでいるその見た目だけで恥ずかしさで顔に熱がこもってしまう。
「講評をいただいてもよろしいでしょうか」
ぼくはおそるおそる先輩にお伺いを立てる
「うん」
先輩は神妙な顔つきになっている。何をどう言えばいいかと思い悩んでいるご様子だ。ぼくの手からは嫌な汗が流れてしまう。手にもっている先輩からのラブレターにその汗が付着し、先輩を
「まず、ビターなチョコレートと私のつっけんどんな態度を繋げるところは得点が高いわね」
ぼくはつい、ホッと安堵した。先輩からは物語の掴みだけは良いとよく言われている。
「でも、鉛筆とすっぽんの部分がね……。自分と先輩とじゃ月とすっぽんってあまりにもヲチとして弱すぎるわ」
「やっぱり……。そうですよね」
講評でよく言われるやつだ。掴みは掴みで大事だが、せっかく掴んだというのにその後がグダグダとして、結局、読者の関心が薄れてしまうと、いつも先輩から厳しく言われている。
「惜しいと言えば惜しいわ。私に振り向いてもわらないだけで、鉛筆削りのようにこころがにごりごり削られてしまうっての部分は。でも、私ってそこまでサディストじゃないと思う」
「おっしゃる通りです、はい……」
「今日のラブレターは40点ってところ」
「ビターなチョコレートな割りには点数高めですね」
「あんまりなじると、筆を折っちゃいそうだしね」
早乙女先輩が苦笑していた。文芸部は先輩とぼくのふたりだけだ。そのうちのひとりが部活にこなくなってしまえば、この特別な空間は大人たちの判断で閉鎖されてしまう。自分に迫ってくる後輩と部の存続を考えれば、先輩はなかなかに苦しい立場に立たされていることは、愚かなぼくでもわかっている。
だけど、ぼくには時間が無かった。だから焦って、先輩に告白してしまったのだ。
「この成長具合だと、私がこの学校を卒業するまでに、私を感動させれるようなラブレターは完成しそうにないね」
先輩の表情に陰が浮かんでいた。にっこりと微笑みながらも寂しさを含んでいる。ぼくはそんな先輩の顔を笑顔にしてみせたいと思っている。
「次のラブレターこそ、先輩を感動させてみます」
「うん……。期待してる」
先輩はそう言うと、今日の文芸部の活動はここまでとばかりに窓のカーテンを閉める。自分は机の上を片付ける。先輩とぼくはカバンを手に持ち、部室をあとにする。
ぼくに残された時間はもう少ない。本格的に受験シーズンに入れば、先輩は部室に顔を出すことも少なくなる。そして、その予想通り、先輩は11月の終わり頃には部室にくることはなくなっていた。
「ひさしぶり。今日こそ、私を感動させるラブレターを書いてね」
「わかりました。先輩をあふん……じゃなくて、ギャフンって言わせてみせます!」
先輩が部室にほとんど顔を出さなくなってから早3カ月。明日は卒業式だ。だが、ぼくはこのラストチャンスのためにこの3カ月、古今東西の詩集を読み漁り、さらには百人一首の全てをそらんじれるまで、己を高めた。
今のぼくなら、どんなお題を出されようが、先輩を感動させられるラブレターを書けるという自信があった。
「先輩、お題をお願いします」
「じゃあ……。東京、卒業式、餃子で、いいかな?」
「ふふふ……。さすが先輩です。最後の最後までいじわるなお題ですね」
ぼくはありったけの筆力で先輩への想いをラブレターに綴った。
先輩と過ごしたこの2年間は楽しい日々であった。
ラブレターを書いているうちに、その思い出が堰を切ったかのように胸へとこみあげてくる。
ぼくは原稿用紙にぼろぼろと涙をこぼしていた。
せっかく、この3カ月、修行を積んだというのに、自分の涙で原稿用紙をダメにしてしまった。
そんなぼくに対して、先輩も泣いていた。
涙声になりながらも優しく言ってくれた。
「私のこと、忘れないでね」
先輩は卒業後、東京の大学へと進学していった。
ぼくは今でも忘れない。
先輩との初キスの味がニンニク臭たっぷりだったことを……。
数年後、再会した先輩に文句いっぱいの表情でそう指摘したら「嫌でも私のことを忘れないでしょ?」と笑顔いっぱいに答えてきた。
そして、チョコレートのような甘いキスをしてくれる先輩。
先輩とのほろ苦くても楽しかったあの2年間が脳内に再生される。
ひと目がつく場所だというのに先輩を本気で抱きしめた。
「先輩はずるいです。ぼくに苦しみばかり与えて……」
「うん。そうだね。その通り」
あの卒業式の前日のようにぼくは泣いてしまった。
いくつになっても自分はあの頃のままなのだと。
先輩は先に大人になった。
自分は文学少年のままだ。
「今度こそ、先輩を感動させてみます」
「うん。楽しみにしてるね」
先輩はぼくが泣き止むまでずっと、優しく頭を撫でてくれた……。